第2話 逃亡の真相

 最早、アミュレットは呪いの道具、呪具でさえなくなった。アミュレットのお陰で安心して外出出来る。ジョナサンからは外出の許可を貰えた。とは言え、その行動は小さなこの街の自宅の近所に限られていた。

 ここは山麓の森を切り開いた開拓地に出来た街で、その中でも我が家は邸宅と呼べるほど田舎には似つかわしくない威容を誇っていた。というのも以前は貴族の別荘だったかららしい。

 隠遁生活も二年が経ち私は十二歳になった。父とジョナサンは質素ではあったものの私の誕生日をまるで自分の事の様に祝ってくれた。その日から大分過ぎたとある日の午後、その日は朝から豪雨が降り注いでいた。窓から外を見やるとまるで夕方の様に暗く日は陰り、横殴りの雨は降りすさんでいた。いつも穏やかに見える森は豪雨に濡れて鬱蒼と茂って見えて不気味さだけが増長され人の侵入を拒んでいるかのようであった。

 突然、偶に発症する父の慟哭が屋敷に響いた。原因は分かっている、私だ。私の所為で隠遁生活を余儀なくされてしまったからだ。父は荒れ狂い物に八つ当たりし、何かを破壊する音がそれほど広くもない邸宅内に響き渡った。私は父の怒りを少しでも鎮める為に父の書斎へ向かった。

 私は卑怯だ。この行為をとても父の心を安楽にする為だとは言えない。私の所為で父に苦行とも言えるこの状況を強いている自分の心を少しでも楽にしたかっただけなのだから。けれどもそれでも父の心を鎮めようと書斎に出向いたのだった。私は書斎に入るなり父に謝罪した。


「ごめんパパ、私の所為で貧乏な生活を強いらせてしまって。本当にごめんなさい」


 窓の外を寂しそうに眺めながら漸く平静を取り戻したのか溜息を吐いていた父。


「気にするな。本当はお前の所為ではないのだ」

「え?」


 振り向くなり今まで聞いたことのない台詞を少々苦しそうではあるが優しく吐露する父。


「二年前皇帝が暗殺されかけるという事件が起こった。そして俺にその容疑が掛けられた。勿論暗殺など計画も実行もしていない。濡れ衣だ。だが、誰かが俺が首謀者であるかのような証拠を用意して皇帝の親衛隊に発見させたのだ。もうどうすることも出来ず逃亡するしかなかったのだ。だからジョナサンが私を逃がしこの邸宅を用意してくれたのだよ。お前の事件は偶々重なっただけだ、お前が気にすることはない」


 まだ三十歳を少し過ぎたばかりだというのに老けて見える父。私と同じプラチナの髪がまるで老人のくすんだ白髪の様に見えてより一層哀愁を漂わせていた。


 初めて知った真実だった。


 これが私が二度と外すことの出来ない呪具を使ってまでも容貌を変えなければならない本当の理由だったのだ。この逃亡劇が私が原因ではないと知り肩の荷は軽くはなったものの、父の罪状が皇帝暗殺未遂という捕縛されれば斬首刑が確定されている重罪であることに鑑みればジョナサンが呪具を使ってまでも見つからない様に慎重を期して行動させていた事も当然だったと思える。私の肩には新たな更に重い重荷が圧し掛かってきたのだった


 △▼△▼


 アミュレットを貰って以来現在まで私は誰も居ないところでは適当にアミュレットを外していた。しかし、これからはなるべく外さないよう注意が必要だ。だがなぜ私は教皇等でなければ外すことの出来ない呪具を外せたのだろう。彼らと同じ魔力があるのだろうか。


 この邸宅に来て以来、何から何まで家宰であったジョナサンに頼りきりの生活だった。当家は既に彼に給金は支払うことは出来ない。だというのに彼は自分が働いた給料の殆どを三人の生活費で消費している。その献身ぶりに私は黙っていられなかった。


「私も働きたい。いえ、働くわ。もう決めたの。絶対に覆さない」


 とは言え、この街には働けるような場所など無く一番近い都市である帝都まで働きに行く他ないのだけれども、私は働ける場所など知るはずもなく、結局ジョナサンに頼る他無かったのだ。帝都では貴族の家宰を務めていた彼の事だから十二歳の私でも働ける所を知っているはずだ。私は記憶力が良い、それに加え今まで家では勉強ばかりしてきた。何もすることが無かったのだから。瞬間的にでも見たものは完璧に記憶できる私は此処に有る本の内容とジョナサンに教えてもらったことは完璧に記憶している。働けるはずだ。


