12.サイコパス

 結局兄二人からも母親からも離婚の話し合いの詳細は聞けないまま日が経った。


 火光は暇があれば意気消沈し、それを気遣うように水月が見に来ている。火音は火光が凹んでいるのにも関わらず何も気にしていない。なんならちょっと楽しそう。





「……ねぇ月火、先生大丈夫なの?」

「火光はいたんだろ」



 水月が見に来ている中で、炎夏の机の周りに集まった三人は月火に問いかける。


 いつも通り月火の机は火音に取られた。



「知りませんよどうでもいい」

「辛辣だね!」

「笑顔で言うことじゃねぇけどな。てか結月ゆづきどこ行った」

「最近は晦先生とか部活の子と食べてるみたいだよ」

「水泳部に入ったんでしたっけ。よくそこまで体力持ちますね」

「まぁ大の水泳好きらしいからな」



 火光に興味をなくした三人が転校生の結月のことを話していると、ふと炎夏が月火と玄智の向こうを見た。

 二人が振り返ると、教卓に突っ伏していた火光が月火を睨んでいる。それを月火は問答無用で睨み返した。



「何か不満でも?」

「火光……」

「なんもないよ」

「じゃあ見ないでください」

「反抗期だ」

「お前は万年反抗期だろ」

「炎夏に言われたくないんじゃない?」

「玄智さんは反抗せず相手を蝕みますもんね」

「毒みたいに言わないでよ」

「毒吐くだろ」

「毒の塊ですよ」



 三人であははと笑っていると、教室に結月が帰ってきた。


 教室の重い雰囲気とどす黒い雰囲気が混ざりあった異様な状況に固まり、教室を出ていく。



「炎夏のせいで逃げたよ」

「月火のせいだろ」

「ひどッ……!」

「女子に罪擦り付けないで!」

「お前にやらなかっただけ感謝しろ!」

「喧嘩売ってんなら買うぞ」

「売ってやるよ」



 二人が立ち上がって火花が飛んだ時、いきなり月火が空になっていた弁当をガンッと机に叩き付けた。



 教室に入る太陽光を遮るほどの巨大な怪異が校庭に現れ、巨大な目玉がこの教室を覗き込む。



「うわキモっ」

「あ、私午後いませんよ」

「えーペアなのに!? 炎夏が余っちゃうよ」

「まさか。余るのは結月だろ。俺玄智殴りたいもん」

「……先生一緒に組も」

「水月、暇でしょ。僕結月見ないとだから」

「いいよ。玄智君一緒にやろうか」

「やたー!」




 巨大な怪異が覗き込んだ瞬間耳を切り裂くほどの雷鳴が二つ鳴り、結月は思わず傍にいた水月にしがみついた。


 水月は特に驚かないまま結月の頭に手を置く。



「怖かった?」


 二方向からチョークと弁当箱が飛んできて、弁当を受け止めたせいでチョークが目に入りかけた。顔を逸らして、こめかみに当たる。



「僕の生徒に触んな下衆」

「一生女に触んな気持ち悪い」

「ひど……」



 一度手を離した水月が赤くなる結月の頭を撫でようと手を近付けると、廊下の向こうから怒鳴り声が聞こえてきた。




「水月君!? なんでここにいるの!」

「うわッ……」

「火音閉めて」

「ちょっ……」



 結月は窓を飛び越えると中に逃げ、火音とともに窓や扉を閉めた。



 見えた晦が水月に詰め寄る。



「……水月様と晦先生って面識あったっけ」

「まぁ先生の担任でしたからね」

「……あそっか二人とも同じクラスか。水月様の方が上って感覚が」

「二人とも子供ですよ」


 兄を子供扱いする妹に兄が不満そうな顔をしていると、ふと火音が時計を見上げた。



「火光、あれ終わったか」

「……まぁだ」

「晦それ取りに来たんだろ」

「やっば」

「俺知らね」

「私も」



 火音と月火は二人で後ろの扉から出た。



「月火さんデータ起こしは! 火音先生まとめ終わりました!?」

「共有ファイルに入れましたので」

「俺期限まだ先なんで」

「そうやって先延ばしにするからいっつもギリギリなんですよ! 月火さんはお疲れ様でした」

