9. 月夜の死神




 そこにいたのは、いかにも紳士然とした格好の見覚えのある男性。山高帽を被り煙管パイプを咥えた姿は、まさに絵に描いたような紳士と言えるものだった。

 次の瞬間、彼の周りの空中から、無数の鋭い何かが俺に向かって飛びかかってきた。これは、魔法で展開された“矢”!


 「ッ……悪くない速さだ」


 杖を一振り、目の前で一回転させると、俺の周囲に目に見えない魔法の障壁が展開される。奴の放った矢は全て障壁に刺さり、さながら空中で静止したように見える。


 「む……」

 「一歩間違えばハリネズミだったぜ。危ない危ない」


 仕掛けられていた“魔法の矢”を全て弾き飛ばして、俺は悠々を口笛を吹く。


 「やれやれ、全てバレていたとは。歩いている間に仕掛けようとした時も、貴方の警戒が厳しすぎて断念せざるを得なかった。どうやら予想していた以上に、君の力を見誤っていたようだ」

 「これだけ殺気を感じてれば警戒もするさ。吹き矢での奇襲もあったことだし、いつ襲ってきてもおかしくないと思うのはむしろ当然だろう」

 「私の存在に気付ける人間など、そうそういないのだがね」

 「飼い犬の匂いには敏感でね。アンタ、自分で思ってるほど隠れるのは得意じゃないみたいだぜ?」

 「少なくとも先程のお嬢さんはそのような気配は感じておられなかったようだが」

 「所詮は無害な犬だからな。なんならひとつ、『お手』でも仕込んで差し上げようか?」


 シャロン様が執事の元へ辿り着いたのを見届けた俺はそう言って振り向くと、杖を握り直して奴を見据えた。「ほら、お手」と手を差し出しながら。

 あからさまな挑発に奴の余裕のある態度が揺らぐ。


 「私にも自尊心プライドというものがある。これでも、《月夜の死神》と呼ばれてきた暗殺者だ。目的は果たせなかったが、せめて貴様の命は貰い受ける」

 「《死神》ね……どうも俺は、やたらとその名前に縁があるらしい。だが、そう簡単に命をくれてやるつもりはないね」


 得物を構えて対峙する。日の沈んだばかりで薄暗い広場の一角は人気ひとけも少ない。多少は手荒くしても大丈夫だろう。




 「ハァッ!!」


 奴は意外にも、短剣を手にまっすぐ飛びかかってきた。


 「《死神》さまは、存外に騎士道精神をお持ちのようで」

 「こちらも腕一本で成り上がる商売、真の強者には敬意を払いたくなるものなのだ」

 「それはどうも。名も無き一般庶民には過ぎたる評価だな」


 杖で突進を払いのけながら、ペースを掴ませないように距離を取る。

 言うだけあって、手強い。全く無駄のない動きから、的確に急所を狙ってくる。


 「《月夜の死神》……思い出した。帝都で暗躍していると噂の、凄腕の暗殺者だったか。狙った獲物は逃さず、決して痕跡を残さないために、一時期は命運を告げ魂を刈り取る死神の仕業だと囁かれていたとか」

 「ふむ、ご存じとは光栄だ。私もすっかり有名になってしまい、少々仕事に支障をきたすようになったのが不服だがね」


 いつの間にか敵は短剣だけでなく細身の長剣まで手にしており、流れるような二本の連携で広場の端にまで追い詰められていた。

 相手は間違いなく強者。実力は伯仲、いや相手の方が上かもしれない。


 「終わりだ」


 刃物のように冷たい声とともに、細剣が俺の首筋に突きつけられる。


 「……さて、どうだろうね?」

 「!」


 直後、奴の身体を衝撃が襲い、吹き飛ぶ。そのまま奴は短剣を落とし、倒れ込んだ。

 目の前に見えない壁を作り出す【障壁】の魔法だ。こうして直接相手にぶつければ不可視の攻撃にもなる。以前とある貴族から奪い取った魔法だが、効果が単純であるだけに色々と応用が利く。


 「チェレン!」


 奴のすぐ隣に回り込んでいた黒狐猫チェレンが短剣を咥えてこちらに跳び戻り、俺はその短剣を受け取ると奴の細剣を杖で防ぎつつガラ空きになった奴の左腕を斬りつけた。




 「グッ、やってくれたな……!」


 奴が顔をゆがめて叫ぶ。腕を切った際に鮮血が飛んだが、量は少ない。あれでは傷も浅いだろう。

 すぐさま起き上がり距離を取った敵は、左腕をかばいながらも細剣をかざし、魔法で“矢”を放ってきた。


 「くっ!」


 その場を飛びのいて矢を躱し、それでも避けきれなかった一部の矢を杖の一振りで吹き飛ばす。

 猛攻と言って良い攻め方。いよいよ手段を選ばなくなってきたらしいが───ふと、疑問が頭をよぎる。

 敵はなぜここまで執拗に攻めてくるのだろうか。自尊心を傷つけられたとはいえ、暗殺者が目標ターゲットでない敵を手負いになってまで追い詰めようとするだろうか。「狙った獲物は逃がさない」というのも昔の話。有名になった今では失敗したという噂も割とあった。真偽のほどはともかく、いつまでも一つの仕事の成否に拘っていては暗殺者などというリスクの高すぎる仕事を続けられるはずがない。

 見ると、奴の口元は僅かに笑っていた。


 「……まさかっ!?」


 慌てて振り返ると、そこには手足を縛られくつわを噛まされた姿のシャロン様が、俺と戦っていたはずの《死神》に拘束されていた。


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