「分かりました、お嬢様。丁度、知人の貿易商が事務の出来る者を探していたのですがやってみますか?」

「うん、やる」


 今度は素直に働かせてくれるジョナサンに私は嬉々として答えた。


「ではこれから行ってみましょう」


 漸く働けるようになった。これも私の為にアミュレットを用意してくれたジョナサンのお陰だ。いつも私に敬語で話すジョナサン。紳士然としていて信頼のできる、細身だが筋肉質で頼りになる大人の男性だ。少々長めのサラサラと流れるような金髪を偶に書き上げる仕草を好ましいと感じてしまう。碧眼で見目麗しい容貌と低めのバリトンの声も心地良い。


「どうして髪を掻き上げるの?」


 と訊くとジョナサンはいつも決まって同じように答える。


「自信に溢れているからですよ」


 自信があるから皇帝暗殺未遂犯を匿ってくれているのだろうか? 捕まらない自信? 彼には返せそうにない恩義がある、どうすれば返せるのだろう。


 そして翌日から帝都の貿易商で働き始めた。勉強も継続している、というのも帝都の学院に通いたかったからだ。庶民でも学園を出れば貧乏な暮らしから抜け出せる。勿論貴族も通うので私が怪我を負わせた公爵の息子もいるだろう。同齢なので同じクラスかもしれない。他にも同齢の知人もいるはずである。逃亡してから会えていない仲の良かったメアリーやジョアンナは元気だろうか。恐らく彼女達も学園に通う筈だ。会えたら他人の振りが出来るだろうか、少々心配だ。だが彼女達も気がついてはくれないのだろう。容姿が全く違うのだから。声だって成長と共に変わっている。

 もう一つ学園に通いたい理由がある。どちらかと言えばこちらの方が本命だ。父の濡れ衣を晴らすことだ。可能なら皇帝暗殺未遂の黒幕を捕まえたい。だからどうしても学園には通わなければならない。学園だけが唯一貴族と接触を持てる場なのだから。一つ気がかりなのは皇帝暗殺未遂の黒幕が二年前に計画が頓挫したからと言って素直に諦めるだろうか。それだけの大事件を犯し、捕まらない様に祈りながら静かに暮らしているものだろうか。とてもそうとは思えない。虎視眈々と機会を窺っている可能性もある。それだけは気掛かりだった。


 ◇◇◇


 いつもの様に私は貿易商で事務の仕事をしていた。貿易商は小売りはやっていないので商店街ではなく倉庫街の少々薄暗い裏通りに事務所を構えていた。裏通りは商店街の様に買い物する主婦などは居らず会社員や作業員だけの少々薄汚れたどこか重苦しい雰囲気の通りだ。ここから帝都をぐるりと囲む城壁の方へ行くとスラム街がありここより更に薄汚れていて小汚い崩壊寸前の家屋が立ち並んでいるというのだが行ったことはない。うら若き乙女がそこへ赴けば誘拐されることは必至、売り飛ばされ二度とは家に帰ることは出来ないのだという。だけど黒髪黒目の地味ででっぷりと肥満した私には関係のない話だと楽観している。

 一度、同じ事務職のジョアンナに私は大丈夫だと言ったら、世の中には物好きな人もいるからねと言われた。何気に酷い。


 暗記だけでなく計算も得意な私は主に帳簿の記載を任されている。私は助手なので社員の方がチェックし間違っていればお小言を頂くことになっているのだ。

 お昼時間までもう少しというところで事務所が騒がしくなってきた。お昼の食事が邪魔されなければ良いとの願いも空しく怪我をした子供が私の元へと連れられてきた。綺麗な顔と反比例するかのような薄汚れた服を纏った女の子だった。彼女は太腿から血を流し苦痛に顔を歪めていた。


「アメリア、もう仕事はいいからこの娘をそこの治療院へ連れて行ってくれ」

「はい、承知いたしました」


 お昼の食事の事などすっかり忘れて慌てて立ち上がり女の子の手を取って一緒に歩いて近所の治療院へ向かったのだった。

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