第2話 しあわせ?

 伯爵家の片隅にある小さな部屋。

 そこで私は、膝を抱えながら天井を見上げていた。


「どうして、こうなったのかな」


 呆然と呟いた声が、ティリスと私しかいない部屋に消えていく。


「マジでやばくない?」


 そんな言葉しか出てこない。


 私の肩に手を置いたティリスが、軽く膝を曲げて、視線を合わせてくれた。


「原因は、お嬢様がお怒りになられたからではないですか?」


 キツい言葉とは裏腹に、緊張の色はどこにもない。


 ティリスなりの励ましなんだと思う。


「それはそうなんだけど……。でもさ!」


 悪いのは、全部、あの薬屋!


 私は絶対に悪くない!


 私が決算書の不備を指摘したら、会計士が出てきて、弁護士が出てきて、最後は社長まで登場する始末。


上を下への大騒ぎ! って感じだったんだけど、


「あいつら全員、意味不明な言い訳ばかりだったじゃん!」


 意味不明すぎて、イライラした。

 だから私は、なにがどうやばいのかを優しく説明した。


 その結果が、関係者全員が伯爵家に集まりって、裁判をすることに。


 ぶっちゃけ、やり過ぎたと思ってる。


「……反省してます」


 いまの私は、ライトノベルの悪役令嬢に転生した身だ。


 前世で読んだその物語は、婚約破棄から大逆転する王道のストーリー。


 だから私は、普通に生活していれば、幸せになれる人生だった。


 それなのに、


「見て見ぬ振りが出来ませんでした……」


 可愛い子がムチで打たれていたら、助けたくなるよね。


 でも、もうちょっと穏便に出来たよね……。


 そう思っていると、ティリスが誇らしげに笑ってくれた。


「あの時のお嬢様は、本当に輝いていました。ステキでしたよ」


「……うん。ありがと」


 でも、輝いていいのは、婚約破棄の後からなんだよね。


 プロローグが始まる前から目立ってしまう主人公ってやばいでしょ。


 バッドエンドに向かっていたらどうしよう。


 いまからでも軌道修正をしないと!


 いまの私は、周囲にいじめられて悪役に落ちてしまう令嬢!


 役に入り込みますわ!


 そう自分に言い聞かせていると、コンコンコンとドアを叩く音がした。


「姉さん、入っていい?」


「アルスト?」


 姉弟の中で唯一心を許せる弟--アルストの声だと思う。


 膝を抱えたまま顔を上げると、ガチャリとドアが開いた。


「やっほー! なんだか、面白いことをしたみたいだね!」


 目をキラキラ輝かせた弟が、部屋の中に入ってくる。


 ドキドキ、ワクワク。そんな感じ。


 幼い印象を受けるけど、笑顔の裏に企みがありそうで怖い。


「私としては、全然面白くないんだけど」


 本当に不本意の結果だからね。

 面白くなんてないよ?


「まあ、そうだよね。お父さんは姉さんのこと、すっごい嫌いだもんね」


「……うん」


 可愛い笑顔を浮かべながら、毒のある言葉を吐かないでほしい。


 この街の裁判長は、伯爵様ひとりだけ。

 彼は私のことが大嫌いで、薬屋のスポンサーでもある。


 私は明らかに不利な立場なのに、弁護士がいない。


 そもそも、婚約破棄される前に目立ったらダメだからね。


「一ヶ月の自宅待機くらいにならないかなー、って思ってるんだけど、どう思う?」


 最初に私が、『ごめんなさい! 勘違いでした!』って謝って、周囲に笑われて終了。


 そこからは、自分の部屋に引きこもるスローライフ。


 うん! むしろ、そっちの方が幸せじゃない?


 そう思っていると、弟が笑みを深めた。


「それで? 本当の勝算はどのくらい?」


「ん……?」


 なんのはなし?


