8. オースティン広場にて
「……戻って、きた……!」
街の中心にある大広場───通称オースティン広場が見えてくると、シャロン様は目に見えて顔を明るく輝かせながら安堵のため息をついた。
日も沈みかかり、気の早い半月が空に昇っていた。
ふと、空気が揺らいだような気がしたが……この時間帯には
「どうやら、“門限”には間に合いそうですね」
「え……?」
何のことか分からないといった風に首を傾げるお嬢さん。
「大事な伯爵の娘さんが家を抜け出して、心配されないわけがないってことですよ。ほら、あの男性は、貴女にとって面識の深い方なのでは?」
そう言って、巨大な屋敷の裏手にある裏口に、目立たないようにして待っている初老の男性を指差してみせた。
「爺や……」
「きっと今までの“外出”も、ちゃんと分かった上で
「……そう、でしょうか……」
「信じられませんか?」
「……いえ」
まだあまり実感はできていないようだが、それでも思う所はあったのだろう。噛みしめるようにひとつ頷くと、彼女は思い出したように話を変えた。
「そういえば……わたしに、頼みたいことって何だったのですか?」
そういえばそうだった。無事に送り届けることに集中していたので、そちらの方はあえて話題にしないようにしていたのだ。
「正直、わたしにできることなんて何もないと思うんですが……」
「そんなことはありませんよ。魔法のウデは先ほどしっかりと見させて頂きました。貴女にならお願いできる……いえ、貴女だからこそお願いしたいことがあるのです」
俺の目を見て、それが本気であることが分かったらしい。自信なさげだった彼女の顔つきが真剣なものになった。
「あれを見てもらえますか」
そう言って、広場の片隅を指差す。そこには甲冑を纏った数人の騎士を中心として、大きな人だかりができていた。
「規則正しく一列に並べ。“魔法の火”を求める者は前へ! 決して列を乱すな」
騎士に整理されて整然と並んで待っている街の住民たち。彼らの向こうには、煌々と燃える大きな焚き火があった。普通の炎に比べてやや白い輝きを纏ったあたたかな光が周囲を照らしている。温められた空気が陽炎となって、向こうの街並みが揺らいでいた。
「あれは……」
「“魔法の火”の配布ですね。もうすぐ日も暮れますから、夜を越すために必要な魔法の種火が配られているんです。暖を取るのには、暖かく薪も必要のない魔法の火は最適ですから」
この街では、いやこのレンテラント帝国では、一部の古くからの貴族が使える「火の魔法」が人々の生活において重要な意味を持っている。
魔法の火は薪を消費せずとも一晩中燃え続け、暖かい上に魔力の源にもなる優れた魔法だ。帝国はこの魔法の恩恵によって、他では類を見ないほどに魔法技術を発展させてきた。魔力を消費して便利な機能を発揮する魔法具が庶民の家庭でも使われ、大規模な機械を動かし生産力を向上させてきた。大規模な紡績工場や帝国の諸都市を結ぶ鉄道などはその代表といえる。国王陛下のお膝元である帝都では、自動車───魔力による動力装置で、馬無しで自由に走る馬車も使われ始めているらしい。
絶対的な文明の発展と技術力によって、長らく大陸一の大国として君臨してきたレンテラント帝国。その繁栄を支えてきたのが“魔法の火”だ。一日に二度、魔法の火はこうして民衆に配られ、各家庭はその火によって生活する。寒さの厳しい冬の時期では特に、この魔法の火の配布は生死に関わる大事な日常の営みなのだ。
「よし、次。並んでいる者は、腕の魔法紋をすぐに見せられるようにしておくように」
列の先頭の女性の腕を確認し、騎士の一人が彼女の持っていた
「隊長! この女、魔法紋がありません!」
その時、一人の騎士が女性を連れて配布を行っている騎士に報告に来た。
「またか……魔法紋の無い異邦人には、魔法の火の配布は行っていない。速やかに立ち去るように」
隊長と呼ばれた騎士の言葉を受けて、他の騎士たちがその女性を引き離した。
「あれって……」
「旧来からこの国に住む者には、みな等しく生まれながらにして“魔法紋”が刻まれています。しかし、東方からの移民にはその魔法紋が無い。『“紋なし”の異邦人は、魔法を使うこと能わず』。それがこの国の古くからの教えであり、伝統として定められてきた
「はい……ですが、あんな風に困っている女性を追い払ってまで……」
「残念ですが、これが現実です。魔法紋のない人が扱うと魔法の火は暴発する危険があるとも言われていますが……それ以上に、帝国東部は移民が多い。中心であるこのレヴェンスの街は殊更に。人が集まれば軋轢も増え、この街は特に東方移民への反感が強いのです。危険性を名分にして、虐げているという側面の方が強いでしょうね」
「そんな……」
想像していた以上の現実に驚愕する少女。こうした施策を敷く統治者側の人間として、やはり思う所は多いのだろう。
何かを必死に訴える声が聞こえて、先ほどの女性に視線を戻す。
「そこをなんとか……! 主人が怪我をして、働くことができないんです! 薪を買うお金もなくて……このままだと、子供たちが凍えてしまいます!」
「……申し訳ないが、これも決まりなのだ。東街区には貧困者を受け入れる教会もあるので、そちらを頼るように。少なくとも暖は取れよう。凍え死ぬことはないはずだ」
立場上、厳しい表情を保ちつつもどこか歯痒そうな顔をして毅然と対応する隊長騎士。どうやら彼は温厚な人物であるらしい。かといって職務である以上規則に逆らうことはできないのだろう。
