第1話 あんたのためにごはん作ってあげたんじゃないんだからね!
「どう? 今日のから揚げ美味しい、まーくん?」
「ああ、いつも通り美味しいよ」
「いつも通りそう言ってもらえて、私、嬉しい」
俺のありていな感想に、優理香は柔和な笑みを見せる。
ちょっとした誉め言葉で喜んで貰えて言った方としても嬉しいが、親が家にほとんどいない我が家の家事を、今日夕食を作りに来てくれたように手伝ってくれるのだから、感謝するのは自然なことだ。
また、俺はこれから先、何度も同じようなことを彼女に言うだろうし、不動優理香は単に幼馴染というだけでなく、日常の一部分を構成するほどに当たり前で重要な存在でもある。
そして、そんな関係だからこそ、今晩の食事がぎこちないものであるということがよく分かってしまう。
「ところで、まーくん、朝のことは考えてくれた?」
「朝? 何かあったかな?」
「わかってるくせに。告白のこと! 付き合ってくれるよね? そうだよね?」
ぎこちなさの原因はこれ――朝に弱い優理香が家の前で待ち伏せしていたので何事かと身構えてみれば、まさかの付き合ってくださいの申し出である。俺は慌てに慌てる一方、もう少し待って欲しいと咄嗟に伝えることには成功し、学校ではそれとなく会わないようにすることで今日をやり過ごしたと思っていた。
ところが、優理香は大胆にも夕食を作るという名目で直接会い来たわけなのだ。ついでに、わざわざ触れずにしておいた告白についてつっこんできてもいる。
この危機に際して、願望を言うなら、適当にのらりくらりして乗り切りたい。
間違いなく、無理だろうけど。
「私じゃ駄目かな? もし駄目なら、私の駄目なところを言って。私、ちゃんとなおすから」
「いや、そうじゃなくて。そんな急に言われても、難しいって言えばいいかな。もちろん優理香のことは嫌いじゃないけど」
「私は好みのタイプじゃない?」
「まさか。優理香はかわいいよ」
枝毛一本なく綺麗に整えられた茜色のセミロングの髪、明るい琥珀色の瞳が印象的な愛嬌と悪戯っぽさが両立した顔立ち、あまりにも胸とその下との間に段差がありすぎてくびれが漫画みたいになっている身体つきと、世辞抜きで優理香の容姿レベルは高い。
いや、高すぎると言っていいかもしれない。
今日の首後ろ部分にバックリボンが付いた白のブラウスに、薄い水色のデニムラップスカートというコーデも、もう何か僕の考えた最強の美少女感があっていい。
ここまでくると、一周回って、優理香は空想上の生物だという気がしてきた。
奴はモテない男たちの集合意識が創り出した非実在少女!
「なあ、優理香、お前って中の人とかいる系?」
「は?」
「いや、漫画とかアニメのキャラを演じている声優さんをそういう風に言うんだよ。優理香っていかにも二次元のヒロインみたいだから、実は声優さんとかいるのかって思って」
「まーくん、真面目に聞いて」
「はい」
とぼけて駄目なら茶化してみよう作戦は失敗だった。
優理香の目がかなりマジなので怖い。
「けど実際、お前のかわいさは作り物じみていて、初心な高校生を危うくさせる域だと思うぜ」
「どういう意味よ?」
「そのちょっとだけ幼さが残ってる顔と、谷間が何センチあるか知りたくなる胸で迫られたら、逆らえないじゃん。前のテストの点数から初恋の人まで、何でも喋っちゃうと思うな、俺は」
前に優理香から簡単な用事を頼まれた同級生の田中くんは、天にも昇るような歓喜の表情だったからな。彼とはたまに話す仲だが、おそらく夏休みが倍になってもあんな顔はすまい。
もっとも、その後、機を見ては話しかけていた田中くんに対し、優理香のあしらい方は見ていて辛くなる類のものだったが。
“不動さんって洋楽好きなの? いや、前に偶然そういう話を芽岸くんから聞いてさ”
“うん、結構好きだよ。最近のポップスばかりだけどね”
“じ、実は僕も結構好きなんだ。ジャズがほとんどだけど、ポップスにも興味あったから、良かったらおすすめ教えてくれない?”
“うーん、ぱっとは思いつかないから、また何か見つけたら教えるね(視線を切り、無言で次の授業の準備を始める優理香さん)”
この表面上は丁寧だけど、相手に一切興味がないことを暗に示す高度なコミュニケーションは……、これ以上思い出すと俺まで胸が痛くなるからやめよう。
「なら、初恋の人、誰?」
「ひ・み・つ」
「気持ち悪いから死んでくれる?」
ちなみに俺が相手になると、我が幼馴染は容赦がなくなる。
彼女は人当たりの良さそうな外見に反し、結構内弁慶な性格なのだ。
「まあまあ、優理香ではないから安心してくれ」
「は?」
「すいません、ちょーしこきました」
また怒りのボルテージを一つ上げてしまった反面、告白から話題を逸らすことには成功しつつある。
ここはこの流れでどんどん四方山話をして、優理香が帰る時間まで粘る方向性でいくか。
「ついでに思いついたんだけどさ、昔の春画と今の漫画とかのイラストって全然違うよね。だから、優理香みたいな美少女でも江戸時代ぐらい昔の人から見たら、案外そうでもないのかな? 俺の意見としては、三百年以上前の基準でも、優理香なら通用するって考えてる」
「うん、ところで、私と付き合ってくれるんだよね、まーくん?」
「…………」
儚くもあっという間に本丸に切り込まれ、話を脱線させよう作戦は封じられてしまう。
こっちの意図を完全に読むとは、流石は幼馴染だ。
「い、いやー、から揚げもそうだけど、高野豆腐にあさり入りの味噌汁もおいしいなあ。優理香はこういう料理をレシピも見ずに手際よく作れるからたいしたもんだよ。でも、付き合うことになったら、手料理を食べ過ぎて、太っちゃいそうで怖いな。部を辞めたとはいえ、一応俺まだスイマーだし」
「うん、それはこれから彼女としてたくさん手料理を作ってくださいってことね。もっとはっきり俺も優理香が好きだって言って欲しかったな。でも、予想してた返事がきちんと聞けて良かった」
「あっはい」
婉曲的なお断り表現でギリギリの線を攻めたら、苦も無くホームランを打たれてしまった。
インコースを攻めるときは常にリスクが付きまとう。そんな教訓を得た気分だ。
「えっ、そういうことではないって、つまり、彼氏彼女よりも先の関係までってこと? 将来を約束しようってこと? それは困ったなー。いくらまーくん相手でもいきなりそこまで……、まあ、前向きに考えてあげる」
「うん?」
どんどん言質を取られている?
