第4話 ハンバーグは肉の質。孫子にもそう書いてある

「で、朝は間に合ったのかな、まーくん?」

「ま、まあね」

 あの朝の衝突の後、スマホで連絡をよこし、昼休みに俺を生徒会室に呼びつけた隣クラスの幼馴染は表面上穏やかな顔をしていた。

 そのご尊顔を拝し奉った瞬間、背筋に冷たいものが走ったのは言うまでもない。


「何とか間に合いましたよ?」

「ふーん、で、何の手伝いだったの?」

「い、色々」

「色々ねえ。後で獅子吼君に聞いてみようかな」

 俺のバレバレの嘘を追及する優理香は相変わらずの細目だ。

 彼女の目が見開かれた時、天国の門は開かれるので、高速で言い訳を考えている最中、ふと優理香の顔つきが和らぐ。


「まあ、今回は許してあげる。あんな粘着質な子に絡まれたら逃げたくなるのも分かるから。それより今日はお弁当作ってきたから、一緒に食べよう」

 望外にも、お姫様の機嫌は悪くなかったらしい。


 そんな風に優理香お手製ランチを無邪気に受け取って喜んだ刹那――


「先輩! 今日はこの佐々岡凛、初めて料理というもの挑戦してみました! ぜひご賞味ください!」


 鶴賀崗高校の核弾頭もとい佐々岡が、右手に水玉模様の小包を引っ提げ、生徒会室に現れる。

 何故ここで出てくるんだよ?

 頼むから空気読んでください。


「おや奇遇ですね、不動先輩。しかし、そんな所でつっ立たれていると邪魔なので、どいてくれますか」

「うん? ここは四階の生徒会室って知ってる? 佐々岡ちゃんの教室は三つ下の階」

 まーた始まりましたよ。

 心なしか朝より二人の口調が刺々しい。


「何を当たり前のことを。二年の教室にいなかった先輩に会いに来たに決まっているでしょう。不動先輩並みの残念な脳みそなら、階数を間違うこともあるのでしょうが」

「消えろって意味だよ。分かんない?」

「こっちこそ消えるのはあなたってことですよ。分かりませんか?」

 うん、このペースは放っておくとレッドゾーン待ったなしだ。

 しかし、まさか佐々岡がここに来るとは思っていなかった。おそらく、昼は無人の生徒会室で昼食を取ることがあると以前俺が話したのを覚えていたのだろう。


 ただ、この場所はしごくまずい。

 仮に教室なら、二人も人の目を気にして言い合いをする前にどちらかが身を引くか、あるいはそもそも接触を避けてくれる。翻ってここは俺たち以外の人間が存在せず、周囲を憚る必要もない。すなわち、いつものように身を犠牲にして、神々の怒りを鎮める覚悟が俺には要求されている。


「ストップ! 両方食べるから! 三人で食べよう!」

 言うと同時、普段俺が作業をしている長机のパソコンを左端に寄せ、続いて流れるような動きでこちら側に一つと向かい側に二つのパイプ椅子を置き、即席の三人席を作り上げる。すると、渋々といった態だったが二人は向かい側に座ってくれた。


「先輩、自分としてはご飯は気分良く食べたいです。おじゃま虫が近くにいる状態はちょっと」

「私も外野がいると落ち付かないから、食堂にでも行って、二人で食べよう、まーくん」

「いや、もう食べよう。今すぐ食べよう。餓死しそうだから!」

 ここは、早口でまくしたてるのみならず、優理香の弁当を開き、食べる以外の選択肢を潰してしまうが吉。

 時間を与えては朝の二の舞だ。


「おっ、優理香のはハンバーグか。いいね。さあ、佐々岡のも見せてくれ」

「むむっ、仕方ありませんか」

 佐々岡は依然少し不服そうにしながらも包みを差し出す。

 そこまでは狙い通り。

 しかし、中身が新たな爆弾だった。


「佐々岡もハンバーグ……」

 よりにもよって、同じおかずかよ。

 この状況でもし“どっちが美味しかった?”なんて聞かれた場合、ハンバーグとハンバーグを比べることになり、明確な序列付けをしたように取られる可能性が出てしまう。


「ふーん、見た目は思いの外まともだね」

「これはこれは。お褒めにあずかり光栄の至り。不動先輩のもご本人と同じで、外見は見れるものですね」

 鍔迫り合いをする二人から察するに、感想を求められるのはほぼ確定だろう。


「せっかく同じハンバーグだったんだから、どっちがまーくんの好みか、聞かせてよ」

「私の方が美味しいと容赦なく言って構いませんよ、先輩」 

 やはり水が低きに流れるがごとく、だ。

 不動優理香と佐々岡凛は闘いの運命を背負っている!

