プロローグ・後 逃避行(?)




 屋根から屋根へと飛び移り、あっという間に屋敷から遠ざかる。

 わたしを抱えたままぴょんぴょんと月夜の街を跳び回る彼は、愉快そうにわたしの目を見て訊ねた。


 「逃避行、成功ですね。どうですか、気分は?」

 「えと……その、ドキドキしてます。落ちません、よね……?」


 こんな風におよそ手も届かないような長い距離を跳ぶことができる“魔法”の存在を、わたしは知っている。でも、彼がその魔法の使い手だなんて……それに、わたしの知っている風の魔法のそれと比べても、彼の跳躍はあまりに無理なく着地できている。よく知るあの子の【跳躍】は、もっと勢いに任せた飛び方なのに。

 そこまで考えてから、わたしは彼がどのような人だったかを思い出す。『大いなる“火”の魔法を頂戴しに参上致します』。そう───彼は、他人の魔法を“盗み出す”ことができるのだと。


 「ご心配なく。飛ぶのはもう慣れていますし、決して貴女あなたを落としたりはしませんよ。たとえばほら、こんな風に手を離しても───」


 そう言って彼はひと際高い煙突の上で、わたしを支える手をパッと離してしまった。


 「えっ……!?」


 当然、支えるものを失ったわたしの身体はまっすぐ下に落ちていく。


 「いっ、いやああああああっ!?」


 あっ、わたし、落ちて死んじゃう───!


 「───大丈夫。何があってもこうやって、必ず助けますから」


 次の瞬間、パッとわたしの隣に現れた彼に再び抱きかかえられ、そのままふわりと着地してわたしを屋根に降ろした。その時、雨でもないのに水の雫が周囲を舞ったような気がした。

 足元の屋根の感覚を確かめる。わたし、死んでないよね?




