第2話 疾きことヤンデレのごとし

「おはようございます、先輩」


「――――おはよう?」

 はて、起床早々に何故か佐々岡の声が聞こえる。

 早朝から後輩が俺の部屋にいるはずもないから、寝ぼけているのだろう。眠気覚ましに起き上がってすぐ大きく伸びをしてから、しっかり瞼を開いて、隣を見てみると、


「今日はいい天気ですよ。いよいよ暑くもなっていますが」

 佐々岡がいた。

 そう、佐々岡凛はいるのだ。夢でも幻でもなく実物としてここに存在している。彼女は淡い水色のショートヘアーをカーテンから零れる朝日で光らせ、澄んだ紺碧の眼を真っ直ぐに俺に向けながら微笑んでいた。

 ごくごく自然な様子で。


「ところで佐々岡さん、つかぬ事をお聞きしたいのですが、何で俺の枕元で正座してんの?」

 あまりに堂々としているものだからスルーしてしまいそうになったが、佐々岡が朝に俺の寝床にいる理由について、ぜひともご説明願いたいところだ。

 ごく一般的に考えて、単なる後輩が家族の一員のごとく侍っているのはおかしい。


「またまた、先輩、とぼけちゃって」

 が、我らが鶴賀崗つるがおか高校女子水泳部のエース様は、何やら確たる大義をお持ちのようで、三文芝居には付き合いませんよと言わんばかりのしたり顔である。


「昨日のこと、覚えてますよね?」

「あれのことなら、俺は……」

 一時保留の返事をしたよなとこちらが言う前に、佐々岡はグイっと顔を寄せ、息が吹きかかりかねない距離まで詰め寄って、不敵に笑む。


「いやいや、みなまで言わずとも分かってますよ! 私が先輩のお手を煩わせるようなことするわけないじゃないですか。いやー、心配性だなあ、先輩は。石橋を叩いてなお渡らない。それが流儀ってやつですか」

「えっ?」

 何なんだこの自信満々な態度は?

 大会前のテンションか?

 一着とっちゃうぞ的なノリなのか?


「もちろん、この佐々岡凛、先輩の結婚しようの提案に一も二もなく、イエス!とそう高らかに応えましょう!!」

「話、飛躍しすぎ! 新手の結婚詐欺か!」

 まず告白してきたのはそっちからだし、結婚の“け”の字も出てきた覚えはない。

 というか今時、誰彼構わず胡散臭いメールを送って不特定多数を騙そうとするしょぼくれた詐欺師でももっとちゃんとした手順を踏むだろう。

 多少は騙されそうな雰囲気を出してくれ。


「詐欺だなんて心外な。この契約にはクーリングオフも有効期限もありません。ゆりかごから墓場まで、安心安全の生涯設計です!」

「押し売りかよ」

「押しかけ妻です」

「要りません」

 強引さだけは一級品だな。

 ただ、一応女の子から告白を受けたのならば、誠実な対応をすべきでもある。もう一度はっきり意思表示をして、それで納得して貰うとしよう。


「なあ、佐々岡、好意は嬉しいが、俺の答えは昨日と変わらない」

「えっ!? 照れなくても大丈夫ですよ」

「いや照れてないよ」

「えっ!? 照れなくても大丈夫ですよ」

「率直に言って保留です」

「えっ!? 照れなくても大丈夫ですよ」

「…………」

 駄目か。

 飲食店やケータイショップにたまいる受付用のロボットが、壊れて同じ返事しかしなくなった時みたいになっている。

 タッチパネルのどこを押しても同じことしか言わないボーイッシュな美少女ロボ。

流行りそうだな。


「あなたのコクハク、一旦オアズケ。日本人、オクユカシイ。部族のオキテ、ツキアウ許してない」

 今度はアンチ文明風味のエキゾチックなお断りを試してみる。

 下手な理屈が通じないとなると、精霊とか儀式とか、そんな感じの非科学的なよく分からない勢いで押すしかない。

 部族のオキテとは、すなわち校則だと悟らせてみせる!


「なら、コロスぅ!」

「こわっ」

 無念、佐々岡は予想以上の蛮族だった。

 目が合ったらぼこっちゃう系で、他国を侵略しまくって大帝国とか建国しちゃう戦闘民族に違いない。

 要は、説得不可能ってことだ。


「あのですね、佐々岡さん、私と致しましても、一日やそこらで考えをまとめるのは難しいというか、何というか……」

「はあ、仕方ないですね、先輩は」

 いよいよモゴモゴ言って悪あがきをし出した矢先、ツルガオカ族のササオカ=リン族長はため息を一つ吐き、譲歩の気配を見せた。

 ここはぜひ鬼の目にも涙といった展開を期待したい。


「そんなにマリッジブルーな心境だとは思いませんでした。まあ、結婚生活はお互いに譲り合うことが重要でしょうから、ここは引きましょう。どの道、婚姻届けは私の卒業式の当日に出そうって話ですしね」

