極彩色の空をみていた

極彩色の空をみていた



 夕立があがったあとの晴天みたいに笑う、彼女は言った。


『きっと、幸せな恋をしてください』


 薄暗い雲が残る雨あがりの空のように、下手くそな笑みを浮かべるほか、どうしようもない僕だった。


 壊れたワイヤレスイヤホンを手のひらに持て余しながら、机の隅に転がっていた有線のイヤホンをスマホへ差し込んでみる。再生された人工の声、あの日みた紫陽花のあざやかな紫を探すために、靴を履く。


「彩、どっか行くの?」

「あぁ、うん、ちょっと散歩に」

「できたらアイス買ってきて」

「わかった、いつもの?」

「ん、いつもの。ありがと」


 起き抜けの夕季が無造作に髪をかきあげながら、気をつけてね、と眠たげに言う。玄関にふたつぶら下がった鍵をひとつ手にとって家を出た。


 ぶらぶらと見慣れた道を数歩進んだだけで、じっとりと汗をかく。梅雨明けの快晴は容赦がない。初夏の陽射しが、刺すような強さで照りつける。イヤホンから響く音は、季節に見合わず梅雨の音楽だ。陽の光を受けて煌めく川面のかたわら、しゃがみ込んだ芝生から漂う青い匂いがこころを丸ごとあの日へ引き戻す。


『水瀬さん、久しぶり。同窓会の話、聞いた?』


 ありきたりな定型文。それしか思い浮かばない、時間の距離。彼女の控えめな笑顔がちらついて、もう一度スマホの画面を開く。


 『僕は、幸せに生きています』


 あの日、きみとみた雨上がりの空。紫陽花の青紫に、夏の影、蝉の合唱とコンビニ、汗をかいたメロンソーダ。立ち上がって深呼吸をすれば、なまぬるい夏の風がからだを満たす。それでもこころは爽やかに凪いで、きみの隣を歩いた日々のように、穏やかに澄んでゆく。


 あの日の道を辿るたび弾けては消えるあぶくのような記憶が、ひとつひとつ脳裏を駆け抜けては胸をぎゅうと締めつけた。大人になりたくて堪らなかったあのころ、背伸びをしたってなりきれやしなかったのに。そこへ辿り着いてしまった今は、足りなくて満ちなくていびつで不恰好だったあのころの自分に、こうしてふと、戻りたくなる。


 ないものねだりってのは多分、その味を知っているのだ。なにも知らなかったなら、ないものなんてほしくならない。あのころの僕らはすべてを知ったような気になって、それなのに手は届かないから、まるでなにも持っていないみたいだった。そうやってあるものを見落としたりないものをねだったり不器用に、だけれどたしかに足跡を刻んで、あてもなく時を進めてゆく。今だってまだ、あの日の続きにいるのかもしれない。


 遠回りをしながらたどり着いた公園のベンチ、ぷしゅっと音を立てたサイダーはぬるくてあんまりおいしくないけど、たまには慣れない味も悪くない。きみは、僕に恋をしてくれた。そのかがやきのつよさに、僕はいつでも焦がれていた。きみがいて、僕がいて、そして、人を思うことを知った。だから僕は、人を思う幸せのなかにこうして今も生きている。


 あの日僕を思って泣いたきみのやさしさが、どうかきっと、あたたかな陽だまりに包まれていますように。きみの幸せを願う権利なんてないけど、それでもなけなしの精一杯で、つよくつよく願っている。


 *


 晴れ。ときどき曇り。夕立、雨あがり。暮れなずむ終わりと、青く深い夜のはじまり。繰り返す日々の移ろいは、それでも今この時しかない色をして、僕らが息吹くちいさな日々をつないでいる。


 きみがもし、空を見上げるのなら。そこに射す光が、きれいにかがやいていますように。きみがもし、空を思うのなら。そこには極彩色の煌めきが、きっと鮮やかに映りますように。僕にこころをくれたきみのこころが、いついつまでもひかりに満ちて、あざやかな色のなかで生きてゆけますように。


 帰り道、あの日とは違うコンビニで、チョコミントのアイスをふたつ。夏の始まりを告げる蝉の声が、時をこえ空を越え、あの日泣き笑い生きていた僕らを紡いで、僕を僕たらしめている。


 僕らはいつでも、極彩色の空をみていた。


 きみの隣、あわせた歩幅と、それぞれの空色、分かち合ったことばの温度。僕らは、生きるよりもっと。鮮やかに煌めく、恋をしていた。



極彩色の空をみていた

𝘍𝘪𝘯.

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万華鏡をみているみたい 川辺 せい @kawabe-sei

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