滅日と婚約破棄

 その村は死にかけていた。

 空気はカラカラに渇き、大地はひび割れ、川は干上がっている。草一本、生えてはおらず、生きて動くものは虫さえもいない。生命を繋ぐ糧はなにひとつなく、村に残っているのは年寄りと病人だけ。わずかな蓄えを少しずつ切り崩してここまで生き延びてきたが、それももう限界に来ている。あと数日もすれば、この村から生きた人間の姿はなくなっていることだろう。

 カティたちはその村でひとりの老婆に出会った。すっかり干上がり、縮んでしまったようなしわくちゃのその老婆に、カティはミルクとチーズを振る舞った。老婆は神仏からの授かり物のように大切に押し頂いた。

 「おお。これはうまい。最後にこんなうまい乳と食べ物にありつけるとは幸せなこったで」

 「なに言ってるんだよ、ばあちゃん!」

 ギャル姿のグリフォンが、まるで祖母の心配をする孫娘のような口調で言った。

 「なんで、こんなところに残っているのさ。さっさとどこか別の場所に逃げればいいじゃないか」

 「ありがとうよ、心配してくれて。じゃが、もういいのさ。どのみち、この年寄りでは長旅になぞ耐えられん。よそで暮らしていくほどの金もないしな。苦労したあげくに旅先で野垂れ死ぬぐらいなら長年、暮らしてきたこの場所で死ぬ。ここには、多くの思い出がつまっておるからのう」

 村でも体力のあるものはとっくに逃げ出した。老婆の子供夫婦も孫を連れてよそに移ったという。子供たちからは一緒に来るよう言われたのだが、断った。

 「わしのような年寄りがいては、足手まといになるだけじゃからな。それより、子と孫たちだけで、どこかよそで幸せに暮らしてくれた方がええ」

 そのために、爪に火を灯すようにして貯めた金も子供夫婦にもたせたという。

 そう語る老婆の顔はどこまでも穏やかなもので、もはや、諦念ていねん境地きょうちに達していることは明らかだった。

 「しかし、おかしいのじゃ。この地域は竜姫の治める雨の豊富な地域のはずなのじゃ。それがなぜ、こんなありさまになっておるのじゃ? 今代こんだいの竜姫めはいったい、なにをしておるのじゃ?」

 フェニックスの問いに――。

 老婆はふいに顔をゆがめた。

 「すべてはあの若造、領主の馬鹿息子のせいじゃ」

 そう語る老婆の表情と口調。そこにはじめて、あきらめによる穏やかさ以外の感情が浮かんだ。それは、激しくはないがとても深い怒りと恨みだった。

 「今代こんだいの竜姫さまはそれはそれは凜々りりしく、美しいお方でな。領主の一人息子は一目で、竜姫さまの美しさに心を奪われたのじゃ。それ以来、せっせと贈り物やらなんやら、自ら楽器を持ち込んでかき鳴らし、愛の歌を奏でる……などと言うこともしておったそうじゃ」

 「まあ……。自ら楽器を奏でて愛の歌を唄うなんて、素敵ねえ」

 リヴァイアサンが頬に手を当ててうっとりと呟いた。その横ではグリフォンもなにやらうらやましそうにしている。

 「わしにはよくわからんが、あの馬鹿息子は音楽の才はあったらしくてな。そんなことを繰り返すうちについに、竜姫さまとの婚約にこぎつけたのじゃ」

 「粘り勝ちですか。すごいです」と、カティ。

 「ところがじゃ」

 と、老婆の声に一層の怒りがこもった。

 「あの馬鹿息子め。旅の踊り子がやってくるや、一目見て『真実の愛を見つけた!』とかほざいてな。竜姫さまとの婚約を破棄すると言い出したのじゃ」

 「婚約破棄⁉ まさか、こんなところで婚約破棄に出会うとは思いませんでした」

 カティは目を丸くして驚いている。すっかり忘れていたが、思い起こせば自分自身、婚約者の王子から婚約破棄を突きつけられ、国を追放された身であった。

 「そのことを聞いた竜姫さまの怒るまいことか。当たり前じゃ。竜の一族にとって婚姻は神聖な契約。まして、人間相手となればどれほどの決意を必要としたか。それを一方的に破棄されたとあっては怒り狂うのが当然じゃ」

