5. 白の娘




 貴族とは何か。

 この帝国の基盤を支え、統治する支配者層。建国当時から国王を支えてきた忠臣。武勲によって叙され、土地を守り続けてきた者。大きな功績を上げて任じられた新興貴族。いずれにせよ、彼らは血筋によって統治者としての資格を示している。

 とはいえ、由緒ある家に生まれたからといって、必ずしもその人物が優秀であるわけではない。無能な貴族は幾らでもいるし、庶民の中にも優秀な者はたくさんいる。実際、事業や商売によって下手な貴族以上に裕福な平民はいるし、帝都では平民出身の政治家や官吏も台頭してきている。

 しかしそれでも今なお貴族が血統を尊び、支配者として君臨し続ける理由。それが“魔法”に他ならない。

 魔法とは、理論上は誰もが会得し、操ることのできる技術。ただしその発動は困難を極める。そもそも魔法を使うには人間の持つ魔力の量は少なく、仮に足りたとしても発動や制御にも非常に高度な技量が求められる。膨大な魔力と、高い技術。そしてそれを可能とする長く地道な鍛錬。魔法とは、人間が扱うにはとても現実的なものではない。───限られた一部の人間を除いては。



 そんな“魔法”を、生まれながらにして自由に扱える人間が存在する。とある特定の魔法に限ってではあるが、親から子へ、魔法の才が受け継がれる形で、生まれつき魔法を使える人間がいるのだ。普通ではあり得ない摩訶不思議な現象を引き起こす“魔法”は、畏怖や敬意とともに、ひとつの才能となってこの国の歴史に大きく貢献してきた。

 そんな特別な存在こそが、貴族。魔法を使える人間は、多くの場合その力をもってして貴族となり、この国の発展に寄与してきた。ゆえに、多くの貴族には代々受け継がれてきた独自の“魔法”がある。その中には、この国を根底から支える極めて重要なものもある。特別な才能である魔法を一般的に使えるように編み出された、この国の発展を支える汎用魔法技術。その原動力となる“火の魔法”は、伝統貴族と呼ばれる、古から続く高位の貴族家にのみ与えられた特別な魔法だった。




◇ ◇ ◇





 「───ひとつ、名前を当ててご覧に入れましょう。《白の娘》の名を冠する伯爵令嬢、シャロン・オースティン様。それが、貴女のお名前ですね?」

 「っ……!?」


 名前を言い当てられて、少女は怯えるように息を飲んだ。ハッとして周りを見回しているが、遠くの席に男性が一人いるだけ。誰かに聞かれることは無いだろう。


 「身なりや振る舞いから考えても、貴女が高貴なお生まれであることは間違いありません。そして、そうしたご婦人方で髪を短くされている方は稀です。今、社交界では奇抜な……えーと、特徴的な髪型が人気だそうですからね。ならば、何か髪を隠したい理由があると考える方が自然です。そして何より、その紅い見事な魔法紋。ふるくからの伝統的な貴族の方にのみ受け継がれる紅き魔法紋は、この国でも限られた者しか持ち得ません。それを生まれ持った御令嬢となると……おのずと答えは出るのではありませんか?」

 「……参りました。全部、あなたのおっしゃる通りです」

 「いえいえ、大した推理ではありませんよ。それに、先ほどの方々も貴女の正体を知っていたからこその“お客さん”だったのでは? 貴女のようなお方に、あのような知り合いがおられるとは少々想像しづらいですからね」


 潔く正体を認めたお嬢様───シャロン様へ問いかけると、彼女は先ほどまで追いかけられていたことを思い出したのか、自分の身体を抱くようにして身を震わせた。


 「すみません、嫌なことを思い出させてしまいましたね」

 「いえ……。なぜあのように襲われたのか、わたしにも分からないんです。一人で出歩くのが危ないのは知っていますし、気を付けていたんですが、まさかあんなに大勢で襲われるなんて……」

 「ふむ……?」


 何やら思う所ありそうな彼女の雰囲気に、少し間を置いて続ける。


 「まずそもそも、どれだけ気を付けていても女の子一人で街を出歩くのは危険です。ましてや貴女が高貴な身分であるのは少し見れば判りますからね。悪知恵の働く人間があのように群れて襲ってきたとしても、不思議とは言えない」

