第6話 入学式

 私は十五歳になった。漸くだ。これで学園に通える。ずっと悪の組織で働き続ける自分が許せなかったのだけどそれも既に終わり、あの事件以来私は治療院だけ働けるようになった。数年来の目標である学園に入園できるようになった。試験は勿論合格、入園金は貿易商で貯めた僅かばかりのお金と治療院の給金で賄うことは出来ず治療院の先生に融資をお願いすると合格祝いだと快く残金を出してくれた。授業料は試験の成績が良く少数の特待生枠を獲得し免除されることになった。その代り新入生代表のスピーチを任されてしまったのだけど胃が痛くなりそうだ。


 そして遂に入学式当日となった。学園は試験の時に来て以来だが、昔はここの幼稚舎に貴族として通っていた。学園の周囲は防犯の為に茶色の高い塀に囲まれていて中は見えないようになっている。まるで生徒を威圧するように立つ豪華な門を潜ると流石に貴族も通う学園であり庭師によって整えられた樹木や整然と植えられた色取り取りの花々が目を惹いた。式場迄の細い路地は花に囲まれていて、朝露を纏った花々は朝の眩い日差しを浴びてすーんとした香りを漂わせていた


 気分良く歩いて入学式の会場へ向かっていると冷酷で残酷な言葉が容赦なく浴びせられる。声がたまに聞こえてくる。


「おい見ろよ、太ってるなぁ」

「デブだよ、デブ」

「みっともないわ、消えてくれないかしら」

「養豚場へ帰れ」

「どすどすどす」


 まるで綺麗な景色を黒い布で覆い隠すかのような心無い言葉が心を委縮させる。相手も子供だから仕方がないのだと気にしないことにしようとするのだけれど、これからスピーチだというのに緊張で言葉が出なくなりそうだ。それに本当はそんなに太ってないよと言いたくもある。でも誰よ、効果音付けたの?

 しかし、波風を立てる訳にはいかないのだ。アミュレットが壊れる可能性もあるのだから。だが、呪いのアイテムであるのならば簡単に破壊できるものではないのだろうけどジョナサンと波風は立てないと約束した。そう言えばあの事件以来、奴隷貿易商だとは知っていたがまさか違法な奴隷を扱っているとは思ってもいなかったとジョナサンは少々落ち込んでいた。


 新入生は全員案内人に従い広い入学式の会場に集められ備え付けの長椅子に座らされていく。私は新入生代表のスピーチがあるので最前列に座らされた。暫くして式が開始され学園長の挨拶が始まった。だが私は緊張で何も聞こえなかった。


「新入生代表、平民のアメリアさん」


 突然の声に我に返り立ち上がって壇上へ向かう。だけど敢て平民を強調しなくても良いのではと思わずにはいられない。これで私は平民だと印象付けられてしまった。正体が余計に分からなくなったことは良いのだけれど、この差別社会では余計に気を遣うことになるかもしれないとの懸念があるのだ。

 壇上に向かうと新入生の間からは笑い声が漏れ再び悲痛な言葉が投げかけられる。


「あれなに? 本当に人間?」

「オークのメスが制服着てるんでしょ」

「それ可哀そう! オークのメスだってあんなに太ってないわよ」

「可哀そうなのってオークの方?」

「当然でしょ」

「どすどすどす」

「オークが首席なのか? 僕はオークに負けたのか?」

「オークの里にお帰りになられたら?」

「この世界じゃきのこの山とオークの里なのか?」

「なんか臭くないか?」


 心が痛い。

 私は思った。


 よし! 筋書き通り。思わず握りこぶしに力を込めた。


 アミュレットの効果は全校生徒に及んでいる。これぞ私が目指すブス人生、誰も私が皇帝暗殺未遂犯の娘だとは思わないし、公爵の息子も私だとは気が付かないはずだ。

 だというのに涙が溢れそうになるのはなぜ?

 これは嬉し涙よ、そう、私は嬉しいの。

 嬉しいのに心が痛い。

 でも、いったい誰よ、効果音付けてるの!


 何を話したかさえ覚えてなくて、スピーチを終えた私はブーイングと嘲笑を背に壇上を降りて自分の席へと歩いた。頭の中は真っ白でオークの里ってどこよと下らない事が頭の中を駆け巡っていた。


 その後、新入生は各クラスに別れることとなった。私は目立たぬよう一番後ろの席に座った。とは言えこの体では目立たぬわけにもいかないのだけど。教室に入ってくる生徒を何とはなしに眺めていると知っている顔はいない。公爵の息子もいなかった。一安心だ。五年前の記憶しかないのだけれど成長し変化したとしても面影は残っているはずであり見れば分かっただろう。


「私はメアリー、あなたはアメリアね?」


 突然声を掛けられ横を見るとそこには幼なじみのメアリーがいた。このガルネリ帝国のロックウェル公爵の息女。小さい頃と変わらない金髪をカールさせ貴族然とした水色のドレス姿で私に笑顔を向けている。五年前、幼くキュートだった女の子は成長し綺麗な女性に変わっていた。その美しさに少々気圧されながらも私はこんな容姿でも差別することなく普通に話しかけてくれた彼女の優しさが嬉しかった。昔と同じように、今までの境遇とか不満とか嬉しかった事とか奴隷だった少女の事とか奴隷商を潰した話とか、色々と話したいという欲求が溢れて来たけのだけれども、もう昔とは違い私は逃亡者なのだと自分に言い聞かせ言葉を飲み込んだ。