 「話はわかったけどお」と、リヴァイアサン。

 「それがなんで、こんなことになっているの? そんなことなら、その馬鹿息子を絞め殺しちゃえばすむことじゃない」

 リヴァイアサンの過激な発言に――。

 カティ、フェンリル、フェニックス、グリフォンの女性陣はそろってコクコクうなずいている。

 「竜姫さまも最初はそう思ったのじゃろうな。領主に対し、息子を引き渡すよう要求なされた。ところが、領主も領主で親バカ丸出し。大切な跡取り息子を犠牲には出来ぬと全財産もって逃げ出したのじゃ。その不実な態度に竜姫さまは激怒なさっての。それで、このありさまよ」

 もちろん、人間たちの方でも手をこまねいていたわけではない。竜姫の怒りをなだめようと手は尽くした。神官を送り、贈り物を届け、歌や舞で心を開かせようとした。

 すべて駄目。効果はまったくなし。

 いまだに山奥の宮殿にひとり、引きこもったままだという。それ以来、この地域では一滴の雨も降ってはいない……。


 老婆の話を聞いた後、カティたちは村をはなれた。人目につかない場所に携帯農場を広げ、そこで相談した。

 「竜ちゃんの気持ちもわかるけど」

 と、リヴァイアサンが最初に口を開いた。

 「さすがに、これはやり過ぎよねえ。人間だけじゃなくて、他の生き物までみんな死なせちゃってるんだもの。『王』として、やってはいけないことだわあ」

 自身、海の王であるリヴァイアサンである。『王』としてやっていいことと、いけないことはわきまえている。

 「あやつは若い上に、とにかく、真面目であったからな。逆鱗げきりんにふれられて一気に振り切れてしまったのだろう」

 「のじゃのじゃ。あやつは、とにかく真面目すぎて付き合いづらいのじゃ。わらわたちがなにを言っても聞かんじゃろう」

 「カティ姉ちゃん」

 それまで黙っていたグリフォンがふいに言った。その表情といい、口調といい、『軽薄なギャル』と言った印象の外見からは想像もつかないぐらい真剣なものだった。

 「なんとかしてやれないかな? あたしはずっとボッチで、ひとりっきりで雪山のてっぺんに住んでたから……」

 誰かのせいで、と、グリフォンはフェンリルとフェニックスを睨みつけた。陸と空の覇者は顔をそらしてすっとぼけた。

 「竜姫の気持ちがわかる気がするんだ。きっと、すごくさびしい気持ちにちがいないよ。だから、こんなことをするんだ。あたしはなんとかしてやりたい。ひとりじゃないって知らせてやりたい」

 カティ姉ちゃんが、あたしにそう教えてくれたように。

 グリフォンはそう付け加えた。

 その言葉に――。

 カティは力強くうなずいた。

 「もちろんです。若い女の子がひとりぼっちで引きこもっているなんていけません! なんとしても、人生の楽しさを思い出してもらい、青春を謳歌してもらいましょう」

 「さすが、カティ姉ちゃん!」

 「でも、どうするの?」

 グリフォンが喜んで飛びあがり、リヴァイアサンが頬に片手をついて尋ねた。カティは迷いなく答えた。

 「決まっています! 女の子がムシャクシャしたらアイスクリーム! アイスクリームをたらふく食べれば悩みなんて吹き飛びます! チーズをたっぷり使ったおいしいアイスクリームを差し入れて、元気を取り戻してもらいましょう」

 「そういうことなら、あたしのおっぱいを使ってくれよ。あたしが伝えてやりたいんだ」

 「わかりました。グリちゃんの上品な風味のおっぱいはマスカルポーネにぴったりです。マスカルポーネと言えばティラミス。ティラミスアイスを作りましょう!」

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