 そう言うと格好いいけれど、単にいつも喧嘩をしているだけだ。


「分かった」

 とにかく、人は運命には逆らえないらしい。

 だからこそ、俺は運命を切り開く気持ちで、後にふりかかる惨事に目をつぶりつつ、箸を動かす。


「優理香のはいつもと同じでうまい。特にナツメグが入ってるのが俺好みだ」

「まーくんの好みはよく分かってるよ」 

 優理香は俺の普段そのままの賛辞に、予定調和的な喜びを見せ、まずは順当な結果だった。

 元から我が幼馴染の料理の腕前に物申す気もない。

 逆に言えば、それを知っているはずの佐々岡が臆せず勝負を受けた自信の根拠が気になる。


「ささっ、前座はそこまでにして、次は私めのをどうぞ」

「ああ……」

 佐々岡のものは、見た目は普通のハンバーグで、鼻から伝わる情報もデミグラスソースの良い匂いのみだ。

 箸で切り取った断面が生焼けということもない。

 後は、味がそれに付いてくるか。


「うまい!?」

 口に広がる豊潤な肉汁と、ソースに少し混ぜられていたケチャップの酸味が織りなすハーモニーはまさに極上。

 文句なく満点をあげられる。

 ただし、このハンバーグは不自然に美味すぎる。


「佐々岡、これ作るのにいくらぐらい掛かった?」

 別の言い方をすれば歯ごたえや味の濃厚さが、そこらの肉とは一線を画す高級感を露骨に演出していた。


「三千円程度でしょうか。肉だけでなく、ソースも駅中デパートの専門コーナーで買いましたから」

「いや、それはお前……」

 三千円って、人によっては一ヶ月のお小遣いに匹敵しますよ?

 初めてでそつなく調理出来た部分は褒めたい反面、材料費がそう高額だと、なかなか反応に困る。


「勝つために労は惜しみませんよ。で、結果はどうなんですか、先輩? 見たところ、勝敗は明白かと思われますが」 

「どうって言われても」

 お金のことを考慮しなければ、佐々岡の作った品に軍配を上げたくなるところだ。優理香のものが悪いわけでは決してないけれども、肉の質の差はどうしても大きい。

 普段口にしない高級合い挽き肉と、スーパーで売られている一般的な合い挽き肉、どちらを使えばインパクトの大きいハンバーグになるか、それは断然前者に決まっている。


 佐々岡はその大前提を冷徹に計算に入れた上で、優理香が普段から料理しているが故に、当たり前の材料で作られた品で勝てると慢心していると見抜いていたに違いない。

 まったく、鶴賀崗マーメイドの勝負強さには感服する。

 そして、佐々岡の強かさが浮き彫りになるにつれ、結果が自分の中で決まっていたことに気付いていく。


「今回に関しては、優理香の勝ちかな」

「えっ?」

 勝者を告げて一番驚いたのは優理香だった。彼女は渋面から一転、若干呆けた様子で俺を見つめる。


「確かに単純な味というか、インパクトなら佐々岡の方が上だったかもしれない。でも、だからこそ、佐々岡のハンバーグが特別な高級品だったからこそ、俺は優理香の作ってくれる料理が好きなんだって改めて思った」

 昔馴染みであること。

 それは他の誰にも真似出来ない無二のかくし味。

 優理香の築いてきた実績が、俺にとって最も評価点が高かった。勝敗を分かつものはそれだけだ。


「私の負けですか」

 敗北した佐々岡に悲嘆した様子はなかった。

 全国区のスイマーたる彼女は理解しているのだ。

 勝負事は、時に想像外の要因によって覆されうることを。

 だから最善を尽くした後は、真っ直ぐ結果を受け入れたのだろう。


「ただ、値段のことは別にして、初めて挑戦してこんなにちゃんとしたハンバーグを作ったのは、凄いと思う。佐々岡は何でも出来るな」

「愛の力です!」

 佐々岡は敗れても明るい。 

 その潔さは水泳選手として尊敬に値する美徳である。


「明日も作ってくるので、逃げたりしませんよね、不動先輩?」

 もっとも、負けず嫌いなのはご愛嬌か。

 一方、挑まれた優理香はというと、露骨に嫌そうな表情をしていた。


「連続で作るのはちょっと」

「何ですか、勝ち逃げですか?」

「いや、普通に面倒くさい」

「…………」

 ぶっちゃけた理由で対戦を断られ、黙る佐々岡さん。

 なかなかレアな光景ではなかろうか。


「今度機会があったらってことで」

 佐々岡に一応の配慮をする優理香さん。

 こちらも滅多にない一コマだろう。


「約束ですよ!」

「はいはい」

 再戦の約束を交わしつつも、緊迫した空気は薄れ、我が後輩と幼馴染の対決は軟着陸したように見えた。これで強敵と書いて友と読む的ないい関係になってくれればと、彼女たちが作ってくれた二つのハンバーグを見て願わずにはいられない。


「それはそれとして、まーくんは口動かした方がいいんじゃない? 昼休み終わっちゃうよ」

「あっ」

 眼前には大きな肉の塊が入った二段の弁当箱が二組。

 まだ一口ずつしか食べていないそれらを残った休み時間内で腹に収めるには、よく噛むことを諦めなければいけなかった。

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