第五話 魔王さん、おっぱい出せますか?

誇り高き抵抗

 そこはかつて、美しい王国だった。

 緑成す森が広がり、鹿が歩み、鳥が舞う。聖なる泉では美しくも可憐なニンフたちが水に遊び、聖なる泉の加護を受けた一振りの剣が安置されていた。

 それもいまは昔。

 すべてはかわってしまった。

 美しい森はねじくれた枯れ木の森にかわり、聖なる泉は瘴気しょうきを放つ毒泉となった。枯れ木の森にはおぞましき魔族たちが闊歩かっぽし、魔族に殺された生き物たちが動く死体となって腐りはてた体を引きずり、うごめいている。

 すべては『アレ』が現れたためだった。

 『アレ』。

 魔界の帝王。

 すべてを滅ぼすもの。

 魔王。

 そしていま、魔王のものとなったかつての王宮において、王国の最後の抵抗が行われていた。

 かつて、慈愛に満ち、高潔な、民を愛してやまない王たちが座し、民のためにと心を砕いてまつりごとにあたってきた玉座。もはや、魔王のものとなり、魔王その人が座るその玉座の前に、妹にして姫巫女たるアユミの第一の騎士たる王太子ハルトが、残された最後の騎士たちを率いて立ちはだかっていた。

 ――愚かな。

 魔王の声が響き渡る。

 いや、それは声ではなかった。魔王の思念そのもの。それが頭のなかに直接、響いてくるのだ。

 ――なぜ、戦う? なぜ、抵抗する? すべてをあきらめてしまえば楽に死ねるものを。わざわざ苦しんで死のうとは理解に苦しむ。

 「確かにな」

 ハルトは魔王の思念に対し、人の言葉で答えた。

 「我々では魔王たるきさまに勝つ術はない。だが、我々にはきさまを滅する力をもつ異界の勇者を召喚する手段がある。すでに、その力をもつ我が妹、姫巫女アユミと封印の剣は隣国に逃れた。そして、魔王よ。いかなきさまでも我々と戦っている間はどこにも行けぬ。ここよりわずかでも進軍することは叶わぬのだ。妹が異界の勇者を召喚するまでの間、一分でも、一秒でも、時間を稼ぐ。きさまの進軍を遅らせる。我々はそのためにここで死ぬのだ」

 ――愚かな。勇者などに頼ってはかない希望にすがるとは。だが、よかろう。下等生物なりにその覚悟は見上げたもの。その覚悟に免じ、この魔王自らほふってやろう。

 そして、王太子ハルトとその騎士たちは自分たちの生命の数だけ魔王の進軍を遅らせた……。


 「むう。おかしいです」

 チーズ職人カッテージ・カマンベールことチーズ令嬢カティは両手を腰に当て、ふくれっ面をしていた。リヴァイアサンと和解し、海を越え、この未知の大陸にやってきた。

 象ほどもある『デッカい犬』フェンリル、愛らしい幼女の姿となったフェニックス、そして、いい感じに力の抜けた印象のセクシー美女、リヴァイアサン。その三者とともにさっそく、携帯農場を広げ、『カティの愛あるチーズ工房』を開き、自慢のチーズ料理を振る舞っているところだった。

 客は来る。

 確かにひっきりなしにやってくる。

 くるのだが、その様子がどうにもおかしい。

 カティ自慢のチーズ料理を食べても誰ひとりとして幸せそうな顔をしない。それどころか、どんよりと落ち込み、絶望に曇った表情をしている。着ているものもよれよれで薄汚れており、男たちはひげっていない。若い女たちでさえ髪を結うことすらしていない。その姿はまさに逃げることに疲れはてた避難民そのものだった。

 「絶対におかしいです!」

 カティは憤然ふんぜんとした様子で言った。

 「ここには、フェンリルさんのおっぱいから作ったチーズと、フェニックスちゃんと一緒に育てた野菜とでいただくチーズフォンデュがあります。クリームチーズのシャリの上に海のお魚を載せたチ寿司もあります。リヴァさんのおっぱいから作った濃厚なチーズのハチミツがけもあります。チーズに合うお酒だっていっぱい用意してあるんです! これだけそろっているのにどうして誰も彼もこんなに不幸せそうなんですか まるで、リヴァさんが暴れていたときの港町の人たちみたいです」