おかしいな、お付き合いの返事をうやむやにしようとしたら、気付かぬうちに結婚の申し込みをしたことになっているぞ。
「結婚となると大学は偏差値六十五以上、就職は一部上場かつ四十歳時の平均年収一千万以上限定だから、しっかり努力してね、まーくん」
「は、はい」
「大丈夫、住居は持ち家か賃貸かにはこだわらないし、車も軽で十分だから。その代わりというか、むしろ夫として当然だと思うけど、育児には絶対協力してね。オムツを日に一回二回交換したぐらいで自慢気にしたら、即離婚だよ」
「頑張ります」
「返事が小さい」
「優理香さんのご期待に沿えるよう頑張ります! ……って、そうじゃなくて!」
危うく元体育会系のノリで同意してしまうところだった。
この辺も幼馴染故に俺の気質をよく読んだ上で誘導してくるから油断ならない。
「なに? 私としては今のが最低ラインだから、これ以上譲歩はしない」
「そのー、誠に申し上げにくいのですが、結婚云々以前にですね、当方と致しましては今回の件は一時保留にして頂きたい所存でありまして」
優理香が何と言おうと朝の時と俺の考えは変わらない。
ここで優柔不断にしてはかえって失礼だろうし、たまには毅然と跳ね返して見せる!
幼馴染になんか、絶対負けない!
「はい?」
「いや、優理香さんに魅力がないとかそういうことではなく、単純に心の整理が付かないとでも申しますか……」
「は? そんなの私だって難しいと思いますけど。今まで幼馴染として積み重ねたものから一歩出て告白した私に対して、待ってくださいなんて言って、しかも心の整理どうのこうのって恥ずかしいと思わないの? まーくんってそんな程度の人だったの?」
「す、すいません」
幼馴染には勝てなかったよぉ。
まあ、ただでさえ尻に敷かれている状態なのに、いつもの三倍増しの押し出しで迫られたら為すすべがないよね。
「そんなじゃ社会出てやっていけないよ」
「返す言葉もございません」
「いや、返す言葉がないじゃなくて、どうするかって聞いてるの。これから私と付き合う上でどう今日のことを償っていくか、それが重要でしょ」
「はい」
「だから、はいじゃないって。どうするの? ノルマの大学偏差値六十五以上、就職一部上場かつ四十歳時の平均年収一千万以上を達成するために何するの?」
「それは、その……」
いい加減目からしょっぱい水が流れそうだけれど、この圧迫面接に終わりはあるのだろうか?
いや、優理香はニコニコしているので良い方向に向かってはいるだろう。
笑顔で俺を苛めているうちはまだ序の口であり、真顔になった時こそ彼女の本領発揮――端的に俺は死ぬ。
「ふふん、今日はこのあたりでやめてあげる」
「ありがとうございます! 感謝致します!」
やっと優理香さんのどSタイムが終わった。
場合によってはここからもう一ループあってもおかしくないから、砂漠で見つけたオアシスのごとき優しさが五臓六腑にしみわたる心地である。
「うんうん、感謝の気持ちは大事だよね。私に構って貰えるまーくんは幸せ者なんだから」
「その通りでございます!」
「よし、じゃあ私は帰るけど、次の期末テストの勉強をちゃんとするように。今の成績は六十五ちょうどぐらいだろうから、より上の学年十位以内を目指してね」
「りょ!」
よし、やる気が出てきたぞ!
まずは得意の英語をやってモチベーションを上げてから苦手な数学に取り掛か……、何かおかしくないか?
「優理香さん?」
「なぁに、まーくん?」
甘ったるい声で応える優理香は満面の笑みだ。
その表情を見て、得も言えぬ悪寒を感じるが、断じて気のせいだろう。
「結局、告白の件は保留ってことで納得して貰えたのでしょうか?」
「は?」
「ひぃっ」
真顔はほんと怖いからやめて!
あれこれトラウマを思い出して過呼吸になっちゃうから!
「まったく、煮え切らないなあ。仕方ないから先払いでご褒美をあげる。特別だよ」
ダイニングテーブルを挟んで対面にかけていた優理香は再度笑みを浮かべ、そして不意に身を乗り出した。
「っ!」
次の瞬間、唇から伝わるのは温かい感触。
「逃がさないから。覚悟してね、まーくん」
ほんのり頬を赤らめた我が幼馴染はすぐ席を立ち、それ以上は一言も発さず帰ってしまう。
後に残ったのは、茫然とまぬけ面をさらす一人の男子高校生だけだった。
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