 「……ね?」


 イタズラっぽくニヤリと笑う彼の胸を、わたしは両手でポカポカと叩いた。


 「もう、もう、もうっ! 死ぬかと思ったじゃないですかぁ……!!」

 「あっはは、これは申し訳ない。折角せっかくの夜のお出かけ、ハプニングのひとつもあった方が刺激的で良いでしょう?」

 「ううう……!」


 からかわれていることに納得はいかないものの、さっきから新しいことの連続で胸がドキドキしっぱなしなのは確か。

 わたしは拗ねるように彼にしがみつく。


 「もう、絶対に二度と離さないでください、ね……?」

 「ははは。ええ、お嬢様の仰せのままに」


 たっぷりと芝居がかったうやうやしい態度でお辞儀をしながら応えると、彼は再びわたしを抱きかかえて、夜の街を飛び回りはじめた。




◇ ◇ ◇





 「さて、この辺りでいいでしょう。大変失礼をいたしました」


 内心ビクビクしながら、健気にも平気そうな顔をして優雅な空中散歩を楽しんでいたお嬢さんを、はゆっくりと地面に降ろした。

 盗賊の真似事なんてのも案外疲れるものだ。無事に逃げおおせたから良いものの、もう一度味わいたいような類の経験ではなかった。


 「……」


 今まで部屋の中にいたからか、この冬の入りの季節にも関わらず彼女は軽装だ。自分のマントを着せてやると、白髪の少女は座り込んだまま、ぽーっと呆けて顔を見つめてくる。

 雪のように見事な白い髪が月の光に映えていて絵になる光景だ。そんな彼女の宝石のようなみどり色をした美しい瞳が、言葉もなくじっとこちらを覗いている。


 「……お嬢さん?」

 「はっ!? い、いえっ、ありがとうございますっ!」


 どこか怪我でもしたのかと心配して顔を覗き込むと、彼女はハッと我に返って立ち上がった。


 「あの、連れ出してもらっておいてなんですけど……いくら何でも、さっきのはダメだと思います」

 「さっきの、とは?」

 「さっき煙突の上で、わたしを落とそうとしたアレです! 本気で死んじゃうかと思ったんですから……」

 「それは申し訳ないですが……論より証拠、百聞は一見に如かずとも言いますから。実際に安全だと体験して頂くのが一番かと思いまして」

 「ウソです! わたしの反応を見て、楽しんでたんでしょう!?」


 すっかり調子を取り戻したお嬢様がむくれる。怒っています! と言わんばかりに前髪がぴこぴこ跳ねていた。


 「あんなの、つつしみ深い深窓の令嬢たるわたしには刺激が強すぎます!」

 「慎み深い方は普通、下町を出歩いたり自らを『深窓の令嬢』などと言ったりはしませんが……」

 「そのうえ、……『何があっても必ず助ける』なんて……」

 「ん?」

 「な、なんでもありませんっ……!!」


 ぷんぷん怒りながらそっぽを向くお嬢さん。そんな様子も可愛らしいのだから、美人というのは大概、得である。


 「……それに、喋り方も。『堅苦しい喋り方は苦手』じゃなかったんですか? 今度は一体どんな物語を参考に……」


 頬を膨らませたまま、不満げな顔でジト目。むくれる様子は年相応で可愛らしいが、そこには有無を言わせない圧力も感じる。


 「……敵わないな、君には」

 「ええ。これでもわたし、悪い大人にたぶらかされた悪い子ですから♪ ね、? 丁寧すぎるその喋り方も、慣れてない感じがしてキライじゃないんですけど。なんだかちょっと面白いし」

 「はぁ、勘弁してくれ。本来こういうの向いてないってことは知ってるだろ? 付け焼刃で無理矢理やってるんだ、これでも頑張った方だぜ?」

 「ふふふ、そうですね。褒めてあげた方がいいですか? えらい、えらいです」

 「嬉しくねえなぁ……」


 一転してからかってくるお転婆お嬢様にため息を吐きつつ、俺は口調を崩した。

 実は俺が今しがた“盗み出した”彼女とは、決して今日が初対面ではない。これ以前にも二度ほど会ったことがあって、すっかり意気投合した……というよりも、一方的に懐かれたと言うべきか。それから色々と事情があって今回、このような連れ出し方をすることになってしまったのだが……

 しかしやはり女の子は、強い。天性の無邪気さと自身の魅力を知らずと使いこなしている。男を惑わせる魔性の女とは、このようにして生まれるのだろう。六つも歳の離れた女の子を相手に、言いように振り回される大人というのも如何なものか。そう客観的に自分の置かれた状況を分析しかけて、止める。考えたら情けなさが襲ってきそうだ。




 「それはそうと……ここは?」

 「東街区の中心にある広場だ。日中はここで、“魔法の火”の配布が行われてる」

 「魔法の火……」


 場所を聞かれて答えると、“魔法の火”については思う所があるのか、お嬢さんは自分の左手に目を落とす。手の甲には、紅色に刻まれた魔法の紋様があった。




 「……おねがいします……どうか魔法の火を分けていただけませんか……?」


 ふと、近くから声がする。か細い女性の声だった。見ると、近くの家の玄関先で物乞いのように家の人に縋りつく痩せ細った女性がいた。


 「ああん? アンタみたいな“紋なし”が魔法を使おうなんて百年早いんだよ。向こうへ行きな!」

 「そこをなんとか、お願いします……! 主人のケガが治って働けるようにならないと、子供たちが飢えてしまいます……!」

 「アンタらのような紋なしの余所者が近くにいるからお貴族様たちが機嫌を損ねて、偉い人の顔色ばかり窺う商人たちも売り渋るから物の値段は上がるばっかり! 食べ物が手に入りにくいのだって、元々はアンタらのせいじゃないか。こっちこそ迷惑なんだよ、頼むから街から出ていってくれ!!」


 松明を持った目つきのキツい女性にやせ細った女性が縋っていたのだが、張り倒さんばかりの剣幕で怒ったキツ目の女性は威嚇するように吐き捨てて去っていった。


 「あれって……」

 「……ああ」


 魔法の火を求めて家々の玄関を訪れる女性。だが、まともに取り合ってくれる人はいない。


 「あの……大丈夫ですか……?」


 俺の隣にいたお嬢様が、見るに見かねて疲れ切って地面に倒れ込んだ女性に声を掛けた。近くでよく見ると、彼女の身体は無数のすり傷や殴られた跡があった。おそらくは……今のように魔法の火を無心しに行った先で、力づくで追い払われたこともあったのだろう。


 「主人が……主人のケガが治らないと、私たちは……!」

 「それは、魔法具ですか。ケガを治し、病気の治りも早くする自然治癒力を高める魔法の込められた……よくこんなものを手に入れられましたね」


 女性が手にしていたのは、小さな注射器のような形をした魔法具だった。針は付いていないが、魔力を込めて使うと極めて効果の高い【治癒】の魔法が発動する高性能な魔法具。ただし必要とする魔力も尋常ではなく、到底人間が己の魔力だけで賄えるような代物ではない。そして何より、効果が効果だけに値段もまた高価なのだ。べらぼうに。


