第10話 サメ映画でいちゃつくのは死亡フラグ
「ごめん、待った?」
「ううん今来たところだよ、まーくん」
夏の日差しがちょうど半分ほど昇った時間帯、一種の定型句と共に俺と優理香のデートは始まった。場所は最寄りの駅内にある直径二メートル弱の銅の球体――通称銅玉と呼ばれる待ち合わせにはおあつらえ向きの現代アートの前である。
「こういうのって普通は男が先に来て、女の子が待った?って聞くものだよな。待たせてごめん」
「気にしなくていいよ。ほんと今来たところだし、待ち合わせの時間十五分前だから」
とりあえずのご機嫌伺いをした俺に、白のワンピースを着る優理香は天に輝く太陽に負けないくらい眩しい笑顔で応えた。シンプルで衒いのない服装もそうだが、その女子高生らしい可愛さも相まって、まるで映画の一シーンから抜け出してきたのかと錯覚するほど絵になる光景だった。
「いやいや優理香ほどの可愛い女の子は一人にしたら鬱陶しいナンパ男が絶対寄ってくるから、先に着いとくべきだったよ」
お世辞というより殆ど事実に近い褒め言葉で間をもたせつつ、今日のデートのことに頭をめぐらせる。
第一に昨夜の優理香からの連絡では待ち合わせ時間と場所を指定されただけで、どこに行くのか、何をするのか、一切聞いていない。
第二に普段のパターンなら買い物に付き合うか、横浜の赤レンガ通りをちょっと二人で歩いてみるとか、まあそんな感じのありふれたプランに落ち着くものであるが、今日は佐々岡とのこともあり、主導権を握っているのは優理香の方だ。
正直全くの未知で、今日会ってお姫様の顔を見てみないことには、何の対策も立てられないと思っていた。
「もう、そうやってすぐおだてるんだから。悪い気はしないけど、あんまり毎回言ってると安く聞こえるよ」
けれど、現実は今をもって不明。
優理香は一見普段と同じように見えるが、何かが違っても感じられる。
「じゃあ少し早い気もするけど行こうか」
「どこに? 昨日は特にどこに行くとは言ってなかったけど」
「三駅先の東光インだよ」
「東光イン? 買い物?」
この選択もやはり違和感がある。
東光イン自体には前に二人で行ったことはあるし、色々と揃っているからデートにも便利だろう。
ただ、それなら几帳面な優理香の性格からして事前にそうと伝えてきそうなものだ。
「それもあるけどまず映画かな」
「映画、ですか……」
これまたド定番である。
気の置けない男女が選ぶデートプランランキングで三位以内には入っていそうな、ごくごくありふれた選択で、その裏に込められたものを想像するには手掛かりに乏しい。
「うん、映画。たぶん一緒に行ったことなかったよね?」
「そう言えば、そうかな」
指摘されてみればそんなような気もする。
特に避けていたわけではなく、単に俺も優理香も映画に人並み以上の思い入れがないから、今まで行ったことがなかったのだろう。
「納得して貰えたなら行こうか。電車の時間もちょうど良さそうだしね」
優理香は言い終わるなりこちらの返答を待たずに改札口へと歩き出す。
その背中はやけに頼もしく見えた。
東光イン三階のシネマエリアは休日にしては人が少なかった。
話題作となるような映画が少ないからか、あるいは映画は夏休みに入ってからと考えている人が多いからかは分からないが、何を選んでも満席で見られないという事態は避けれそうで重畳である。また、電車の中では映画の話題は一切しなかったので、我が麗しき幼馴染様がどれを指定してくるのか、とても興味深くもあった。
「デートで見る映画と言えば一つでしょ」
チケット売り場の前で優理香さんはこちらを見つつ力強く宣言する。
移動中に何を見るか言わなかったのはこの“フリ”のためだろうか。
となれば、こちらとしても答えがいがある。
「なるほど、確かにデートと言えばこの“シャークハリケーンⅢ――三体のホオジロザメが南極に潜伏していたカルト教団によって融合合体。世界を覆う死の旋風を止められるのはやはりサメ”だよな!」
「…………」
おかしなことに相方の反応が薄い。
まさか滑った?
