11. 白い髪の魔女




 「はぁ……やれやれ、ここなら一息つけそうか」


 《死神》の置き土産の閃光騒ぎで騒然となるオースティン広場から、シャロン様を連れて逃げてきた。ここは東街区の南寄り、多くの工房が軒を連ねる職人街。その“屋根の上”にお邪魔している。

 職人街は基本的に、朝から晩まで動いている。需要の重なるシーズンだったり、貴族の横暴な注文に応えるために、徹夜で稼働する工房もザラにあるからだ。急な注文をしに高貴な身分の方々がお忍びでやって来ることも少なくない。それでも日の落ちたこの時間までやっている工房は少なく、人通りは少ないが物音や話し声がしてもおかしくはない環境。案外、密会には向いている場所なのだ。

 俺が屋根の砂埃を払って腰掛けると、少女もおずおずと隣に座った。


 「すみません、こんな所にまで連れ出してしまって」

 「いえ、元はといえば家を抜け出してきたわたしが悪いことですから。それに……」


 シャロン様は眼下に広がる職人街を見渡して、呟く。


 「こういう景色を見るの、なんだか新鮮で。屋敷の部屋から見ることはあっても、こうして間近で見るのは初めてですから」


 そう言って彼女は物珍しそうに街を見回す。明かりの灯った工房からはうっすらと光が漏れ出ていて、カンカンという槌の音が風に乗って耳に届く。


 「……綺麗ですね」

 「ええ」


 月の光に照らされた夜の職人街は、確かにどこか暖かくも美しい雰囲気があった。


 「ですが、あんなことがあった直後にも関わらず、しかも下町の職人街を見てそう仰る貴族様というのも珍しいですね。なかなかの肝の据わりようで」

 「茶化さないでください。本当に、怖かったんですから……」


 だいぶ落ち着いたようだが、それでも先ほどのショックは大きかったのだろう。若干肩が震えていた。


 「わたしなんかのために、危ない真似をさせてしまって……」

 「昼間も言いましたが、これも帝国紳士の務めです。ちゃんと余力もあったのでお気になさらず。しかし、“わたし”ですか……」


 不自然なほどに自分を卑下する言い方が気になり、問いかける。

 昼に話した時といい、どうにも彼女は必要以上に自分に批判的なようだ。


 「やはり、その髪に関係が?」


 彼女の頭に乗せられた、鍔広の帽子に目を向ける。

 彼女───シャロン・オースティン伯爵令嬢に付けられた通称は《白の娘》。雪のような白い髪と容姿、才覚を以て名付けられた通り名だという。こうして直に接してみても、見た目の可憐さに加えて垣間見せる知性、魔法の才を鑑みれば妥当な評判だと感じる。だが、本人としてはどうやら思う所があるらしい。


 「はい……」


 少女は頷いて、静かに帽子を取った。



 彼女が帽子の下に隠されていた、丁寧に結われた髪をほどくと、淡雪のようにきめの細かい白髪がふわりと広がった。

 思わず息を呑む。聞きしにまさる、その美しさに目を奪われた。貴族女性としては決して長くはない、せいぜい肩下あたりまでのちょうど良い長さ。だが、繊細な髪質と僅かに波打って空気を孕んだ様は正に雪のようだ。

 何より、ここまで白い髪を見たのはだったのだ。これほど見事な白髪を持った人に会ったことは、俺にはこれまで一度しかなかった。


 「綺麗な髪、ですね。お世辞でも何でもなく、本当に美しい」

 「……ありがとうございます。わたしも、お母様から頂いたこの髪自体が嫌いなわけじゃないんです」


 彼女は愛おしそうに自らの髪をかき上げる。さらさらとこぼれるきめの細かいその色は、まさしく粉雪を思わせた。


 「それでも、生まれ持っての白髪は不吉の象徴とされています。その証拠に、お母様はわたしが小さい頃に亡くなり、乳母もわたしが事故に巻き込まれた時にわたしを庇ったせいで負った怪我がもとで職を辞しました。その事故を起こした騎士も、屋敷の外へ配置換えになった直後に病気を患い亡くなったと聞いています。それ以外にも不幸なことが幾つも……やっぱり、言い伝えは本当だったんです」




 この大陸各地に伝わる、とある昔話があった。

 昔、この地に存在した巨大な国に、遥か東方から白い髪の魔女が現れた。魔女は数々の恐ろしい魔獣を引き連れ、恐るべき数多あまたの魔法を操り、この地に混沌と災厄をもたらした。世界には多くの災害と疫病が溢れ、ついにこの国は滅びてしまった。

 さて、国ひとつを滅ぼしてもなお人々を苦しめ続ける魔女に対し、立ち上がったのは一人の勇者。彼は僅かな仲間たちとともに果敢に魔女に立ち向かい、三日三晩かけた戦いの後に、ようやく魔女を倒すことに成功した。しかし魔女の怨念は深く、呪いにより勇者は亡くなってしまう。そして魔女は死に際にこう叫んだのだ。「いずれこの地に再び現れ、この世界の全てを呪ってやる」と。