 「はい……」

 「貴女は決して愚かな人ではない。だからこそ気になってしまいまして。何かこう、危険を押してでも一人で出てこないといけない理由があったのではないかと」

 「それは……その」


 少女は口ごもる。

 どうやら複雑な事情がありそうだ。厄介ごとの匂いがするが、のためには好感を得ておくのも悪くないはずだ。


 「一人で来ていたのには、特に深い理由は無いんです。ただ、ちょっとだけ家を抜け出したくて……それでも、こんなことになるなんて思ってもみませんでした。一人で出歩くのは危ないということは知っていたんですけど、実感が伴っていなかったというか。父からも厳しく言われていたのに……」

 「お父様とは上手くいっていないのですか?」

 「いえ……でも、この髪のせいで、何かと等閑なおざりにされがちなんです。わたしには、優秀な姉もいれば跡継ぎになる弟もいます。きっとお父様にとってわたしは、いてもいなくても変わらない存在なんでしょうね……」


 少女は伏し目がちに愚痴をこぼす。

 こう言ってはなんだが、よくある些細な親兄弟とのすれ違いのように思える。こうして質の良い服を与えられ、何不自由なく暮らせているのならば十分に愛されていると言っていいはずなのだが、そうした親の愛情とは伝わりにくいものなのだろう。

 何にせよ打算的に考えるのならば、彼女が家のことに不満を持っているというのなら好都合だ。このまま話を聞き続けて、本来の目的のために協力してもらうことも不可能ではないだろう。


 「なるほど、おつらい立場におられるのですね。お父様も貴族としてのお役目があるのでしょうが、もう少しお嬢様へも目を配っていただきたいものです」

 「はい……すみません、初めて会った男の方に、こんな話をしてしまって」

 「いいえ。ご婦人の悩みに寄り添うことも帝国紳士としての務めです。お気になさることはありませんよ。なんなら、もう少しお話しして頂いても───」




 そう、続きを促そうとしたところで、彼女の向こうに見える男性客の姿が目に入った。悠々と煙管パイプを取り出して吸おうとしているように見えるのだが、それにしては様子がおかしい。普通、煙管パイプを吸うのであればあのように両手で掲げるようにして持つだろうか。あれでは、まるで───


 「───ッ!!」

 「え……」


 俺は自分の帽子を手に取ると、少女の真後ろに向かって投げた。


 「【止まれ】!」


 水の魔法で作り出した【泡沫】により、投げた帽子が泡のような水の膜に包まれる。そしてその魔法の泡は、少女の背中をめがけて飛んできた見えないほどに小さな“針”を受け止め、はじけた。

 あれはおそらく……。遥か遠方の狩猟民族より伝来し、その携行性と隠密性ゆえに古来より暗殺の手段として使われてきたといわれる。実際に使われたという話を聞いたことはなかったが……


 「え、え、え……?」


 突然のことに戸惑うお嬢さんをよそに、下手人である向かい側の席の男性は慌てて走り去っていく。


 「ちっ。あれは……追いつけませんね」

 「いったい、何が……」

 「気を確かに持って頂きたいのですが……どうやら、もう一度襲われたようです。おそらく先ほどの襲撃は、僕を含め油断させるための陽動。“もう終わった”と、安心させるためのね。今の襲撃こそが本命でしょう」

 「そ……そんな……」


 へたっと崩れそうになる少女の肩を支える。

 事ここに至って、何か大きな陰謀に巻き込まれつつあることを実感した。

 俺がウワサを元に街でこの少女を見つけ、正体を察して目を付けたのはあくまで偶然だったはずなのだが。

 彼女の“火の魔法”……そのチカラを借りるまでは、彼女の身に何かあってもらっては困る。それに……




 「……お嬢さん、お手を。もう一度場所を変えましょう。話の続きはそこで。どうやらお互い、よく話し合わなければならないことがあるようです」


 案外簡単に終わりそうな仕事だと思った矢先に、この有様。上手くいきそうな時ほど、想定外のことは起こるものだ。街一番の家の御令嬢に関わると決めた時点で、こうなることは決まっていたのかもしれない。

 厄介なことに巻き込まれたことを呪いつつ、俺は少女を連れて街の雑踏の中を足早に歩いていった。


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