第14話 別に感謝なんかしてないんだからね!

「おい、どうかしたのか?」

 重い風邪を引いたときのような覚束ない足取りで何とか帰宅してみれば、馬鹿親がリビングでチューハイ缶をあおっていた。

 みじめさと共に疲れがどっと出てくる最低の光景である。


「何でもない」

「何でもないって、お前目元が赤くなって……」

「何でもないって言ってるでしょ‼」

 鬱陶しんだよ。

 いつもいつも私の癇に障ることしかできないのか。

 せめてこっちが辛そうにしている時ぐらいは空気をよんで一人で大人しくしていて欲しい。


「……ふられたのか?」

「違う」

「じゃあ何なんだよ」

 なおも詮索してくる母親を無視し、自分の部屋へ急ぐ。

 構うだけ時間と気力の無駄だ。


「入るぞ」

「ちっ」

 リビングから自室に着き、とりあえず部屋着に着替えようと思った矢先、鬱陶しい馬鹿が入ってくる。

 しかも酒の缶を片手に持ったまま、勝手にベッドに腰かけ、私にも隣に座るよう目線で促してくる始末。


「たまには話に付き合え。一応……親子なんだから」

「うざい」

 逆らってしつこくされても面倒なので、仕方なくレモンの香りがする母親から少し離れたベッドの端に腰を下ろす。

 心境としては、一秒でも早くこの空虚で苦痛な時間が終わることを願うのみだ。


「私が最初に入れ込んだホストは……、若いまだ二十にもなってない奴でな。童顔で空名刺の字が丸っこくて、それが可愛くて気まぐれに指名したのが始まりだった」

「はぁ……」

 何かと思えば欠片の興味もないホストの話。

 くだらない、あまりにもくだらなすぎる。 

 仮にも母親面して落ち込んだ娘を励まそうとするなら、もっとましな話題があるだろう。


「まだお互いに夜に馴染んでなくてな。そいつ……タクヤは店に出勤してきたのは三回目、私は私でホストに行き始めたばかりの頃で、安くなる初回料金を狙ってあちこち店を回って、しょぼい酒を飲んで喜んでただけのガキだった」

 母はさもうんちくのある話を始めますよと言いたげなかしこまった顔をしていた。

 出だしからまったく私の人生の役に立たなそうで嬉しくなるね。


「タクヤはルックスこそまあまあなんだが、喋りがいまいちな奴でな。初めの頃は私がちょいちょい指名してやっても他がつかないから売れなくて、周りのホストに結構いびられたよ。知ってるか、ホストはキャバと違って体育会系の縦社会なんだ」

 ホスト業界の上下関係なんて知っているわけないだろ。

 もちろん知ったところで何か得するわけもない。


「今思えばあの頃が一番良かったかもな。私はさえない下っ端ホストを純粋に応援したくて無理のない範囲で店に通って、タクヤはそんな私に不器用な感じで優しくしてくれて、特に派手なことは起きねえが、毎日が充実してた気がする」

 なんだ、昔は良かった話か。

 底が浅いというか、薄っぺらいというか、もっとましな人生を送らなかったのかとあきれる私と対照的に、馬鹿親は突然真剣な顔をし出し、一呼吸置いてからまた喋り出す。


「関係が変わったのは店に通い出して半年経つか経たないかの時期だった」

 いや、そんな歴史の転換点じみた話し方をされても知ったことかという感想しかわかない。

 というか、この時の私の母親の年齢を考えれば、どうせくだらない結末が目に見えている。

 今でさえこのざまなのに、おそらく十八かそこらの不動静香となれば、逆の意味で信頼すら出来る。


「その日、タクヤがえらく落ち込んでてな。聞いてみれば売れないせいで先輩ホストからのあたりがきつくて、店を辞めるかどうか悩んでるって話だった」

 娘の内心などいざ知らず、母は続ける。

 表情は変わらず固いままだった。


「で、そのあたりが強い先輩ってのが、オラ営の悪い見本みたいなクソホストだったんだよ。私も近くのテーブルでそいつにほぼ無理矢理飲まされてる女の子を何度か見てたから、あいつかって頭にきて、タクヤに勢いで私が支えるからもっと売れてあんなクソ野郎見返してやろうって言ったわけ」

 そこで一転少し笑みを浮かべ、元ホスト狂いのお馬鹿さんはまだ手に持っていた缶に口を付け、まだ私の知らない味がするだろう中の液体をあおる。


「そこからはあっという間だ」

 缶から口を離して出た言葉は少し弱弱しく、その横顔もあまり見たことのない悲しげなものだった。


「一回でも多く店に通うために出勤を増やして、それでも足りなくなったら歩合がいい箱に変えて、今だから言うが裏引きもやって、そうやって稼いだ金をぜーんぶつぎ込んで、気付けばタクヤは店のトップになってた。その頃にはあんなに初々しかったタクヤもすっかりいっぱしのホストになって、客あしらいもトークも一流の店のエース様よ」