 「『白い髪の子供は魔女の生まれ変わり』。ゆえに周囲に不幸を撒き散らし、世界を呪うことになるのです」

 「よく言われる白髪の忌み子の言い伝えですね。しかし、言うまでもなくそれはあくまで物語の中でのこと。生まれながらにして白髪の子供は時折生まれていますし、真っ当に生きた人もたくさんいます。たとえ不幸が続いたとしても、それを呪いなどと考えるのは軽率では?」

 「わかっています。……わかっているんです! でも、世間は必ずしもそうじゃない。わたしの周りで不幸なことが起こるたびに、たとえどんな些細なことであっても『魔女の呪いだ』って囁かれるんです! 初めて社交に出た日、ダンスを踊った方のうちの一人のお父様がその日の晩に急に病に倒れて、数日の後に亡くなられました。それ以来、社交に出ても距離を置かれて……お父様の立場ゆえにダンスに誘われることもありましたけど、お相手の方は皆怖いものを扱うような顔をするんです。『魔女に恨まれたら大変だ』なんて、陰で言われて……!」


 少女はむせぶようにして心の内を吐き出す。

 きっと、想像を超えるほどに辛い思いをしてきたのだろう。重苦しく垂れ下がった髪が肩に掛かり、まるで積雪のように重苦しくのしかかって見えた。


 「わたし、帝都に行ってみたかったんです。帝都の国立大学校に。小さな頃からたくさん本を読んできました。この世界にはまだまだわたしの知らない景色がいっぱいあって、いろんな人が様々な所で暮らしている。亡くなった母が言っていました。屋敷から見える場所だけが世界じゃない。世界はもっともっと広くて、果てしなく続いているんだって。わたしには、そんな世界をたくさん見て、知って、感じてほしいんだって。でも、こんなわたしじゃ、屋敷から出ることすらままならない……! わたしの髪を見るたびに、誰かが噂をするんです。『《白の娘》だ、白髪の《魔女》が来たぞ!』って。お父様が呼ばれるパーティーにも、わたしが付いていくと嫌がられるようになって、出させてもらえなくなりました。このままずっと、わたしは一生屋敷の中で過ごすしかないんだと思ったら、慣れ親しんだ屋敷が牢獄みたいに感じられて……」

 「だから、お忍びで外出を───をしていたと」


 彼女は俯いたまま、コクンと頷く。

 いたたまれなくなって、涙を拭い鼻をすする少女の肩にそっと手を置いた。


 「生まれ持ってのどうしようもないものを理由に、理不尽なそしりを受け続けることほど辛いことはありません。貴族という立場にあっては、どんな時もついて回る悪評ほど重いものはない。その重荷に耐え、それでも世界に憧れ続けて、今まで生きてきた貴女は強い人です。それらの悪意に苦しめられてもなお、美しいものを美しいと素直に感じる純粋な心を失っていないのですから」


 彼女の白い髪が手にかかる。その感覚が懐かしかった。思えば俺の“大切な人”も、こうして髪のことで悩んでいたのだったな。




 「そういえば、さっきのお話。各地に伝わるものによって、内容に差異バリエーションがあるのはご存知ですか?」

 「そうなんですか?」

 「ええ。いま貴女が語られたのが、帝国東部に広く伝わる昔話。一方南部や帝都で伝えられているものでは、勇者はすぐには亡くならず、仲間の一人との間に子供を残した後に亡くなっています。この国の創設譚の一部においては、その子供こそが帝国の初代国王という説が唱えられていますね」

 「知りませんでした……」

 「まあ、この国の成り立ちの物語も複数ありますから。それに北部地域の一部や北の王国では、魔女は殺されずに和解し、彼らと共に傷ついた人々を癒して回り、最終的には勇者と結婚したなんて話もあるそうですよ」

 「ええっ……!?」


 神話や伝説というものは、様々な側面を持っている。国家や土地の起源とされたり、人々の心の拠り所だったり、単なる娯楽だったり。それゆえに様々に派生し、色々な想いとともに語り継がれてきた。


 「物語とは、その時代に生きる者が生み出し、語り伝えていくもの。ならば、不吉な言い伝えに負けない物語を作ればいいのです。いくつかの不幸な偶然が、霞んで見えるほどに凛々しい英雄譚を」


 俺はひざまずいて、白く美しい令嬢の手を取り、言った。


 「貴女には、曇りなき目でこの世界の理を見つめる、何物にも替え難い資質がある。オースティン伯爵家御令嬢、シャロン・オースティン様。貴女の白く気高き火の魔法を解き明かし、その力をもって、我ら東方よりでし民をお救い下さい。貴女様の魔法には、必ずやそれを成し遂げる力があります。俺には───我々には、貴女が必要なのです」




 夜風が駆け抜け、少女の髪を揺らす。

 彼女はしばらくの間、驚いたように黙って目を見開いていたが───


 「……ふふっ。なんだか、これこそ物語の一場面シーンみたいですね」


 と、小さく笑った。

 あ、あれ……?


