監禁の意味

三鹿ショート

監禁の意味

 目覚めた場所は、見たこともない部屋だった。

 顔を顰めてしまうほどの酷い頭痛に襲われながら起き上がり、室内を見回すと、一人の女性が倒れていた。

 急いで駆け寄り、その身を起こそうとしたが、彼女の顔面を目にした途端、私は相手の身体から手を放してしまう。

 彼女は、離婚した妻だった。

 その姿を見て、私は自身の過去を思い出す。

 私と彼女が別々の人生を歩むことになった理由は、彼女に対する私の不信である。

 何時の頃からか、彼女が私以外の異性と交際しているのではないかと疑いを持ち始めた。

 馬鹿正直に疑問を発したことは無かったため、今でも真相は定かではない。

 だが、彼女が若い頃のような色気を醸しだし、以前よりも身なりに気を遣うようになったことを考えると、間違っていない可能性が高いだろう。

 だからこそ、私は彼女を心から信用することが出来なくなり、やがて離婚を切り出したのだ。

 彼女がそれをあっさりと受け入れたことからも、私の疑念が誤っていないことを裏付けているようにも思えた。

 別れて以来、一度も再会していなかったが、やはり恋に生きているような印象を覚えるような外見である。

 髪の毛はわざわざ波形に縮れさせ、谷間を見せつけるかのような衣服を着用し、しなやかな脚を惜しげも無く晒している。

 見知らぬ異性だったならば生唾を飲み込んでいただろうが、私が彼女に誘惑されることはなかった。

 私は離れていたが、その身体に触れたことが影響してか、やがて彼女もまた目を覚ました。

 困惑した様子で周囲を見回したところで私と目が合うと、気まずそうに顔を逸らした。

 しかし、私とは異なり、無言を貫くわけではないらしい。

「ここは、何処なのでしょうか」

 そんなことは、私が訊きたいくらいだ。

 私と彼女以外に室内に存在するものといえば、出入り口であろう扉のみだ。

 だが、鍵がかかっているため、出られそうもない。

 端的にいえば、我々は何者かによって監禁されているのだろう。

 しかし、その目的がまるで不明である。

 私が知らないだけで、世間には見知らぬ人間を監禁するような趣味を持つ人間が多いのだろうか。

 もしくは、我々に共通して恨みを持つ何者かが、飢えて苦しんでいく様を眺めようとしているのだろうか。

 様々な可能性が脳内を駆け巡っていたところ、不意に何かが開く音が聞こえた。

 見れば、扉の中央部分が四角く開くように加工されており、そこから食料が投げ込まれた。

 それを目にした瞬間、腹が鳴いた。

 だが、迷うことなく食料を手にしようとした私を、彼女が制した。

「何が入っているか分からないのですよ。口にしない方が良いのではないですか」

 確かに、彼女の言葉も一理ある。

 混入された毒で生命が奪われてしまう可能性もあるが、殺めるつもりならば、わざわざ監禁などという面倒な手段を選ぶことはないのではないか。

 私は彼女の言葉を無視し、投げ込まれた食料を口に運ぶ。

 嚥下し、数分が経過したが、何も起こらない。

 どうやら、彼女の心配は杞憂だったらしい。

 彼女もまたそれを理解したようで、私と同じように食料を口の中に入れていった。


***


 時計が無いため、時間の経過がまるで分からない。

 暇を潰す道具も皆無で、手持ち無沙汰で仕方が無かった。

 壁に背中を預けて座っていると、不意に彼女が口を開いた。

 離婚して以来、私が何をしていたのかという内容だった。

 彼女とは口を利くことすら抵抗感を覚えるが、他にやることもないため、私は語ることにした。

 彼女と別れて以来、私は仕事に生きていた。

 これまでは家族を養うために働いていたが、今や私が稼いだ金銭は、全て自分のためだけに使用することができる。

 ゆえに、貯金の目標額を設定し、それを達成した際には隠居をして静かに生活しようと考えていた。

 そのように話したところ、彼女は馬鹿にするような声色で、

「寂しい人生ですね」

 自身の頭部に血液が集まったことを、確かに感じた。

 誰が原因でそのような生活をすることになったのか、考えたことはあるのだろうか。

 しかし、彼女が私を裏切っていたかどうかは不明である。

 私が勝手に彼女を悪役としているだけで、実際は見当違いをしている場合もあるのだ。

 この場所から脱出することが出来るかどうかがまるで分からないことが影響してか、私は彼女に問うていた。

「きみは、私以外の男性と交際していたのか」

 そう尋ねられた瞬間、彼女は目を見開き、私から顔を逸らした。

 その反応で、黒だということは明らかとなった。

 だが、己の予想が当たっていたことを喜ぶことはない。

 私は大きく溜息を吐き、彼女と口を利くことを止めることにした。


***


 提供される食事の時間から察するに、どうやら規則正しい生活をさせられているようだ。

 暇を持て余しているということを気遣ってか、娯楽の品々も差し入れられるようになった。

 どうやら、我々を監禁している人間は、生命を奪うつもりがないらしい。

 そうなれば、当然の疑問を抱く。

 一体、何が目的だというのだろうか。


***


 差し入れが一日に三回だということを基準とするならば、おそらく一週間が経過した。

 これまでとは異なり、食事と共に、紙切れが提供された。

 そこに書かれていた内容を見て、私は首を傾げた。

