10. 幻影




 月は人を惑わせる。

 或る者はその表面に生き物の姿を幻視し、また或る者はその光を浴びて、身の毛もよだつ凶行に至る。

 斯様に月は人を狂わせ、迷わせる。

 月に魅入られ己を喪い、あるいは人の道を見失った者を、人は“月狂いルナティック”と呼んだ。






 「人質のつもりか。それに……」


 シャロン様を捕らえて威圧してくる《死神》を警戒したまま、俺は後ろを振り返る。

 そこに、今まで戦っていたはずの奴の姿は無かった。目の前の《死神》にしても、さっき斬りつけたはずの左腕の傷が無い。それに、広場の一角でここまで派手に暴れているのに、まるで騒ぎになっていないのも変だ。


 「察するに、【幻影】の魔法ってところか」

 「ご名答。君が戦っていた私も、お嬢さんが駆け寄った執事も、全て私の魔法によるまやかしだったというわけだ」

 「……まさか、幻を作り出せるとはね。戦った手応えも本物そのものだった。血しぶきまで再現しているし……もしかして、幻を見せているのか?」

 「ふふふ……《月夜の死神》ヒュプシス・レニーリョの神髄、味わって頂けたようで何よりだ」


 仰々しく名乗りを上げる《死神》。暗殺者がわざわざ名を名乗るなどおよそ有り得ないことだが、それだけ自信があるのだろう。彼女を連れて逃げ去ることに。それも、あまつさえ俺の口を封じた上で。

 とんでもない魔法の使い手だ。《月夜の死神》などという異名が付けられていることにも納得できるというもの。


 「ああ、正直驚かされた。大仰な異名が付いているだけある。少々、自信家すぎるきらいはあるけどな」

 「この状況でその態度を崩さない度胸こそ大したものだ」


 《死神》はこれ見よがしに、捕らえた少女の首元に細剣を当てる。身動きの取れない少女の目に恐怖が浮かんだ。


 「アンタとしてもその子を殺めるつもりは無いんだろう? 殺すつもりなら、こんなまだるっこしいことをする必要はないからな。『決して殺さず捕えてくる』───大方、そんな感じの“依頼”なんだろう」

 「どうかな? あくまで君を大人しくさせるための手綱にすぎないのだが。必要とあらば、この綺麗な首は次の瞬間にでも宙を舞うだろう」


 奴の脅しに、少女がビクッと身体を震わせる。恐怖に染まった目には涙が見え、俺は思わず舌打ちした。


 「……俺にどうしろと?」

 「そうだな、まずは武器を捨て、その場を動かないことだ。おっと、君自身はもちろん、そこの黒猫くんも大人しくしたまえよ?」


 死角から今にも奴に飛び掛からんとしていた黒狐猫チェレンも動きを止め、すごすごと俺の元に引き返してくる。

 仕方ない。

 俺も観念して、杖と短剣を地面に捨て───絶望をたたえた目をした少女に、パチンとひとつウィンク。

 ───大丈夫だよ。


 「……!」


 彼女にはちゃんと伝わったようだ。少女の瞳に光が戻った。

 《死神》は気付かず、満足げに魔法を紡ぎ始める。


 「ふむ、素直でよろしい。そのまま動かないでおきたまえ。君の大事なお嬢さんに傷を負わせたくなければね」


 そう言って《死神》は細剣を掲げ、目の前に幾つもの魔法の矢を展開。奴の目には嗜虐的な笑みが浮かんでいる。

 どうやら追い詰めた相手をなぶるのも趣味のようだ。


 「抵抗できない相手をろうってんのに、ずいぶん楽しそうじゃないか?」

 「ククク、それを愉しんでこその殺し屋というものだ。此度こたびの仕事は殺しの依頼ではなかったからな。ちょうど良い、歯応えのある獲物をほふることができるとは僥倖ぎょうこうだッ……!」

 「やれやれ、歪んでるねえ」


 血走った《死神》野郎の目を見て、俺はわざとらしく肩を竦めた。



 空には半月が鈍く輝いている。

 鋭利な魔法の矢が月光を受けて鋭く光り、俺の心臓へ向けて放たれた。


 「~~~~~~~~~~~ッ!!?」


 くつわを噛まされたお嬢さんが声無き声で叫ぶ中、放たれた“矢”が俺を貫く───


 「───大丈夫ですよ」


 彼女に対して、もう一度目配せ。

 いざ魔法の矢が届かんとしたその刹那、俺の手元にチェレンが飛び込んでくる。俺に触れた途端、黒狐猫の身体が溶け───鞘に収まった漆黒のつるぎへと姿を変えた。

 僅かに湾曲したその姿は、東方で打たれるという《刀》そのもの。


 「むっ───!?」

 「遅い」


 奴が反応するよりも早く、俺は鞘の一振りですべての矢を、鞘ごと剣を投げつける。

 剣は目にも留まらぬ速さで、まるで生きているが如く鞘の先端で奴の腹を突き飛ばした。


 「グホォッ!!」


 汚い悲鳴を上げて《死神》が吹き飛び、奴の腹を抉った張本人かたなはというと瞬きほどの間に俺の手元に戻ってきていた。俺はその剣を手に再度一振り。すると、先ほど消し去った、もとい奪った魔法の矢が勢いよく奴の四肢へ撃ち込まれる。


