勇者の戦い

 いまでは魔王の巣くうおぞましき巣と化している、かつては緑成す森のなかにそびえる美しい建物だった城。その城のなか、かつては慈愛深き王たちによって治められてきた玉座の間にていま、勇者一行と魔王との戦いが繰り広げられていた。しかし――。

 ――ふっ、どうした。救世の勇者とやら。きさまの力はその程度か。

 魔王のあざ笑う思念が勇者一行の脳裏に響く。

 「くっ……」

 勇者はこらえきれずにひざをついた。

 傷ひとつなかった勇者の衣も、勇者のマントも、いまでは見る影もなく傷つき、ボロボロになっている。勇者の冠もまたすでに朽ちかけ、外れそうになっている。魔王を封じる切り札たる封印の剣ですら、その輝きを失い、魔王の闇に浸食しんしょくされている。

 「そ、そんな……」

 女神官のリィナが呻いた。

 「封印の剣が通用しないなんて……」

 ――なにをいまさら。知らぬわけではあるまい。余のまとうこの闇の衣。この闇の衣ある限り、いかなる攻撃も余には届かぬと言うことを。

 「あり得ない!」

 リィナが叫んだ。

 「聖なる泉の加護を受けた封印の剣には、闇の衣を切り裂く力があるはず!」

 ――ふっ。だから、お前たちは愚かだと言うのだ。我々がいつまでも同じ手でやられると思っていたか? 我らとて進化する。かわっていく。我らは闇の衣を強化し、封印の剣を無効化する術を手に入れたのだ。

 「そ、そんな……」

 「くっ……」

 万策尽きた勇者アシタバは呻いた。

 封印の剣の浸食しんしょくは進み、いまや勇者の腕までも闇が包もうとしていた。だが――。

 ――負けられない。

 勇者アシタバはまわりを見た。

 そこには騎士の鎧や兜が転がっていた。魔王の進軍をわずかでも遅らせ、勇者が現れるまでの時間を稼ごうと、勝ち目のない戦いに挑み、死んでいった騎士たち。その騎士たちの魂がこの玉座の間には漂っているのだ。その騎士たちの魂に賭けて――。

 「おれは負けられない!」

 勇者アシタバは叫んだ。

 「絶対に負けられないんだ! この世界のために、おれがやってくるまでの時間を稼ぐために自ら捨て駒になった人たちのために。魔王! おれは必ずお前を倒す! 例え、この生命と引き替えにしてでも!」

 「勇者さま……」

 「勇者さまの言う通りよ! わたしたちは負けられない! 例え、この生命と引き替えにしてでも!」

 「その通りだ! 我らはそのために選ばれた存在! この生命に懸けて魔王を倒す!」

 女魔導士のマユラが、女剣士のミサキが、口々に叫ぶ。

 勇者たちは立ちあがった。残された最後の力を振り絞り、魔王へ最後の攻撃をしかけるために。

 魔王はそんな勇者たちをあざ笑った。

 ――ふっ。救いようのない愚かものどもよ。いくら生命をかけても出来ぬものは出来ぬ。そのことを教えてやろう。

 勇者たちが最後の攻撃をしかけようとし、魔王がそれをはるかに上回る致命の一撃を放とうとした。そのとき――。

 「いたあっー、おっぱいおっぱい!」

 脳天気な声が響いた。

 「な、なんだ……?」

 さしもの勇者も呆気あっけにとられた。声のした方を見た。そこには象ほどもある『デッカい犬』と、愛らしい幼女と、いい感じに力の抜けた印象のセクシー美女を連れた貴族の令嬢風の若い娘がいた。

 その娘はトテトテと駆けよってきた。呆気あっけにとられたままの勇者の脇を通り過ぎ、魔王に近づく。ポンポンポン、と、魔王の全身をくまなくタッチする。そして――。

 ジッと、魔王を見上げた。

 「あなた……男、ですね?」

 ――な、なに……?

 その娘、カティは興味をなくしたようにフェンリルたちの方を向いた。

 「おっぱいを出せないなら、用はありません。帰ってもらってください」


 ――のわあぁっー!

 魔王の悲鳴が響く。

 フェンリル。

 フェニックス。

 リヴァイアサン。

 本来ならば対立関係にある三界の覇者たちがそろっているのだ。いくら魔界の王と言えど敵ではない。自慢の闇の衣は太陽すらも呑み込むフェンリルの大口おおぐちの真神まがみによって呑み干され、むき出しになった無防備な本体をフェニックスの熱と光が襲う。さすがに、怯んだところをリヴァイアサンのだい海嘯かいしょうが押し流した。

 ザザザァッー、と、豪快な音を立てる大量の水とともに魔王は異界の門の向こうへと押し流されていく。その様子を見てカティは満足げにうなずいた。

 「汚物は水洗トイレに流すに限ります」

 「トイレ扱いは傷つくなあ」

 と、リヴァイアサンがもっともなことを言った。

 「さすがに、トイレに流された魔王はあやつがはじめてじゃろうなあ」

 「……哀れな」

 「だから、トイレじゃないの!」

 「今回は無駄足でした」

 カティは両手を腰につけてそう言った。

 「でも! こんなことではあたしはめげません。世界一のチーズを求めて世界の果てまで行進です!」

 その一言を残し――。

 チーズ令嬢カティと三界の覇者たちは去って行った。

 後に残されたのは呆気あっけにとられるあまり声も出せない勇者たち……。

 「ゆ、勇者さま……」

 ようやく、リィナがそう口にした。

 勇者アシタバはハッとなった。

 「と、とにかく……」

 勇者アシタバは異界の門に近づくと封印の剣を突き立てた。

 「ゆ、勇者アシタバ! 魔王と異界の門を封印した! ……う、嘘は言ってないよな、多分」

 その声に応えるものは――。

 いなかった。


 そして、勇者アシタバは姫巫女アユミ、女神官リィナ、女魔導士マユラ、女剣士ミサキの四人と結婚し、大陸を統べる皇帝となった。ただし――。

 アシタバは生涯、その地位に対し居心地悪そうにしていたという。そのことが『地位におごることなく、常に謙虚けんきょな人柄であった』と、皇帝アシタバの声望を高める結果になったのだが……その本当の理由を知るものは誰もいない。

 共に戦った三人の妻をのぞいては。


 「嘘は言ってない……よな? な?」

                  完

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