「それ、何一つとして譲ってないし、ついでに全く身に覚えのない話を、さも二人で決めたみたいな体でねじ込んできてるよね」

 現実は非情であり、鬼は泣かなかった。

 話は膨らみに膨らみ、何から否定していけばいいのか、俺にはもうさっぱり分からない。


「子供の名前は、男の子なら正明、女の子なら幸にしましょう」

「人の名前から勝手に一文字ずつ拝借するの、やめて貰って構いませんか」

「もう、先輩のいけずぅ」

 一転、リスみたく頬を膨らませる佐々岡はかわいい。

 普段凛々しい分、その小動物的な仕草にはかなりの破壊力があり、一瞬全てを許してしまいそうになるけれども、もしなあなあのままにしておくと、佐々岡との交際が既成事実化してしまう恐れが多分にある。

 だから、賽の河原の石積みをも成し遂げる気持ちで、最初の質問に立ち返って、今の押せ押せムードを断ち切るべきとみた。


「それで結局のところ、どうして朝一で俺の布団の真横に居座ってるの? てか、どうやって家に入ってきたわけ?」

「先輩の妹さんに入れて貰いました」

「あいつ……、まあ、もうそれはいいけど、理由の説明はまだですよ、佐々岡さん」

 絶賛ゴリ押し中の後輩は頑なに犯行動機を告げようとしない。

 こっちが黙秘すれば勝手に同意したとみなすくせに、自分の都合の悪い部分はふれないでいるの、スポーツマンシップに反すると元水泳部先輩として指摘したい。


「分かりませんか?」

「分かりませんね」

「先輩の朴念仁」

「おーっと、小声で可愛く呟くことによって、鈍感な先輩に好意を気付いてもらえない後輩キャラ気取っていますけれど、告白した昨日の今日の朝に、突然枕元で正座している奴の心境が分かったら、怖いからね。俺、エスパーじゃないからね」

 いくら周囲から鶴賀崗マーメイドなんて呼ばれてもてはやされているとはいえ、忖度するのにも限度がありますよ。


「やれやれ、そうやって私から直接言わせようするんですね。口に出させて言わせないと満足しないってわけですか、先輩は。なら、しょうがありませんね。はっきり言いますよ」

 何故か俺が変態みたいな扱いをされているが、この際答えてくれるならそれでいいや、と仏の精神で待ってみれば、佐々岡はチラチラこちらの顔色伺うように目を泳がせるのみで、なかなか口を開こうとしない。

 まさか、照れている?

 いや、このムードも何もない状況から愛をささやくつもりなのか?


「朝一でセッ〇スして退路を断つつもりでした」

「アウッ!!」

 言っていいことと悪いことあるだろ!!

 完全に色んなところの禁止コードに触れてるよ!

 合体とか、融合とか、何でもいいからぼかして、一線は超えないようにしてくれ!


「君、まだ高一だよ!? もっと甘酸っぱい考えで夏を送ろうよ。何でいきなり王手飛車取り仕掛けてきてんの? まずは手をつないで、キスしてぇみたいに段階踏みましょうよ!」

「おや? 速さの世界に身を置いた鶴賀崗トビウオの芽岸正幸とは思えない発言ですね。飛び込みで遅れる者、ターンで抜けず。水泳の鉄則でしょう」

「上手いこと喩えたつもりだろうけど、上手くないから。なまじ水泳出してきてるせいで余計イラっとするから」

 何が飛び込みで遅れる者、ターンで抜けずだ。

 ありそうでない格言をねつ造するな。


「むうっ、手厳しいですね」

 麗しき鶴賀崗マーメイドは不満気に唇を尖らせる。

 わがままな奴と感じる反面、分かる部分もあるにはあり、この堂々巡りを続ける会話を終わらせるには、二度目の真面目な返答するのが一番かもしれない。


「なあ、佐々岡、言ったように好意は嬉しいし、佐々岡のことが嫌いなわけでもない。でも、いきなり恋人同士っていうのは困る。だから、しばらく待ってくれないか。必ずちゃんと答えをだすからさ」

 きっと眼前の可愛い後輩の強引さは俺への思慕あってのものだ。

 また、そのあたりの機微を今更うやむやにする気もない。

相手の思いを受け止めた上で、明確に待ってもらいたいと伝える。それが俺の示せる誠意であり、現時点での答えでもある。

 昨晩の優理香の時のように、曖昧なままは本来良くないのだ。


「……まだ私は追いつけていませんか」

 小さな呟きの後、しばらく間があってから、佐々岡は改めて真摯な眼差しでこちらを見つめてくる。ほんのわずか、悲しそうな顔をした彼女の瞳には、吸い込まれそうな深みを持った海が広がっていた。


「分かりました、婚姻届けは大学を出てからにします」

「おい」

 そこに抗議してないから。

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