第11話 サービス回を入れるのは基本

“あなたとは……、きっと住む世界が違う”

 ドレッドヘアの黒人女性が、くせ毛の白人男性に低い声でそう言う。

 二人はキスし合った直後だった。


 物語は中盤に入ったばかりでそれまでのあらすじは、州立大学で法学を学ぶ男性が趣味のアメフト観戦中に出会った同じチームを応援する女性に恋をし、生まれも育ちも価値観も異なる中で愛を育んでいき、ついに二人は通じ合ったかにみえたが、実は女性の側は深い隔意を抱いていたというものだった。


“どうして? 肌の色なんて関係ないって確認し合ったじゃないか!”

 男は顔を狼狽させ、早口でまくし立てた。

 けれど、女性の方は口を閉じたまま首を横に振るだけだ。

 そこから場面は変わり、今度は別の男女が登場し、そして、それ以降彼らの物語は劇中で語られることはない。何故黒人の女性が拒んだのか、良く言えば観客任せで、悪く言えば投げっ放しである。


 彼女が拒んだ理由――その機微は、注意深く二人が仲を深めていく過程を見ていれば理解出来るものかもしれない。実際、画面の中に不穏なシーンは何カ所か出てくるし、デート中ただ嬉しそうな表情をする男性とは対照的に、女性の方は時折複雑な顔やぎこちない笑みを見せてもいた。


 それでも全体で見れば二人は楽しそうに逢瀬を重ね、相性ぴったりのお似合いカップルとして演出されているので、より観客は違和感を覚えやすい。全部で三組出てくる男女のうち最初の一つにこれを持ってきたことにこの映画の妙があり、他の二組はすんなりハッピーエンドとはいかずとも、最後まで関係が破綻することはない。


 初恋は上手くいかないものだよとでも言いたげな構成。

 映画通のごとく評するなら、見ている最中よりも見終わった後にいい映画だったと実感する作品といったところか。

 翻って優理香はどうだったかと言えば、彼女は泣いていた。

 件の場面、黒人女性が白人男性を拒絶するその、隣の俺の手を握ってきたのでスクリーンから振り向いてみれば、幼馴染は一筋の涙を頬に流していた。

 詳しく聞けば、もうキスする前から二人の関係が終わることが分かっていたらしい。


 儚い恋はこれで終わる。

 口付けは別れの餞別で、もう絶対に仲が修復することはない――それが分かった瞬間、自然と涙がこぼれたとのこと。さらにこういう展開は好きじゃないと短く呟き、昼食の話へとやや強引に話題が切り替えられ、映画の話題はおしまいだった。


 結局、このゴールデンドーンラバーズを優理香が見たがっていたのかは分からずじまいで、もう片方の軽いラブコメを彼女は望んでいた可能性だってある。

 もっとも個人的にはこっちを選んで正解だったと思っている。

 俺もこういう展開は大嫌いで、同じように感じてくれる幼馴染が瞳からほろりと透明の雫を頬に伝わせる様はとてもきれいだったから。






「……あの、ここは?」

「うん? 見ての通り服売り場だけど?」

 優理香さんはしごく簡単に俺の質問に答えてくれた。 

 映画を見終わり、昼食を食べつつ一休みしてから彼女が提案してきたのはショッピングで、今俺たちがいる東光インには様々な服飾のテナントが入っているから、なるほど、二人で服を見て回るというのは至極まっとうなデートプランに違いない。

 俺が戸惑っている理由は、今いる店に置いてある商品の布面積が小さいことだった。


「周りが水着だらけなのですが」

「そりゃそうでしょ。期間限定で出してる水着専用スペースなんだから」

 確かに優理香の言うように至極当たり前の話である。

 肌を覆う部分がごく一部でも何もおかしくはない。

 だって水着だもの。


「服とは?」

「水着も服でしょ。肌に身につけるんだし」

 こっちの困惑にも動じず幼馴染は依然気軽な口調である。

 そう堂々とされると、コロンブスの卵しかり、言われてみればそれもそうかという気がしてくる。


「で、水着選んでよ」

「えっ?」

「いやだから私の水着選んでよ。どんなものでも指定してくれていいからさ」

「どんなものでもですか」

 非現実スタイル美少女として有名な優理香さんが俺の望む水着を何でも着てくださると。それは最早その辺のグラビアアイドルをリアルで見る的な幸運を遥かに上回る男の子的ドキドキイベントではなかろうか。

 ただ、上手い話には必ず裏があるというか、地獄への道は善意で舗装されているというか、とにかく現実感がわかない提案である。


「じゃあ、うーん……」

 とりあえずぱっと周りの展示用マネキンが着ているものを見る限り、上下が分かれたセパレートタイプの水着が多く、上下がつながったワンピースタイプは少ない。ならば素直に多く飾られている方を選べばいいのか、それとも女の子的にはビキニのようなはっきり体型が出るものを着るのは抵抗感があるのだろうか、はたまた優理香クラスのナイスバディなら平気なのだろうか等々と思案しているうちに、ふとひとつの水着が目に入ってくる。