「火光の仕事も抱えてんだから許せよ」

「それは火光先生も火音先生も両方に非がありますね」



 別に御局様というわけではないが、高等部の教師は全員何かと晦のお世話になっている。


 まぁ世話になっていなくとも正論しか言わない晦に勝てる人はそうそういないだろうが。



「火光先生も来てください」

「僕仕事……」

「放課後に時間ありますよね。行きますよ」



 教員三人は晦に引きずられていき、月火は後ろのロッカーから自分の鞄を取り出した。



「えーいーなー。僕もサボろっかな」

「いいんじゃない。どうせ五、六時間目帰ってこないでしょ」

「じゃあ俺もサボる」

「結月の歓迎会しよ! 月火あそこ奢って!」

「私予定があっての早退なのでサボり組とはつるめません。じゃ」


 腹立つ言い方。











 放課後、月火が上機嫌に鼻歌混じりで歌いながら仕事をしていると扉の方からノックが聞こえてきた。

 ビクッと肩を震わせ、振り返る。



「……勝手に扉開けないでください」

「お前の部屋きったねぇなぁ」

「そう言うから見せたくなかったんですよ。出てって下さい。夕食はまだです」

「俺、今日の夜と明日一日空けるからなしでいい。あー……さっての朝もいらないかも」

「おにぎりかなんか持っていきます?」

「いらないって」

「倒れられたら病院食作るのも私なんですよ? どこ行くんですか。任務じゃないでしょう」

「火神の方で仕事」

「指挟みますよ」



 火音が指を退かした瞬間月火は勢いよく扉を閉め、火音は冷や汗をかいた。一瞬挟まれた感覚が。



「仕事ですか」

「紙の仕事処理してくる」

「おかしいですねぇペーパーレス化したはずなのに」

「まぁ火神内関係の仕事だし」


 他家はまだほとんどが紙だ。紙の仕事が溜まるのは当たり前。



「……火音さんってほんとに顔色に出ますよね。表情変わらないくせに」

「そうか? 綾奈に表情豊かになったって言われた」

「今まで表情筋が死んでただけじゃないですか」



 月火はそう言いながらキッチンで何かし始めた。

 火音は水月の協力でできたソファに寝転がり、スマホをいじる。と、ソファに黒狐が乗ってきた。

 何か言っているのか、口を開けて猫のような鳴き声を出す。



 分かるはずもないので無視していると、いきなり腕に噛み付かれた。



「痛ッ……!」

「……楽しそうですね」

「楽しいわかあるか。この狐なんでも喰うな」

「ちなみに人間の死体丸呑みすることもありますよ」

「え……?」

「どれだけでも大きくなるので」



 腕を噛んで宙吊りになる黒狐を見下ろし、そっと下ろして頭を撫でた。

 月火はゲラゲラ笑い、腹を抱える。



『主様、おっきくして』

「あぁお腹痛い! あはは! 死体なんか手に入るわけないじゃないですか! お腹ッ……!」

「お前ヤクザにも人脈持ってるじゃん」

「会社に炎上は天敵ですからね」




 どうやらおにぎりを作っていたらしい月火は黒狐を消すと救急箱を開けた。



「袖めくってください。手当します」

「別にいいんだけど」

「袖上げろ。目に消毒液入れますよ」



 さすがヤクザに潜入できる方。




 隣に座った月火におとなしく狐の噛み跡がついた腕を差し出した。


 月火はコットンに消毒液を染み込ませるとそれを傷口に当てる。



「……効いてます? 傷口に直接入れましょうか」

「やめろサイコパス」

「お酒好きでしょう?」

「飲む酒はな? それ消毒用だから」

「飲めますよ、火音さんなら」

「俺をなんだと思ってる」



 月火はだんだん下がっていく火音の手首を掴み、グイッと上げた。



「お前手冷たっ!」

「夏に喜ばれるんです」

「夏場の冷え性って病院行きだろ……」

「そんな不健康じゃありませんよ。少なくとも火音さんよりは」

「……それは否定しないけど。冷たい嫌」