 「……お気に召しませんでしたか?」

 「いえ、そういうことじゃなくって……なんだか本で読んだ騎士様の告白の場面のようだったので、つい……。マリアン・ロンウェル様の『木蓮の騎士』のような」

 「え、知ってたのか───あ、いや、貴女も読まれていたのですね、『木蓮』……」

 「え?」

 「え?」


 微妙な空気が二人のあいだを流れた。




 「……あの、もしかして。参考にされてました?」

 「あー、いや。なんというか、その~……」


 参考というか。場所選びシチュエーションから何から、ほとんどがあの小説から拝借した内容だったりする。

 そうなのだ。『木蓮の騎士』は帝都で有名な作家によるロマンス小説。不遇な生まれにより冷遇されている姫君を、お付きの騎士が城下へ連れ出し、彼女を冷遇していた貴族の策謀から彼女を守る。そしてその時手に入れた証拠を武器に悪しき貴族の不正を正し、身をもって彼女の価値を証明した彼は、最後は城壁の上で姫君への愛を告白する。

 ……と、愛の告白ではないものの、大まかな話の筋は今日彼女と辿ってきた道程と一致しているのだ。

 もちろん偶然によるところは大きいが、最後に広場から逃げる先にこの場所を選んだのは、かの騎士が騎士団の詰め所でもある城壁の上に来た話が頭をよぎったからだということは否定できない。何せ、この職人街は俺自身の根拠地ホームグラウンドなのだから。


 「……まあ、それは違うと否定することはできないと言えなくもないというか」

 「どっちなんですか……ふふっ」


 バツが悪くなってしどろもどろになる俺を見て、シャロン様は可笑しそうに笑った。前髪がたのしそうにくるくると揺れている。


 「あはははっ。あーあ、せっかくちょっと感動したのになぁ」

 「いや、なんというかもう、申し訳ない。所詮は学のない一般庶民が背伸びした結果です。笑って頂けたのならば道化を演じた甲斐もあるというものです。甘んじて受けますよ」

 「ふふふ……いいえ、ごめんなさい。本当に、嬉しかったんです。わたしにもできることがあるって言われて、わたしだからこそお願いしたいって言われたことが。こんな、不吉な魔女と呼ばれ続けたわたしでも───いえ、こんなわたしだからこそ、成さなければならないことがあるんですね」


 シャロン様はそう言って、晴れやかな顔で頭を下げた。


 「どうかわたしに、あなたのお手伝いをさせて下さい。この髪のせいでいわれのない中傷を受けてきたわたしのように、ただ魔法紋を持って生まれなかったというだけで虐げられている人々を救うために。どうか、この力をお使いください。ミティオ様」

 「い、いやいや、『様』なんてガラじゃないです! あくまで俺は名も無き一般庶民。頭を下げられるような人間ではありませんよ」

 「そうですか? たしか、クレメントス男爵家の御三男様とお聞きしましたけれど。それに、年上の殿方に手を差し伸べられてお辞儀のひとつも返さないなんて、オースティン伯爵家の娘としてあり得ないこと。でしょう、わたしの騎士様?」


 そう言って彼女はイタズラっぽく片目を瞑ってみせた。

 予想外の切り返しに思わずたじろぐ。昼間のやり取りでも感じたことだが、この子は敵に回すと予想以上に手強い予感がする。やはり、簡単そうに見えた仕事ほど実は厄介なものらしい。


 「はあ……わかりましたよシャロン様。ですがせめて、『ミティオ』はお止めください。単にミティオ、と」

 「ええ、ミティオさん。でしたら是非、わたしのこともシャロンとお呼び下さい。『木蓮の騎士』でも騎士様は、フィーナ姫のことを名前だけで呼び捨てるようになりましたし?」

 「だーもう、やめてくれ! ……ああいや、どうか勘弁してください……」

 「ふふふ。だーめ、です♪ なんなら言葉遣いも素のままで。身分に関わりのない知り合いの方って、初めてなんです。ですから……ダメ、ですか……?」

 「ぐ……」


 最後に涙目を使ってくるなんて反則もいいところだ。魔性の女と書いて「魔女」と読む。おとぎ話も、あながち間違いでもないんじゃないかと思ってしまった。


 「……分かったよ、シャロン。皆のために協力してくれるかい?」

 「───はい!」


 今度は立ったまま、彼女と握手を交わす。まっすぐ見つめてくるエメラルド色の瞳がまぶしく見える。雪のように白い綺麗な髪が、のを駆け回るように楽しげに風に揺れていた。



 こうして、俺と伯爵令嬢との身分を越えた協力関係が始まった。


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