思わず歯噛みしてしまい、小さな黒狐猫が落ち着けと言わんばかりに肩に乗ってくる。
「俺は“紋なし”ではないですが、半分は移民の血が混じった半東方人です。“同胞”たちのために、誰もが安心して魔法の火の恩恵に預かれる環境を整えたいんですよ」
「それは……いったい、どうやって?」
「先ほど俺は貴女の火の魔法のチカラを借りて、魔法具であるナイフの機能を発現させました。それ自体は普通のことですが……それだけじゃなく、俺は他人の
「え……?」
理解が追い付かずお嬢さんは呆ける。魔法は貴族の特権であり、血筋により授かるものだと信じられていることからすれば、この話は突拍子もないものなのでこの反応も仕方ないだろう。
「そうですね……もう一度さっきの火の魔法を見せてもらえませんか?」
「? ちょっとで良いなら構いませんけど……」
そう言って頷くと、シャロン様は左の手のひらに白い“火”を出現させてみせた。
通常、魔法をこのように小規模に安定した状態で保持することは難しい。火の魔法や氷の魔法といった現象を引き起こす魔法の場合、魔法で形成したり出現させたものはそのまま飛んでいったり爆発して霧散することがほとんど。攻撃に使ったりする分には問題ないが、彼女のように手のひらの上のようなごく限られた場所に出現させ続けるためには相当な熟練を要する。それを苦も無くやってのけるのだから、このお嬢様が地位に胡坐をかいて怠惰を貪るような凡庸な人間でないことは明らかだ。親兄弟に引け目を感じているらしいが、こうして見ていると決して彼女が見劣りするようなことはないと思う。
「やはり、何度見てもお見事ですね。では、失礼して……チェレン」
名前を呼ぶと、俺の肩に乗った黒狐猫がひょいっとシャロン様の肩に飛び移る。
「ひゃっ!?」
突然飛びかかられた彼女は当然慌てて身体を硬直させるが、身軽な黒ん坊は気にすることなく悠々と彼女の左手に顔を近づけると、魔法の火をまるで“食らう”ように吸い込んだ。
「なにもこの子の肩にまで乗らなくても……すみません、驚かせましたね」
「い、いえ……今のは?」
「今の貴女の魔法を“回収”してもらいました。なので、ほら」
「これは……本当にあなたが?」
「ええ。といっても今のは魔法によって発動した現象そのものを掠め取っただけですが。でも、貴女の協力を得てしっかりとこの魔法の“根源”を突きとめれば、晴れて自分でも使えるようになります。そうすれば、優秀な知り合いの技師と協力して、それを魔法具に転用することもできる。俺たちは、誰でも気軽に魔法が使えるようになる魔法具を作りたいんです。“紋なし”の人たちでも魔法の恩恵に預かれる、
「……わたしに、できるんでしょうか?」
「魔法の使い手の才能が確かであれば、それだけ上手くいく可能性は高くなる。貴女であれば適任です」
「わたしが……」
シャロン様は胸に手を当てて、祈るように考え込んでいた。
このことに関しては信用してもらうしかないが……魔法を解き明かし、自分のものにするためには、その魔法の仕組みや根源がどこにあるかを探らなければならない。言わば、魔法の“正体”を解き明かすということ。そのためには元となる魔法の使い手が、その魔法について習熟している方が良い。その点、火の魔法を優れた精度で制御していた彼女は適任だ。ある程度時間をかけさえすれば、必ずモノにして見せる。そうすれば、魔法具作りまではあと一歩。
残念ながら俺にものづくりの腕は無い。だが、この手のことに関しては誰よりも頼りになる
今年の夏は寒波で作物が不作になり、例年よりも早い冬の訪れで周辺諸国では薪の消費が増え、薪や炭の値段が上がっているのがひしひしと感じられる。魔法の火さえ使えるようになれば、東街区の移民街のみんなが苦しまなくて済む。
「……わたしは、何をすればいいんですか?」
少女は真剣な顔で訊ねてきた。今の話を聞いて、協力してくれる気になったのだろう。優しい子だ。
「そうですね……では、まずしていただきたいことがあります」
「は、はいっ……!」
少女の背中が伸びる。
「───それは、一刻も早くお家へお戻りいただくことです。貴女のことを待っている人がおられますから。明日以降、もし貴女にその気があるのならば、またお伺いします」
「……あ……」
彼女は裏口で待つ使用人の方に目を向ける。あの老執事に気付かれるのも時間の問題だろう。
「……今日は、助けて頂いて本当にありがとうございました。このご恩は決して忘れません」
「いいえ。ご無事で何よりでした」
「あなたのおかげです。ミティオ、さん。《
「自分では、らしくないとは思っているのですが」
「そんなことない、です。今日のお返しは、必ずいたします。だから……その。また……会えますか?」
名残惜しそうにこちらを窺う少女。可愛らしい目でそう言われてはダメだとも言えない。
「ええ。お願いしたいこともありますからね」
「はい。いつでも訪ねてきてください。お待ち、してますね」
そう言って少女は去っていく。一度振り返った彼女に手を振ると、恥ずかしそうに小さく手を振り返して今度こそ屋敷の方へと走り去っていった。
そんな彼女を見送りながら、俺はひとつため息をつく。
「さて───」
俺は杖を手に取ると、後ろに隠れている人物に声を掛けた。
「二度も同じことを許すほど、俺は甘くねえぜ?」
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