「姉さんのことだから、面白い攻略法を隠し持ってるんでしょ?」


 弟は、周囲を流し見たあとで、懐から紙の束を取り出した。


「はいこれ。薬屋の決算書。必要な部分だけを抜粋してみたよ」


 素直に受け取り、パラパラと流し見る。


 確かに、あの薬屋の決算書だ。


 私が指摘したやばい箇所だけ。余すことなく記載されている。


「これ、どうしたの?」


「頑張って解読して、書き出してみた!」


「えーっと……」


 私の弟は、前世持ちじゃないはず。


 13歳になったばかりだよね?


 決算書が読めるって、本当に13歳?


 本編にはモブキャラとしての登場シーンしかしないから、余計に、この子の将来が怖い。


 肩をすくめる私をよそに、弟が首を傾げた。


「ここって、潰れるよね? 僕には、そんな未来しか見えないんだけど」


 天井を見上げた後で、目を閉じる。


 軽く首を横に振った後で、私の目を真っ直ぐに見つめた。


「でもさ。姉さんは、そんな面白くない物を拾ってきたりしないよね?」


 キラキラとした目が私を見ている。


 この弟は、姉である私のことをなんだと思っているのだろう。


「面白くないもなにも、たまたま目に止まったから、首を突っ込んじゃっただけだよ?」


 心の底から後悔してます。


「そう言って、また変なことをするんでしょ? そこのメイドさんや庭師さんの時みたいに」


「……」


 私たちの後ろにいるティリスが、クスリと笑った。


 彼女は、庭で死にかけていたから助けた。

 予想以上に優秀だったからメイドとして雇うことになった。


 ただ、それだけ。


 庭師のジェフの時もほとんど一緒。


「べつに、面白いから拾った訳じゃないんだけど」


 そんな私の抗議を無視するように、弟は笑みを深めた。


「で? で? 今回は、どんな面白いことになるの?」


「あのね? 面白いことなんてなにも--」


「大丈夫! 詳しいことは聞かないから! 次回予告くらいのやつをお願い!」


「……」


 えーっと、話を聞いてくれないかな?


 本当に、謝って終わるだけだからね?


 まあ一応、


「この薬屋を立て直す手段は、持ってはいるけどさ」


 私が目立っていいのは、婚約破棄のあとから。


 一瞬だけ鞭を打たれる少女の顔が浮かんだけど、私は慌てて首を横に振った。


「教えて、姉さん! ちょーっとだけでいいから!」


「……」


 どうしよう。

 私の弟が可愛すぎる。


 まあ、実際にはしないから、教えるくらいはいいかな? 


「えっと、不良債権になってる部署を切り捨てる。そしたら、本体は生き残るでしょ?」


「んー、それは、そうかも……」


 胸の前で腕を組んだ弟が、うんうん唸っている。


 そうしてなせが、コテリと首を横に倒した。


「でもさ。なんとなーく、姉さんらしくないよ? ほかにもあるんでしょ?」


「……まあね。切り離した後で、そのダメな部署にテコ入れをして、利益が出るようにする、かな?」


 一応だけど、テコ入れの案もある。


 そう思っていると、弟が目を輝かせた。


「さすが姉さん! テコ入れの勝算は、どのくらい?」


「……8割?」


「ほへー! すっげー!」


 弟は両手で私の手を握り、ワクワクとした笑みを浮かべる。


 決算書を回収して、クルリと背を向ける。


「僕は先に準備してくるねー」


 そう言葉にしながら駆け出した。


 ドアの前で立ち止まり、チラリとだけ振り返る。


「婚約破棄と子供達の幸せ、どっちがいいか考えておいて。それじゃ!」


「え? あっ、ちょっと!」


 私の制止は聞かずに、弟は軽い足取りで部屋を出て行く。


 婚約破棄と、子供たちの幸せ?


 意味がわからない。


 だけど、この部屋で待機しろって言われてるから、弟を追い掛けることも出来ない。


「婚約破棄と、幸せ……」


 その言葉を脳内で繰り返していると、父のメイドが私を呼びに来た。


 すぐに終わる、退屈な裁判が始まるみたい。

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