「良かったじゃん」

 応援していた人が一番になったのなら、まあ良いことなのだろう。

 対象がホストというのがいかにも私の母親という感じだが。


「良かねえ。いいか、ホストってのは貢ぐ前が一番優しいんだ。一度貢ぎ出せばそこからはただいかに効率的に絞れるか、それだけを求める機械になんだよ」

「だから私に優しさに無料ただはないとか言ったわけ?」

 言いたかったことはそれか。

 単なる高校生の娘としては、ホストで学んだ教訓を披露されても反応に困るだけである。


「これはずっと後、とっくの昔にタクヤとの関係も終わって、すっかりホス狂いになった後に当時の担当から聞いた……」

 そして、まだ語り足りないとばかりに話を再開した母親は何故かすぐ言いよどむ。

 そろそろ本当に精神的な疲れを感じてきていたのでこのまま終わりにして欲しかったが、一応最後まで聞く義理を感じ、無言で次を待つことにする。


「タクヤが言ってた先輩ホストにいびられてるって話、嘘だったんだよ」

「はい? いや、だってそいつが実際に女の子を無理矢理飲ませているところを見たんでしょ?」

 伝聞だけでなくそういう現場まで見たのではなかったのか。

 女の子にお酒を強いていたホストが実はいい人みたいな話なのか?


「ああ、そいつは客にはかなりごり押しで飲ませるスタイルのホストだった。けど、身内、つまり店のホストにはすげえ優しくて面倒見が良いことで有名だったんだ。当時の担当もそのホストに昔世話になったらしくて、それで私に色々聞かせてくれたってことだ」

「んん?」

 わけが分からないというか、別に身内に優しかろうが、女の子にお酒を無理強いしていた事実は変わらないと思う。

 結局、このホスト狂いさんは何を伝えたいのか。


「タクヤはなかなか売れない現状を変えるために、オラ営でならしてた先輩ホストを出汁にして私に営業をかけたって寸法だよ。しかも提案したのはタクヤからで、その先輩ホストは快く踏み台役を買って出たってさ」

「ふーん、それで?」

 要はホストに騙されただけのことだろう。

 そこから私が得られる学びは皆無――なぜなら私が将来ホストに行く可能性もまた全くないからだ。


「分かんねえか? 外面だけじゃ男の本性は分からないし、騙されたりもあるってことだ」

「それはお母さんが馬鹿だったからでしょ。一緒にしないで」

 毎度毎度、じぶんわたしを同一視するのは迷惑で煩わしい。

 ただホストの嘘に上手く引っかかっただけの話で、母親の面目が保てるとでも思っているなら笑えるね。


「ああ、そうだな。当時の私は馬鹿だった。でもな、今のお前はどうなんだよ?」

「は?」

「男に浮かれて都合のいいところばっかり見てねぇか?」

「……そんなわけないじゃん」

 私の目が曇っているとでも?

 それこそ的外れな指摘であるはずだった。


「確かにタクヤは私に優しかったし、オラ営の先輩ホストは客からみればクソだった。だが、よく注意してれば、タクヤが優しいのは私だけじゃなく高い酒をいれる太客全員だったとか、クソホストが妙に後輩から慕われてたこととか、気付けたはずなんだ」

 けれど、実体験からくる母親の言葉は妙な説得力を持っていた。

 それでも私にも、まーくんとの時間が夢ではなく現実の出来事だという根拠がある。


「当時私はそれに気づけなかった」

「違う。まーくんはホストと同じじゃない」

 私の幼馴染はその辺のホストとは比べるのも烏滸がましい素敵な男の子だし、だいたい付き合いの中で何かを、それこそホストが勧める高額な酒のようなものを要求されたことはない。むしろいつも私が奢って貰う側で、そして、身体の関係すらまだなのだ。

 私がまーくんから得たものはいっぱいあっても、失ったものはない。


「まっ、そうかもな。それに別に騙されてもたいしたことねえよ」

 一転、軽い口調で母はうそぶく。

 本人は上手いこと空気を変えてやったつもりかもしれないが、梯子を外されたようでむかついた。


「今とりあえず働ける場所があって、食っていけてて、それに……娘もいる。これが幸せなんだとまでは言わねえけど、少なくとも不満はない」

「……何それ」

「気にしすぎってことだよ。男にふられたぐらい何でもねえし、お前ならいくらでも次がくる。なんせこの私の娘なんだからな」

 飲んだくれのクソ親は、いつの間にかベッドの端にいた私の方に寄って来ており、私の頭をなでる。

 ああ、うざい。

 たまにそうやって母親の真似事をしても、普段の駄目さ加減をましには出来ないのに。


「外見だけはお母さんの子どもで良かったってちょっとは思うけど、それ以外は最低だね」

「残念だけどな、男は女の胸と顔しか見ねえから、そこを抜群に産んだ私は最高の親ってことになんだよ。よーく覚えとけ」

「何それ。馬鹿らしい」

 ほんといつも馬鹿なことばっかりしか言わない親だ。

 ただ、ほんの少しだけ、髪の毛一本程度だけど、その馬鹿らしさが心を楽にしてくれたことには感謝したかった。





◇◇◇

いつも読んで下さりありがとうございます!

そして更新遅れてすいませんでした‼

実はこのデート部分の後半の大部分を書き直していて、それで昨日更新が出来ませんでした。

一応まだ書き溜めは残っており、なるべく毎日更新を頑張っていきたいと思っているので、どうか優しい目で見守って頂ければ。

また、もしこの作品を気に入って貰えたなら、フォロー、いいね及びに☆☆☆から評価して頂けるととてもありがたいです。

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