「じゃあ腕下げないでください。包帯で血止めますよ」



 サイコパスに手当してもらうと腕の一本がなくなりかねないな。










 火光が帰ってくる前に嫌がる火音を半ば強制的に寮から追い出し、夕食の準備をしていると火光が帰ってきた。



「ただーいま」

「貴方の家じゃないんですが」

「家族の家だよ」

「貴方の家じゃありません」

「まいいじゃん。火音は?」

「明日の朝まで出稼ぎですって」

「……月火って火音のこと嫌ってるよね」

「まぁ面倒臭い性格ですからね」

「言っとく」

「変に気負って来なくなって倒れたら晦姉妹から怒られるのは私ですよ。飼い主として手網渡されたのに」

「飼い主って」

「狐二匹と猫一匹飼ってるんで」





 その日水月は帰ってこず、月火は火光と二人で夕食を食べた。









 三日後の早朝、中に妖心が二体ともいないことに気付いた月火が慌てて部屋を出るとリビングに大きめの白狐と小さな黒狐がいた。


 火音と水月は二人して床に寝転び、火光は一人でソファで寝ている。



 火音は不快そうにうずくまって、それを包むように白狐が寝そべっている。黒狐は水月の腕の中。



 薄暗く灯りをつけ、スマホのナイトモードでその光景を撮った。




「……気持ち悪い……」

「吐かないでくださいよ」

「吐くもんねぇよ……」



 電気を点けると、火音の顔面は真っ青で手や首も白い。


「火音さん顔上げてください」



 気分が悪そうに白狐にもたれかかる火音の首筋に手を当て、指先を軽く握った。


 顔面蒼白、頻脈、震え、発汗。



「ちゃんと見えてますか」

「視界真っ白」

「低血糖ですね。飴無理なんでしょう」

「うん」




 昨日の夕食の残り、月火の弁当に詰めようと思っていたのを温め、リビングに戻ると白狐に火音を支えてもらった。



 完全脱力状態なのを、月火がおかずを口に運ぶ。



「……味濃」

「黙れ」

「美味しいです」

「さっさと食べて回復してください。弁当作らないとなのに」



 まだ口に入っている状態で箸を近付け、さっさと食えと圧力をかける。

 火音はなんとも不服そう。




「……ちょっとマシになった」

「もうちょっと」

「待ってもう無理」

「大丈夫ですよいけるいける」

「お前それ処理が目的になってるだろ」

「頑張れ頑張れ。早くー」

「ちょっ……」



 火音が圧に耐え兼ねて必死に顔を逸らしていると、いきなり後ろから火音を退かして火光が顔を出した。


 それを食べて満足そうに白狐に突っ伏す。



「兄さん食べるなら全部……」

『寝たわよ』

「今食べたのは!?」

『丸呑みでもしたんじゃない?』



 食い意地すごいな。



「……まいいや。食べていいですよ」



 月火がそう言うと黒狐が水月の腕から小さくなって抜け出した。と思えばまた大きさが戻り、瞬間的に妖力が増えたり減ったりした月火はめまいで慌てて机に腕を突く。


 転けるところだった。




「月火、大丈夫か」

「火音さんよりはだいぶん」

「……あそ」


 なんだその不満そうな声。



 月火は足元を飛び跳ねる黒狐を待たせ、床に新聞紙とビニール袋を敷くとその中におかずの余りを入れた。


 黒狐がそれに飛びつき、思わぬ光景に火音は面食らう。



「えぇ……」

「こうしないと皿までかじるんです」

「いや……普通妖心って食わないからさ……」

「言ったでしょう。人の死体も食べると」

「……お前なんで死体食べるって知ってんの?」

「ヤクザに潜入すると色々な場面に出くわすんですよ」



 やっぱ怖ぇよこの悪魔。



 火音は盛大に顔を引きつらせ、現実逃避というか、火光の頭を撫でて同じく白狐の背に顔を埋めた。

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