第13話 恋は詭道なり

「聞こえなかった? どうして二人でこんなところにいるのか聞いたのだけど」

 柄本は能面のような表情で再度問い詰めてきた。

 上は白のインナーシャツとベージュのハーフスリーブジャケット、下は黒のデニムパンツとハイヒールサンダル、そして髪型は普段のシニヨンを解き軽くウェーブがかったセミロングというデートに着飾ったといわんばかりの格好が実に皮肉めいている。

 どうせお一人で来たくせに。


「デートではありませんよ。私たち幼馴染ですから、たまにこうして出かけることもあるんです、友達として」

 とりあえず無難な言い訳を並べてみる。

 ホテルに入ったみたいな言い逃れの不可能な状況ならともかく、だかだか二人で東光インに来た程度でそうそう難癖は付けられないはずだ。そもそも男女交際の禁止だってほとんど有名無実の校則と化しており、周りで付き合っているクラスメイトなんて何人もいるし、それで注意されたという話も聞かない。

 この堅物教師が異常に厳しいだけである。


「それがデートということでしょう。男女が二人で出かけているのだから」

「それは付き合っていればという話じゃありませんか? 校則だって友達同士が遊びに出かけることまで禁止していないでしょう」

「では、あなたと芽岸君はただの友人関係で男女の関係では一切ないと?」

「……はい、そうです。単なる幼馴染ですよ」

 つくづく嫌な女だ。

 告白する寸前までいったのに、私にこんなことを言わせる。

 まさか誰かが呼び寄せたわけはないから、柄本にとってもこの遭遇は予想外のもので、向こうも苦々しく思っているかもしれないが。


「そうでしょうね。学業優秀で水泳の全国選手である芽岸君と、勉学もスポーツもせいぜい並みのあなたでは釣り合いが取れない」

「そう思うならわざわざ確認する必要ないですよね。どうぞ私たちのことは気にせず、柄本先生はお一人の楽しい休日をお楽しみください」

 私の皮肉を柄本は鼻で笑う。

 さらにこちらを見下し、自分が優位に立っていることを全く疑っていない侮蔑の視線まで加わり、いよいよ我慢が利かなくなりかけた刹那、私の愛しの幼馴染が声をあげる。


「誘ったのは俺ですよ、智先生」

「かばう相手は選ぶべきね、芽岸君」

「もちろん。まあ、別にかばっちゃいませんが」

 嘘で私を守ってくれたまーくんは余裕の笑みを浮かべていた。

 こういう時、私の幼馴染は慌てず、堂々と立ち回り、上手く場を収めてくれる。水泳で全国レベルの大会を経験しているからなのか、本当に頼りになる態度で、私も多少は冷静さを取り戻せていた。


「それにもう帰るところでしたよ。ご飯もちょうど食べ終わったところですし」

「そういうことです、柄本先生。私たち別に先生の想像するような関係じゃありませんから」

 これで完全に突き放せたはずだ。

 私の言葉はともかく、柄本はまーくんに甘いから、こじつけじみた難癖もこの辺りで引っ込めるに違いない。

 だいたい二度目の告白が邪魔された以上、帰り道でなんとかもう一度ムードをつくって思いを告げないといけないのだから、長々とこの堅物女の相手をするのはごめんである。 


「そう。ならちょうどいい」

「はい?」

 ところが柄本は特に態度を変えず、あまつさえ何か嫌な薄ら笑いを浮かべ始める。

こいつ、まさか――


「前に約束した英語の参考書選びをこれからしてあげる、芽岸君」

「はぁっ⁉」

 私がまーくんに告白しようとしたことまで勘付いている?

 でなければこの強引さは説明できない。


「あら、どうして驚くの、不動さん? あなたたちはもう用事を済ませて別れるのでしょう? この後、芽岸君にちょっとした予定が入っても何の問題もないでしょ」

「い、いや、男子生徒と女性教師が二人きりになるのはまずいでしょ!」

「事前に約束して会ったわけでもなし、何を言っているの。私と芽岸君はたまたま東光インで会って、ちょうど良い機会だから前に頼まれていた英語の参考書を二人で選ぶ。もちろん私が勝手に選んでもいいけれど、こうして偶然会ったのなら、芽岸君と一緒に選んだ方が合理的でしょう。教師として優秀な生徒にそれぐらいの労は惜しまないわ」

 饒舌に理論武装する柄本は勝ち誇った表情でこちらを見据えていた。

 その大人気ない態度に段々と憤りと怒りの感情がわいてくる。


 何故今日に限って邪魔してくるのか、と。

 普段なら私だってもう勝手にしろと身を引く。

 所詮柄本は教師で生徒と結ばれることは絶対になく、一時的に横入りされたからといってまーくんがかすめ取られる心配はないからだ。

 だが今日は違う。

 今日だけは私がまーくんを独占し、もう一人の恋敵である佐々岡凛より魅力的だと認めてもらう必要がある。

 そういう日にまるで狙ったかのように乱入し、私から大切な幼馴染との時間を奪う。

 ――許せるわけねぇだろ、クソババアが。


「いい歳し――」

「たしかにちょうどいい機会ですね」 

「っ⁉」

 ついに担任教師には言ってはいけない言葉を吐こうとした間際、またもまーくんは割り込んでくる。

 こちらを一瞥してから柄本に向き直った幼馴染の横顔は切なげに見えた。


「実際次に何するか悩んでたんですよ。文法とか単語とかは高一の時に一通り終わらせてたんで」

「そうだろうと思っていいのをいくつか考えてあるのよ。難しすぎない受験レベルの長文読解を学べるやつをね」

 まーくんのみえみえの話題そらしにわざとらしく頷いた柄本も私に一瞬視線を向ける。

 そこには最早蔑みの色すらなく、あるのはわずかな哀れみだった。


「そういうことだから悪いけど先に帰っといてくれるか、優理香。今日は楽しかったよ」

「……うん、そうだね。今日はもう帰るね」

 もしあのまま私が暴言を吐けば、柄本のプライドの高さから考えて、ただでは済まなかっただろう。それをまーくんはとっさの機転で救ってくれた。だから、私はさっさとこの場を離れるべきである。

 理屈は分かっているし、こうなっては仕方ないとも頭では理解している。

 けれど、それでも、どうして、今日という大事な失敗してはいけない日に限ってこんなことになるのか。

 席を立ち、幼馴染の元を離れてもその答えは出なかった。

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