第3話 治癒魔法

 治療院は近所だとはいえ、脚に怪我を負った少女にとっては遠いと感じる距離だ。本来なら少女を背負って連れてくのだろうけど、呪具による肥満体形と違って、実際は細身であり少女とは体格的に大差ない非力な私は少女を背負うことが出来なかった。だから仕方なく少女には歩いてもらった。


 治療院に到着すると小さなその規模にしては患者が多いようで待合室で何人かの患者と一緒に待つこととなった。待合室は治療院らしく清潔であるのだが薬草のような臭いが立ち込めていて少々鼻を突いた。


「足の怪我は大丈夫?」


 表情を歪ませていた少女に聞いたのだけれど返事はない。もう一度聞くと何やら口を指さす。どうやら声が出せないようだ。可哀そうにとただ優しく髪を撫でてあげる。痛そうな顔をやや綻ばせ笑顔を私に向ける。


『痛いけど我慢する』

「ん? 何?」


 きょろきょろと辺りを見回し声の主を探した。まるで頭の中で発生したかのような声。声のした方角が分からなかった。


『私だよ』


 少女が自分を指さす。


「あ、あなたなの?」

『そうだよ。私の魔法。念話って言うらしいの。嫌だろうけど話せないからこれで我慢して』


 話せなくても思考が分かる。びっくりだよ、そんな魔法があるなんて。


 一時間ほど待ち漸く少女の順番が来る。少女は先生に呼ばれて治療を受け半時ほどで先生に連れられて戻って来た。出来ればもっと時間が掛かれば仕事をさぼれるのにとも思ってしまったのだが私は時間給だったのだと嘆く。金銭的にがめついあの貿易商が働いてもいない時間に給金を支払う訳がない。いや、命令されたのだからこれも仕事の内だと主張しよう。


「足の怪我は殆ど回復したから明日も来てくれれば完全に治るけどこの娘奴隷でしょ? もう連れて来れないかな?」


 先生はどこか諦めたような寂しく、だけど少々目を細めた優しげな笑顔を私にむけた。


「彼女奴隷なの?」


 話には聞いたことがある程度で見たことなどなかった。だけど、彼女がそうだと分かっていたような気がする。それ程汚い服装だった。彼女は奴隷だったのだと既に納得していた自分がいたみたいだ。


「奴隷紋のタトゥーがあったからね。きちんと治す為に出来ればまた明日連れてきて欲しいな。ところで君、この治療院で働かない? 君から湧き出すオーラを見ると治癒魔法も使えるんじゃないかと思ったんだ。どうかな? もし未だ治癒魔法が使えなくても教えるよ?」

「ほ、本当ですか? 私も魔法が使えるの?」

「うん、治癒魔法は使えるはずだよ。君は魔力が強そうだし何人でも治療できそうだね。魔法を覚えるまでは護符で治療できるよ」


 私にも魔法が使えるのだと知って興奮した。しかも魔力が強いらしい。アミュレットを外せたのだから強いのではないかと考えた事もあるがやはりそうだったのだ。

 魔法を覚えるまでは護符が使えるのなら迷惑をかけることはない。護符は魔道具であり、それには魔法陣が刻んであって、ただ魔力を流せば刻まれた魔法陣が魔術を発動する。魔力がある人ならだれでも使える。しかし護符は高価なので誰でも買えるものではない。更に医療で使う護符は症状ごとに沢山の種類の護符が必要になる、だからこそ治療院の存在意義があるのだという。

 それに比べ治癒魔法は殆どの人が使えない。だが、治癒魔法は護符など不要であり、階位による治癒の範囲と効果の違いはあるものの、護符と比較し汎用性が高いのだという。


「良い答えを期待して待ってるよ」


 魔術と魔法の簡単な説明をし勧誘活動を終えた医者はにこやかに診療室へと戻って行った。治癒魔法が自分でも使えるとは思いもしなかったし、習おうと考えたこともなかった。ジョナサンが使えたからだ。しかし、私にも出来るのなら習いたい。そう言えばジョナサンが積極的に勉強以外を教えたことはない。治癒魔法についてもそうだ。もしかすると彼は自分の存在意義がなくなることを懸念していたのだろうか?


 少女の手を引いて治療院を出て他愛も無い話をしながら事務所に向かう。奴隷については触れなかった。彼女を傷つけてしまいそうだったからだ。

 以前奴隷についてジョナサンに教えられた。借金や犯罪で奴隷になり奴隷期間が終了すれば解放されるようだ。殺人とかの重い犯罪だと奴隷になることもなく死刑になる場合が多いらしいので、奴隷になるのは軽微な犯罪者が殆どらしい。恐らく彼女は親に売られた借金奴隷なのだろう。


 最初少女が念話を使わなかったのは私が貿易商の一員だと思ったかららしい。頭を撫でた私を優しい人だと思ったから念話で話しかけたようだ。ではなぜ貿易商の一員なら駄目なのかというと貿易商の扱う商品が奴隷だからなのだという。それは別に違法ではないし私も知っていた。問題は扱う奴隷が誘拐等の犯罪によって違法に獲得された奴隷だったという事だった。