 「どうだい、ご自慢の魔法の矢の味は? 残念ながら、俺は味わう機会を逃してしまったものでね」


 まともに食らった《死神》は動くに動けず、そんな奴を尻目に俺は囚われのお姫様の元へ駆け寄り抱きかかえた。


 「きゃっ……」

 「キ、キサマ…………ッ!?」


 《死神》が歯噛みするが、気にせず少女を抱えて離れる。

 少し離れたところに彼女を降ろしたのとちょうど同じタイミングで、奴が悪あがきのごとく魔法の矢を再び放ってきた。

 だが───


 「悪いな、王手チェックメイトだ」


 俺は鞘から刀を抜き放ち、その勢いで虚空を一閃。


 「月の精霊よ。その“約”を我に───【寄越せ】ッ!!」


 斬撃は魔法の矢を切り裂き───淡い月光の下、揺らいだ景色とともに、一帯を覆っていた【打ち払った。




 「な……なっ……!?」

 「アンタの魔法、色々と制約があることは分かっていた。こんな大規模に使える上に精度の高いデタラメな魔法なら、最初のカフェの時から使っていたはず。なのにそうしなかったのに加えて、アンタの異名を考えてみれば大体予想はつく。《月夜の死神》……その名の通り、アンタが活躍するのは決まって夜。しかも、わざわざこんな広い場所で使ったことも合わせれば……この魔法の発動には、が必要不可欠なんじゃないか? ってね」


 この刀は魔法を食らう黒狐猫そのもの。奴の【幻影】が月光と不可分にあるのなら、その繋がりを断ち切ることなど容易い。

 これで、奴の奥の手は完全に封じた!


 「アンタの魔法は見切った。さあ、これでアンタの勝ち目は完全に無くなった! 大人しくお縄につきな。背後関係を喋れば命は助かるかもしれないぜ?」


 奴は暗殺者。報酬を対価に仕事を請け負う人間だ。ならば、その背後には依頼者がいるはず。暗殺ではなく誘拐が目的だったとしても、彼女の誘拐を目論んだ“黒幕”は他にいるのは間違いない。如何な危険人物とはいえ、この事件を解明するには貴重な重要参考人だ。少なくとも、すぐに命を奪われることはないはず。

 何にせよ、【幻影】が解けたことで周囲の目がこちらに向くのも時間の問題だ。もはや、投降する他に選択肢はない。


 「くっ……舐めるなァァ!!!」

 「ちっ……チェレン!!」


 叫び声とともに、奴の手中にある宝珠に魔力が収束する。まだ見せていない奥の手があったか!

 奴が投げた宝珠を躱しながら、俺はシャロン様をかばってチェレンの名を呼ぶ。

 それに応えるかのように手の内にある黒刀が狐猫の姿に戻ったかと思うと、さらに姿を変えて暗幕のように俺とシャロン様を覆った。そして次の瞬間、ドォォォンという耳をつんざく爆音とともに周囲が閃光に包まれた。




 「……逃げられたか」


 ようやく目と耳が回復した頃には、奴の姿は無かった。爆音と閃光に紛れて逃げおおせたらしい。

 凄まじい閃光魔法───あれは、閃光爆弾スタンフラッシュとでも呼ぶべき魔法具だ。実害は無いものの、チェレンが防いでくれた今でも目がチカチカする。あの威力、まともに受けたら気絶していたかもしれない。


 「……!」

 「ああ、すみません。今、ほどきますね」


 もがもがと呻く声で我に返り、シャロン様が噛まされている猿轡さるぐつわを外す。


 「はぁ……っ……! あ、ありがとうございます……」

 「いえ……危ない目に遭わせて申し訳ありませんでした」

 「いいえ、いいえっ……! あなたこそ、わたしのせいで危険な目に……!!」

 「なに、あれくらいどうってことありませんよ」

 「でも……でも……っ……!!」

 「……ええ。心配をおかけしました」


 涙を流しながら謝る少女を安心させるために、努めて笑顔を作ってみせる。目の前で命懸けの攻防を目にしたのだ、世間知らずのお嬢様には衝撃ショックも大きかっただろう。彼女の手足の縄を解きながら、何とかしてなだめ続ける。


 「というか、まずいな……」

 「え?」

 「今の爆発で周囲の目がこちらに釘付けになっています。このままここに居るのは……っ!」


 周りを見て状況を把握した瞬間、俺は彼女を抱き上げて駆け出した。


 「えっ、ええっ……!?」

 「話は後です! ここに居たら捕まる!」


 大きな爆発があった場所にいるのは、手足を縛られた令嬢と何処の馬の骨とも分からない男。誰がどう見たって、男が不埒な誘拐犯としか思わないだろう。


 「クソッ、冗談じゃない……! チェレンっ!!」


 周囲の人々の目が集まる前に逃げなければ。

 俺は相棒にひとつ指示を飛ばして、一目散に逃げる。黒狐猫は仕方ないなぁと呆れ顔で“目くらまし”を張った。たった死神から奪った【幻影】の魔法で、それっぽい二人組の映像を残したのだ。おそらくこの場を離れたら消えるだろうが、騎士たちの目を誤魔化すくらいならできるだろう。


 「あ、あああの、そのっ……!」

 「すみません! さすがに俺も捕まりたくはないので!」

 「はい、それはいいんですけどっ……もうちょっとギュッて掴まってもいいですかっ……」

 「そんなことなら、どうぞ幾らでもお構いなくっ!!」


 抱きかかえられた少女がこれでもかとしがみ付いてくるのを感じながら、俺は日の落ちた街並みを駆け抜けていった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る