「……あれがいいの?」

 じっと一つのマネキンを見ていたのに気付いた優理香が聞いてくるが、いくら何でもああいうのを着てくれと言うのは豪胆がすぎる。何せあのやや端の方にあるにも関わらず一際異彩な存在感を放つブツは、縦長の黒い布が左右からV字状に伸び、横につながるのは胸下にあるリング状のアクセサリー部分のみという所謂スリングショット水着なのだから。


「いや、流石に――」

「いいよ」

「はい?」

「着てくるね」

 あっけに取られている間に、幼馴染様は店員に声をかけ、水着を受け取ると試着室に入ってしまう。

 そこから我に返り、後を追いかけるのに十秒はかかった。


「開けるね」

 ややあって少し固い声が聞こえ、すっと遮っていたカーテンが取り払われ、出てきたのは、

「――っ」

 完璧としか言いようのない肢体だった。


「黙ってないで何とか言ってよ」

「そう言われても」

 目の前の状況を何と説明したら良いのやら。

 まず胸は存在を主張するとかそういうレベルではないインパクトと谷間でこちらを殴りつけてくるし、お臍から腰のラインもなだらかで甘美なラインを描き、お尻はお尻で胸に負けないボリューム感で存在を主張している。

 つまり一言で評するなら、この黒のスリングショット水着は無茶苦茶エロい。


「何ていうか、人間である以上、出るとこ出てれば他の部分もそれ相応にふっくらするはずなのに、何でそんなにウエストがくびれているのでしょうか?」

 優理香さんは漫画かアニメのキャラですか?

 物理法則と人体構造を超越していませんか?


「まあ、一応体型には気を付けてますし」

「スリーサイズをお伺いしても?」

「上から九十一、六十三、八十八だったかな」

「なるほど」

 これはもしや巷で噂の女性慣れしていない男子が妄想した女性のスリーサイズか。

 二次元美少女かアイドル・女優しか知らない故に、あり得ない体重とか体型を常識にしちゃって、リアルの女性陣から大顰蹙を買うパターンの数字ですね。


「実在していたとは」

「なにが?」

「いや、非実在美少女」

「そういうおふざけはいいから」

 ぴしゃりと切って捨てた優理香の顔つきは変わっていた。


「きちんとした感想聞かせてよ。これでも恥ずかしいと思ってるんだよ」

「それは……」

 真剣さがにじみ出た表情をする彼女に何と言ってあげればいいのだろうか。

 こんな普通の日本人はなかなか着ないような身体つきがはっきり分かる水着を身に着けて、様になるどころか格好良ささえ感じさせるグラマースタイルを、礼を失さず評する語彙力を俺は持っていない。

 となれば、もう稚拙でも思ったままを言うのみだろう。


「凄く綺麗で、魅力的で……、正直じっと見てるとおかしな気分になる」

 出るところは出過ぎるぐらいに出ていながらお腹周りはすっきりしていて、足もすらりと伸び、完全無欠とはこのことかと叫びたくなるプロポーションである。いつも接している幼馴染であっても、一男子として変な気を起こしてしまいそうになる。


「おかしな気分って何? はっきり言ってよ」

「いやらしい気分のことです」

「……まーくんのえっち」

 優理香は頬をほんのりと赤らめる。

 そういう風にされるとこっちだって余計に照れてしまう。


「いやだってそれスゲーエロく見えるんだよ」

「リクエストしたのはまーくんじゃん」

「そうだけど、ほんとに着てくれるなんて思わなかったし、それに……」

「それに何?」

「色々見えそうで不安になってきました」

 一応展示されている品だけあって、ぎりぎりのラインで布面積は確保されており、紐みたいにはなっていない。

 ただし、かなり攻めた水着であることは確かで、激しく動くと二つの果実がどうなるか、想像するとウハウハ気分――いや、恐ろしい。


「そ、そうだね」

「それにするの?」

 間違いなく似合ってはいるし、実際に着ても違和感はないと保証出来る。

 いっそ、日本で最もスリングショットが似合う女子高生は優理香と言っていいかもしれない。


「……違うのにします」

「うん」

 まあそうだよね。

 着たら目立ちまくるだろうし、いくらスタイルが良くても、V字の水着は着たくないのが普通だ。


「もしかして、本気で着てほしかった?」

 自分でも気付かず残念そうな顔をしていたのか、優理香がジト目で尋ねてくる。

「うーん……」

 黒のスリングショットに未練がないわけではない。

 それを着た優理香さんが砂浜を走り、波と戯れる姿を見たい気持ちは確かに俺の中にある。

 けれど、けれども、だ。


「考えてみたら例えばよくあるビキニタイプの水着とかでも、優理香が着たらそれはそれは凄いことになるんだから、こだわる必要ないなって」

 弘法筆を選ばず。

 不動優理香水着を選ばず。

 ともすればバトル漫画とかで最強キャラがロングブレードのようなオーソドックスな武器を愛用しがちなのと同じで、真の強者は奇をてらうよりも正攻王道の方が良いのかもしれないと思ったり――率直にビキニが見たいです、優理香先生。


「まーくんのえっち!」

 こっちの赤裸々な感想にも優理香は少し口元を綻ばせながらツッコミをくれる。

 この阿吽の呼吸は心地よく、彼女と過ごすこの時間がいつまでも続けばいいのにと思えた。

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