いや、あのB級映画会社の雄であるハサイレムプレゼンツのこの大作がネタとしてイマイチなはずがない。
「前作タイフーンオブシャークⅡからさらに進化! 総勢三十三種類サメたちがおりなす一大スペクタクルシームービー! もう今年の夏にカップルが見るとしたらこれしかないよな!」
なぜ二作目がタイフーンなのに三作目はハリケーンなのかとか、進化したのは出てくるサメの種類だけかよとか、そういうことに突っ込んではいけない。一作目はタイフーンでもハリケーンでもないサメスパイラルだったし、ポスターにどう見てもサメではないクジラとかイルカとかタコとかも混じっているし、何ならカルト教団の教祖はドーナツ状の基地を背景に宇宙服みたいなものを着て映っているが、それはそういうものとして見るのが正解である。
「ぶっちゃけ、俺としては前作はあんまり好きじゃなかったんだよね。ほら、続編なのに初代で大活躍した超能力を使うカンフーおじいさんを始めとした前作の人気キャラ出てこないし、全体的に中途半端に真面目に作ってあるのが逆に白けるというか、そうじゃあないだろ感というか。その点今作は原点回帰を感じさせるチープな画面作りに期待がもてる」
「まーくん」
「はい」
受けていないことには途中で気付いていましたよ。
ハサイレムが女の子受けしないどころか、知名度がそもそもないことも知っていますとも。
でもね、俺は彼らの作るサメ(をだしにしたとんでも)映画が結構好きなんです。流石に映画館に行っては見ないけど、たまに動画配信サイトとかで無料配信している時なんかにはつい見ちゃうんです。
「デートで見る映画と言えば一つだよね?」
一方ハサイレムのハの字も知らなさそうな優理香さんは目を細くして問いかけてくる。
これは朝七時とかにやっている大きなお友達御用達のハート捕まえる系アニメ映画や、作る時代をどう考えても間違えている任侠ものとかを挙げてもう一回ボケてみる作戦は中止した方が良さそうだ。
ずばり心臓を捕まえられて仁義なきサメの餌にされそう。
「デートムービーと言えば恋愛ものですよね」
「うんうん、そうそう」
優理香は一転満足げな顔をしてくれる。
ここまでは簡単な話なので良い。
問題は恋愛ものらしき映画が一つではなく二つあることだ。
「恋の始まりは鯉を見に来いとゴールデンドーンラバーズ、ね」
前者は鯉の養殖業に勤める中年男性が錦鯉の美しさの魅せられた女子大生と出会い、そこから年齢を超えた恋に落ちていくという、日本で作成されたコメディ要素強めのドタバタラブコメで、後者は二十世紀も終わりに差し掛かるニューヨークを舞台として、多種多様な人種の男女がすれ違い誤解し合う恋愛模様をオムニバス形式で収録した海外作成のやや社会派寄りのラブロマンスだ。
「どっちを見たい?」
「そうだな……」
いつもなら前者だと思う。
優理香はたぶん娯楽全般にメッセージ性を求めないタイプの人間で、二人で見るとなれば、一層コメディ寄りの作品を好みそうだ。
ただ、こうしてわざわざ聞いてきていることを考えると、答えは違ってくるのではないだろうか。
「ゴールデンドーンラバーズかな」
「ふーん、そっちを選ぶんだ」
優理香は肯定も否定もせず、こっちを見つめたままだ。
予想外の様子に俺は上手く返せず、無言の間が流れた。
「じゃそれにしよっか」
沈黙が続いたのは時間にして数秒。
ごく短い間に彼女が何を考え、何を想ったのか、それなりの付き合いがあるはずなのに、俺には見当が付かなかった。
今日の不動優理香はエネルギッシュなのに予測不能なのだ。
いつもと違う彼女。
普段よりもミステリアスな彼女。
日常とは別の側面をみせる彼女。
それら全ては新鮮で、しかも魅力的だから困ったものである。
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