 「……はい。かなり無理を言って譲っていただきました。代金は半年後で良いと言っていただいて……」

 「それは……」


 正直、この女性を見ている限り、ご主人に前借りしたお金を返せるほどの収入があるとは思えないが……


 「それで、その魔法具があればご主人が治るんですよね?」

 「はい……ですが、これを動かすだけの魔力が足りないんです。私たち“紋なし”の人間には魔法の火は分けられない、といって……」

 「っ……!」


 シャロンは思わず唇を噛む。

 実は俺たちは、この女性を以前にも見かけたことがあった。魔法具を動かす魔力の源であり、普通の火の代わりにもなり今や生活に必須のものとなっている魔法の火の配布を、彼女が“紋なし”であることを理由に断られる場面を。




 「“魔法紋”。誰もが生まれ持った、精霊に愛されたことを示す不思議な紋様……」

 「ちょっと違うな。この地方の生まれではない人々の手に魔法紋はない。ましてやその美しい紅き紋様は、古き王家の血を引くあんたたち伝統貴族の特権だ」

 「……わかっています」


 シャロンは自分の左手と俺や女性の左手を見比べている。複雑で幾何学的な彼女の紅い魔法紋と違い、一般庶民である俺の紋様は単純な黒い刺青いれずみのようなもの。痩せた女性の方は何もない、綺麗な細い手をしていた。

 魔法紋とはこの地方の人間だけが生まれた時から持っているものであり、その人の血筋と身分を否応なく示すものでもある。そしてシャロンの紅い紋様は、全ての魔法の力の源になる“魔法の火”の魔法を使える、伝統的な高位貴族の象徴だ。逆に、この魔法紋を持たない人間はこの国の外からやってきた移民たちであり、彼らは魔法の恩恵から遠ざけられ、冷遇されている。


 「あの……魔法の火さえあれば、ご主人のケガは治るんですよね?」

 「は、はい……あ、あの、あなたは……?」


 不思議そうに不安げな目線を向けてくる女性。シャロンは何も答えず、手のひらを上に向けて左手を差し出した。そして───


 「【火よ】」


 彼女が唱えた瞬間、紅白い炎が彼女の手のひらの上に巻き起こった。


 「っ!?」

 「はぁ……ったく」


 女性が驚きのあまり目を丸くして、俺はやれやれとため息をついた。シャロンはそんな俺を訊ねるように見上げてくる。


 「これで、足りますか?」

 「いいや、まだだな。この魔法具、見たところ消費する魔力がバカみたいに多い。ちょっとした傷を治すくらいならできるだろうが……」

 「問題ありません。もっとですね?」


 シャロンがさらに集中して念じると、彼女の手から天を突くかのような巨大な火柱が上がった。


 「バカ、何こんな目立つことをしてんだ!」

 「これで足りますよね? まだダメならもっといけますけど」

 「……はぁ、これだからこの子は。ああ、十分だよ。ご婦人、その魔法具をお貸しいただけますか?」


 俺は女性から【治癒】の魔法具を受け取ると、魔法具にシャロンの炎を吸い込ませる。中央にある宝石のような核に光が灯り、俺はそのまま女性に魔法具を向ける。


 「……あ……」


 俺が魔法具のボタンを軽く押すと女性は淡い光に包まれ、次の瞬間、女性の身体からはアザもすり傷もすべて消え去っていた。


 「上手くいったな。紛い物を掴まされてるんじゃないかって心配してたが、モノは歴とした本物みたいだ。これなら相当な大ケガでも治せるだろう。早く旦那さんの所へ行って治してあげてください」

 「あ、ありがとうございますっ……! このご恩は決してっ、決して忘れません……っ……!!」


 何度も頭を下げ、女性は足早に去っていった。




 「やれやれ。シャロン、俺たちの置かれている状況を忘れているんじゃないか、君は? 俺は君を連れ去った誘拐犯だし、君は実家を飛び出した家出少女だろう。どこにいるのかバレたら終わりってこの状況で、こんな目立つような真似をするなんてよ」


 火の魔法を使える人間は限られている。それこそ、この街で使える人間といったら彼女たちオースティン家の人間だけだろう。そんな火の魔法を惜しげもなく人前で使って見せた。あの女性とて、彼女が何者であるかということを朧気おぼろげながらも察したことだろう。本来魔法が使えるはずがない人物が、膨大な魔力を要する魔法具を使って夫のケガを治したという事実。それが知れ渡って、足が付くのも時間の問題だろう。今晩のうちはまだ大丈夫だとしても、朝になれば街の騎士団も一気に動き出すはずだ。