『私も先月誘拐されてここに連れて来られたの』


 そう私に念話を送って来た。まさかそんなことが身近で起こるとは。その事実に驚愕した。

 念話については奴隷商には話していないらしい。だから言葉が話せない文字もかけない為、私に違法奴隷の存在が知られることがないから私に付き添いを頼んだのだと推測した。


 しかし、誘拐されたのだとしたら放っておけない。


「逃げなくていいの? 逃げよう、私も手を貸す」


 何も考えずただ感情のまま言葉が口をついて出ていた。


『駄目、今逃げたらお姉さんまで殺されちゃう。それに奴隷紋があるからどうしようもできない』


 彼女の目には涙が溢れる。声も上げずに、泣くのを只我慢して。だけど涙は溢れ出ていた。

 奴隷紋は魔術で刻まれたもので位置が分かるのだという。逃げても無駄らしい。

 誘拐された時、彼女の友達は殺されたようだ。しかも、逃げたら両親も殺すと脅された。だから見つかった時の恐怖で逃げ出せない。両親も殺されるから逃げ出せない。逃げたいのに家族の身を案じて逃げないなんて健気。何とかしてあげたい。私は漠然とそう思った。だけどまだ十二歳の私には何の力もなくどうすることも出来なかった。思いついたのは憲兵の詰所に保護を求めるくらいだ。だけど、少女は止めて欲しいと言う。他に何の証拠もない。あの貿易商が違法奴隷を扱っているという証拠は彼女の証言以外ないのだ。彼女が証言を拒めば如何どうする事も出来ない。その時私はただ指を咥えて見ていることしかできない只の無力な子供に過ぎなかった。


 あの日以来その少女には会っていない。彼女がどうなったかを知る由もない。だが犯罪は行われ続けている。私が書く帳簿が物語っている。私は自分の無力を嘆いた。父も少女も救うことは出来ない自分を呪った。まだ十二歳だと自分を慰めることは出来る。しかし、普通の人よりもおそらく魔力の強い自分には何かできたのではないかと自分を責めずにはいられなかった。


 少女と会った日の夜、治療院に行って働きたいとお願いした。そこで治癒魔法を教えてもらった。魔法とは魔法陣などを解さず自分の中の魔素を魔力と想像力によって具現化することだという。


「ほら、この怪我がどういう過程をたどって皮膚に戻っていくのか分かるかい?」

「なんとなく」

「なんとなくじゃ駄目だ。魔法は想像力だ。この怪我が如何にして治っていくのか、傷口が瘡蓋で覆われその中で傷口が癒着し治っていく過程を想像しなさい」

「これでいいですか?」

「指先に魔力が集中してないから治るという現象に変わっていないんだ。指先に魔力を集めなさい。体中を魔力が巡る感覚は分かるだろ? それを集めるんだ」


それから小一時間ほど何も起こらぬまま努力し続けた。


「‥‥んー、あっ、治っていきます。治りました!」

「出来たみたいだね。それが治癒魔法だよ。どうだ、まだまだ出来そうか?」

「はい、全然疲れてません」

「凄いな。やはり思った通りだ。部屋中が無駄に漏れ出した君の魔力で満たされている。それだけ沢山の魔力を無駄遣いして全然疲れてないのだから体内にある魔素は極めて多いようだな」

「そんなに無駄遣いしてました?」

「うん、凄い無駄遣いだよ。でも、最初はそんなものだよ。ただ、普通は無駄な魔力が漏れ出してもすぐに霧散してその場に溜まるなんてことは無いんだけどね。この部屋中を満たしている魔力が爆発したらこの近所数ブロックが吹き飛びそうだよ、あはは」


 先生は優しげな微笑みを私に向けてくれた。その微笑はまるで魔法の様に私を癒してくれたのだった。

 初めて魔法が使えたことが嬉しかった。先生の笑顔が最高の御褒美に思えた。こんな見た目の私にでも綺麗な女性の患者さんに向けるのと同じ笑顔を向けてくれる。そんな先生の優しさが嬉しかった。

 一度ジョナサンに魔法を教えてと強請ったことがある。だが彼は私の為だ、魔法には係るなと教えてくれなかった。だから魔法を覚えたのはジョナサンには内緒だ。だけどなぜ魔法を覚えないのが私の為なのか私には未だに分からない。



 翌日から午前中の患者が多い時間は治療院で働き、昼は貿易商で、そしてまた夜も治療院で働き始めた。というのも、治療院は住み込みで働けるようにしてもらえたからだ。部屋が余っていたのだ。ここなら貿易商にも近く離れた自宅へ戻る必要もない、干天の慈雨だった。


「アメリアは体内の魔素量が多いだけではなく魔力も強い。魔素が多いだけで魔力が弱いと階位の低い魔法しか使えない。魔力が強いだけだと、魔素が足りず階位の高い魔法は使えないんだ。だから両方を兼ね備えたアメリアは高階位の魔法が使えるはずだ、宮廷魔術師にだってなれるぞ」

「先生はどうなんです?」

「僕かい? 僕は両方とも普通だ。階位の低い魔法だけだよ。階位の高い治癒魔法は使えないな」


 そう謙遜する先生は以前は帝国ではないが属国の宮廷魔術師をしていたらしい。それでも宮廷魔術師であり、かなりの魔法を使えるのではないだろうか。隠さなければならない理由があるのかもと訝しんだのだった。






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