 動きを停止させている私の横から、彼女が紙切れの内容をのぞき込む。

 彼女もまた、疑問の声を発した。

「これは、どういうことでしょうか」

 紙切れには、私と彼女が性行為をするようにと書かれていたのである。

 思わず、私は彼女の身体に目を向ける。

 彼女と離婚して以来、私は彼女以外の人間と身体を重ねたことがなかった。

 性欲は段々と減退しているが、皆無だというわけではない。

 快楽を求めるだけならば、恨みを抱いているとはいえ、彼女と抱き合うことに抵抗はなかった。

 しかし、何故そのようなことをする必要があるのだろうか。

 欲望よりも疑問が勝ったために、私は紙切れを放り投げると、食事を優先することにした。

 彼女は特に言葉を発しなかったが、私と同じように空腹を満たし始めた。


***


 例の紙切れが差し入れられて以来、食事が提供されることはなくなってしまった。

 これまで頼まずとも律儀に提供されていたが、何故突然停止することになったのか。

 その理由を考えようとしたところで、最初に浮かんだことといえば、紙切れに書かれていた指示に従わなかったことである。

 理由が不明であるために受け流したが、監禁している人間からすれば、重要な事柄だったのではないか。

 腹を鳴らした彼女にそれを伝えると、彼女は納得したように頷いた。

「それならば、することは一つでしょう」

 そう告げると、彼女は自身の衣服に手をかけた。

 過去に何度も目にした身体とは少しばかり変化しているが、それでも異性に劣情を抱かせるほどの魅力は残っていた。

 久方ぶりに直面する肉体に、私は思わず生唾を飲み込んでいた。

 私に近付き、頬に手を添えてくる彼女を間近に見つめているうちに、私の中で何かが弾けた。

 彼女の唇を塞ぎ、その口内を蹂躙していく。

 力任せに下着を剥ぎ取り、彼女が痛みを訴えることも気にせず、己の欲望に従っていった。

 これは、食事を得るために必要な行為である。

 そのような建前は、既に消えていた。


***


 食事が途絶えた理由は正しかったらしく、我々が身体を重ねると、再び提供されるようになった。

 それから私と彼女は、原始的な日々を送っていった。

 腹が減れば食料を口に運び、時間が余れば身体を重ねる。

 果たして人間が送るべき生活なのかと疑問を抱くこともあったが、それ以外にすることもないため、仕方がないといえよう。

 当然の帰結として、彼女の腹部が大きく膨らむようになった。

 だが、ここで新たな生命を迎え入れることなど不可能である。

 どうするべきなのかと悩んでいたが、それは無用な心配だったらしい。

 あるとき目覚めると、彼女の姿が消えていたのだ。

 他に行く場所など無いが、何処へ向かったのだと周囲を見回したところ、扉が解放されていたのである。

 監禁は終了したということなのだろうか。

 私に声をかけずに扉の先へと消えた彼女の思考は理解できないが、それでも脱出のために進んでいく。

 我々が閉じ込められていた場所は地下室だったらしく、何度も階段を上った。

 やがて、光が見えた。

 あまりの眩しさに目を細めながらも、歩を進めていく。

 久方ぶりに、私は陽の光を浴びた。

 今は廃墟の工場ですら、私にとっては新鮮な建物である。

 少しばかり歩いたところで、制服姿の人間に遭遇した。

 どうやら彼らは何らかの通報を受けて駆けつけたらしく、私が会社の同僚によって行方不明の届け出をされていた人間だと知ると、迷うことなく保護してくれた。


***


 今でも、あの監禁事件は謎である。

 真相は不明だが、生きているならばそれで良いだろう。

 今はこの世を去った我が息子の写真に声をかけ、仕事のために自宅を出る。

 相変わらず多忙ではあるが、やるべき事柄が存在するということほど、有難いことはないのだと感じるようになった。


***


 いつものように仕事を終え、賑わう夜の道を歩いていると、私は反対側の歩道に彼女の姿を見た。

 私を裏切った人間の無事を喜ぶなど、己も甘くなったものだと考えていたが、彼女の隣を歩いている男性を目にした瞬間、そのような考えは吹き飛んだ。

 その男性は、我が息子に瓜二つだった。

 この世界に戻ってきたのかと、喜びで身体が震えたが、即座にその思考を消し去った。

 おそらく、監禁時に彼女が宿した子どもだろう。

 我々の子どもゆえに、この世を去った息子と似ていることは当然といえる。

 声をかけようかどうか悩みながら、二人を見つめる。

 そのとき、二人は、平然と口づけを交わした。

 突然の行為に、私は自身の目を疑った。

 親愛を示す行動なのだと己を信じ込ませようとしたが、嫌な予感がしたため、二人の後を追った。

 二人は迷うことなく、宿泊施設へと消えていった。

 その建物を見上げながら、私は一つの可能性を考えた。

 あの監禁は、彼女が仕組んだのではないか。

 私を裏切っていた彼女相手は我が息子だったが、この世を去ってしまった。

 その代替品を生み出すために、私と身体を重ねるような状況を作り出し、そして、再び禁じられた愛を深めているのではないか。

 協力者を雇えば、食事の提供などいくらでも可能である。

 通常は考えられない関係性だが、ありえない話でもない。

 私は彼女の愛情深さに震えた。

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