「はい、私はアメリアです。スピーチを聞いてくださったのですね。貴族様ですか?」

「そうよ。だけど、学園では平等だと教えられたでしょ。敬語は止めてね」


 誰に? いつ教えてもらったの? と思っていたら、校長がスピーチで言っていたらしい。私は学園長のスピーチを全く聞いていなかったのだと改めて思い知らされた。

 彼女が隣の席に着くと彼女の周りは人で溢れた。昔も彼女の温かい性格に人が集まっていた事を思い出した。まるで真冬に陽の光を求めて集まる猫の様に人が集まって来たものだった。対照的に私の周りには変な男だけが集まって来ていた。カランドレッリ公爵の息子クリフォードもその一人だった。なぜだか記憶も薄れもう思い出したくもない過去だ。

 このまま彼女の隣の席に座っていたい。しかし、仲良くなれば正体が露見してしまう可能性を考えれば私はここにいてはいけない。露見すれば父は死刑に、ジョナサンは犯人蔵匿で処断され私は公爵の息子に怪我を負わせたとして処罰されるだろう。最悪打首獄門かもしれない。そうでなくてもこの学園からは追放されるだろう。



 ◇◇◇


「いじめられたの?」


 先生に席を変えて欲しいとお願いしたらそう返された。この体形だ、そう思われても当然なのかもしれない。メアリーにいじめっ子の濡れ衣を着せる訳にもいかず私はただ目が悪いのでと嘘を吐いた。


「少し我慢しなさい。眼鏡も掛けてないしそれほど悪くはないのでしょ。暫く授業を受けてそれでも不都合があれば考えるから」


 先生は席を変えてくれるとは言わなかった。考えるとだけ。よくあるパターン。目が悪いけど貧乏で買えないんですと言えば良かった。結局考えるだけで変えてはくれないのだろう。先生は冷たい表情で私を見ていて、まるであなたの目が小さいから見えないのよと言っているようだった。しかし、問題はそう考える自分自身の性格が物事を歪んで解釈するように卑屈になってしまったことなのかもしれない。うん、逃亡生活が辛すぎるのがいけないのだ。責任転嫁することにした。



 ▼△▼



 全員が自己紹介してその日は終了となった。学園の庭ではクラブ活動の勧誘が行われていたのだけど私はクラブ活動などせずに放課後は治療院で働くと決めていたので無視して帰る。だってお金が無い。


 治療院に到着すると入り口には兵士が二人立って警戒している。兵士の家紋から帝国の兵士ではなく属国の兵士のようだ。誰何され治療院の従業員だと告げると先生が確認した後通された。なんだか先生が困り顔だ。何事かと聞けば隣国の王子が治療に来ているのだという。それだけなら先生の困り顔が納得できない。


「先生、何か不安な事でもあるのですか?」

「そうなんだ。うちには王子の病気を治療できる護符が無いんだよ。というか、帝国の何処にも無いのかもしれない。高度な階位の治癒魔法ができれば寛解可能性はあるけど僕では無理だ。それに完全に治癒できるほど簡単な病気ではないのが問題なんだ。このままでは王子は長くはない。本当に困っているんだよ」


 繰り返す自問自答を吐露するかのように説明する先生は目の周りが隈で黒く変色する程疲労困憊している。先生を休憩したらと声を掛け私はロッカーに荷物を預け治療服に着替える。と言っても上着を着るだけだけど。


「どこが悪いんですか?」


 着替え終わった私は病状を訊く。聞いても治療できる訳ではないのだけど補助は出来るかもしれない。


「心臓なんだ。うちには心臓を治療する護符なんかない。そもそも心臓のどこが悪いのかも分からないんだ」


 恐らく、心臓のどこが悪いのかも分からない状況では護符があったとしても、どの護符を使えば良いのかが分からないからだ。心臓の構造は本には載っている。戦争はまだまだ無くならず亡くなった兵士の死体を医師が解剖するから解剖学は進み本は出版される。医療も進み切れた腸を繋ぐとか言った簡単な手術は現在では行われている。第三階位の解毒魔法を使えば死亡率も下がる。しかし、心臓は別だ。心臓を切り開けばもう助からない。


 患者は苦悶の表情を浮かべ脂汗をかいている。胸を両手で掻き毟る仕草は見ている私の心臓まで痛くなりそうだ。


「もう数日しか生きられないかもしれない。私に出来ることは残念だがもうない。このまま自宅に返して家族に見守られながら最後を迎えるのが良いだろう」


 苦渋の決断を迫られた先生は無力を嘆きながらそう消え入るように呟いた。

 患者はまだ二十歳くらいの年齢であるにも拘らず人生を終えようとしていた。苦悶に耐えながら強く目を閉じていて彼の瞳は見えないが、綺麗な顔立ちと流れるような真っ赤な髪は、病気さえなければ彼の人生は希望に満ち女性に囲まれたものになるだろうと思わせた。それなのに、彼は輝く人生をこの年齢で放棄せざるを得ないのだ。まだ私の方がましだともいえる。


「魔法で彼を眠らせるのはどうですか?」

「もう試したが僕が出来る第二階位の睡眠魔法でも強制力はかなり弱いんだ、効果が無かった」


 上の方で何かが動いたのを目の奥の方で見た。天井を見ると蝙蝠が飛んでいくところだった。どうして蝙蝠は真っ暗な夜飛べるのだろう。そんな疑問が湧いた、前にその理由のかかれた本を見たことがあった。

 その時私は閃いたのだった。

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