 「失礼ねえ。リヴァさん、こっちの大陸ではなんにもしてないわよ」

 脱力系セクシー美女に化けたリヴァイアサンが、その外見にふさわしい、どこか気の抜けた声で抗議した。

 「じゃあ、どうして、みんな、こんなに不幸せそうなんですか⁉ チーズは母の愛。そのチーズを食べて不幸せなままだなんてあり得ません。あってはいけません。何がなんでも幸せにしなくてはいけないんです!」

 「『幸福』とは強制するものではないと思うのだが」

 「いまさらなのじゃじゃ」

 フェンリルのツッコみに幼女化フェニックスが答えた。

 「とにかく!」

 と、カティは全力で叫んだ。

 「あたしはチーズで世界を幸せにするんです! もし、チーズを食べても幸せになれない理由があるとしたら、そんなものは取り除かなくてはなりません。いったい、どうしてここの人たちはこんなに不幸せなのか調べましょう!」

 カティは言ったが、フェンリルはあっさり答えてのけた。

 「調べる必要はない。見当はついている」

 「ついている?」

 フェンリルはヒクヒクと鼻を鳴らした。

 「この大陸の奥から知った匂いがしてくる。この匂いはあやつ……魔王だ」

 「魔王?」

 キラリ、と、カティの目が光った。

 「この大陸にはこの世界と魔界を繋ぐ異界の門があるのじゃ」

 フェニックスが説明した。

 「ときとして、その門を通り、魔王がやってくるのじゃ。配下の魔族どもを従えてな。たまたま、今回、魔王が現れたときに重なったというわけなのじゃじゃ」

 「魔王が現れるとこの世界のすべてが変質してしまうのよねえ。あの人たちはみんな、その脅威から逃げてきたんだと思うわ。だから、あんなに不幸せそうなのね」

 リヴァイアサンもそう付け加えた。

 「魔王。魔族。それっていわゆる魔界の住人ですね?」

 目を光らせながらカティが尋ねる。

 「そうだ」と、フェンリル。

 「魔界と言うことは異界ですね?」

 「じゃじゃ」と、フェニックス。

 「と言うことは、魔王さんは異界の存在!」

 「そういうことねえ」と、リヴァイアサン。

 そして、カティは全力で叫んだ。

 「魔王さんはおっぱい、出せますか」

 ――やっぱり、それか。

 ブレることのないカティの態度にフェンリルたちはそろってうなずいた。

 「あやつは人型だからな。おそらく、乳も出すであろう」

 「じゃじゃ。配下の魔族どもも雌は普通に乳房をもっておるからな」

 「魔族も赤ちゃん産むものねえ。赤ちゃんを育てるためにはおっぱいが必要だし」

 「と言うことは! 魔王さんが現れているいまこそ、異界のおっぱいからチーズを作るチャンス!」

 ――言うと思った。

 フェンリル。

 リヴァイアサン。

 フェニックス。

 陸海空を統べる三界の覇者たちがそろってそう思った。

 「これは逃せません! この世界の魔獣神獣のおっぱいからチーズを作るのと同じ、いえ、それ以上とも言える偉大なる挑戦です! さっそく魔王さんを探して、おっぱいをわけてもらいましょう!」

 「でもお、魔王って男じゃなかった?」

 リヴァイアサンの疑問にフェンリルが答えた。

 「いや、あやつは確か現れるたびに性別はちがったはずだ。同じ個体で性別だけがかわるのか、それとも、まったく別の個体なのかまではわからぬがな。男であることもあるが、女であることもある。一番多いのは両性具有であったはずだ」

 「じゃじゃ。わらわの日記で確認したのじゃ。男であったことか三回。女であったことが二回。両性具有が七回なのじゃ」

 「おぬしはそんなことまで記録しておるのか」

 フォンリルが呆れたように言った。

 しかし、カティはフェニックスの言葉に目をきらめかせた。

 「男が三回、女が二回、両性具有が七回……と言うことは、ほとんどの場合、おっぱいを出せる! 行きましょう! 魔王さんに会っておっぱいをわけてもらうんです!」

 カティは勢いよく右腕を突きあげるとズンズン歩みはじめた。その後ろ姿を見送りながらリヴァイアサンが尋ねた。

 「いいの? 行かせちゃって。相手は魔王よ?」

 「かまうまい。魔王の力は我ら一体いったいと互角。それが、三対一だ。なにほどのこともない」

 「のじゃのじゃ」

 「それもそっかあ」

 そして、フェンリルたちはカティの後についていった。

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