 「いいんです。これは、わたしたち貴族が生み出している問題なんですから」


 そう言って彼女は再び自分の左手の甲を見る。


 「魔法紋。これのせいで、余所者だの何だのと、不当に虐げられている人達もいるんです。生まれ持ったこんな紋様ひとつのせいで……。こんなもの、いっそ無くなってしまえばいいのに。せめてわたしに、魔法の恩恵に預かれない人がいる現状を、少しでも変えるだけの力があれば……」


 吐き捨てるように呟く、この街一番の御令嬢。まだ幼さの抜けない見た目に反して、その心の在り方は人々の上に立つ者として相応しいものだった。


 「魔法紋これの有る無しで解決するほど簡単な話じゃない。移民の問題は根深い。……ただ、その心意気は立派だと思うよ」

 「……」


 “自称”深窓のお嬢様は何も答えない。本当に世の中を知らない貴族の箱入り娘だったならばそもそも世の理不尽を知るはずもないのだから、この少女が凡百の名ばかり貴族たちとは違うことは明らかだ。それゆえにこうして思い悩み、大胆にもほどの行動力と決断力。



 何を隠そう、この「誘拐」を提案してきたのは彼女の方なのだ。お忍びで下町に出てきていた彼女と知り合い、とある“協力”を求めたところ、逆にこの狂言誘拐を提案された。市井に出てこの街の実情を知り、理不尽に苦しめられている人たちを救うための手伝いがしたい、と。

 相手はこの街一番の権力者。下手に断って父親に喋られでもしたら、こちらの身が危ない。必要に迫られて伯爵家の人間と接触する機会を探っていたのは俺の方だし、ある意味では渡りに船ではあったのだが、よりによって相手がこんな《劇物》だとは想像もしていなかった。とんだ誤算もあったものだ。

 巻き込まれたこちらとしては良い迷惑だが、それを笑って許せる気がしてしまうのも彼女の魅力が為すわざなのだろう。高位貴族の娘でありながらも人を惹きつける魅力と、大胆な行動力。将来、この国の行く末に大きな影響を与える存在になることは間違いない。

 それに俺とて半分は移民の血が混じっている身だ。同胞たちの立場を憂いてくれることには素直に好感を持てるし、彼女の“火の魔法”を手に入れようと思ったのも半分以上はこの街に暮らす東方移民たちの生活を良くするためだ。彼女の火の魔法は文字通り生活を一変させるだけの力があり、俺には───“のだから。


 「まあその話は明日以降に追々な。すぐに捜索も始まるだろうし、朝には検問も敷かれるだろうから、まずは安全な場所に身を隠すのが先決だよ」

 「あ、はい。そうですね……」


 そんな未来の女傑をもってしても、今回のこれは一世一代の家出だったようで、さすがに不安そうな様子を隠せていない。それに、いつまでもこの場に留まっているわけにはいかない。夜中とはいえ、娘を連れ去られた伯爵家が何もせずに指を咥えているはずがないのだから。

 そう言い聞かせてこの場を離れようとしたのだが、何故か彼女はそれに渋った様子を見せた。


 「どうした?」

 「あ、あの、えっと……」


 もじもじと躊躇ためらいながら、少女はやがてひとつのお願いを口にする。


 「少しだけでいいので……この辺りを歩いてみてもいいですか? その、一緒に……」

 「……こんな夜中に? 開いている店も無い、何の面白みもない危険なだけの夜道だけども」

 「いいんです! 歩いてみたいと思ったんです。ほら、月も綺麗ですし……」


 そう言われて見渡してみると、なるほど月明かりに照らされた広場はある種の幻想的な雰囲気を醸し出していた。たしかにうたになりそうな場面と言えなくもない。

 稀代のお転婆娘であっても、その感性はどこにでもいそうなひとりの少女にすぎないのだと、妙な感心を覚えた。いや、むしろこの状況でそんなロマンチックな思考を巡らせられる図太さを褒めるべきか。


 「夜の街を散策ね……あの、『木蓮の騎士』の二人みたいに?」

 「……はい」

 「はぁ。仕方ないなぁ」


 やれやれとため息を吐きつつ、キリッと顔つきを整える。


 「ではお嬢様、お手を。あまり長居はできませんので、ご了承くださいね」

 「は、はい……」


 丁寧な口調に戻しながら、顔を赤らめておずおずと差し出す少女の手を取った。



 どうしてこんなことになったのやら……

 俺は少女を連れて歩きながら、この数奇な誘拐劇に至るまでの経緯を思い返した。


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