8.体質

 プール開きの翌日、月火げっかは妖神学園じゃない学校の制服を着て朝の用意をする。今日は潜入任務でとある学校に行くことになっている。とある有名お嬢様高校。



 白いワイシャツに赤いスカートを履き、同じ色のネクタイを締めた。校章の入ったクリーム色のベストを着たら完了。足は相変わらずの黒タイツで。





 月火はこの歳である程度の実力は持っているため、一般より潜入が倍ほど多い。そのせいで各地に色んな種類の友人がいるが、だいたい連絡は取ってない。浅はかな関係の人としょっちゅう連絡してたらそれの友人や血縁者にサインをねだられたり裏口入学をねだられたり。ろくなことがない。







 六時に出ないと間に合わないので朝四時に起きて掃除を済ませ、弁当と朝食を作った。月火は食べて行く時間はないのでおにぎりを作って、行きながら食べよう。行きは電車で行こうと思っていたのだが、仕事をしなければ時間的に間に合わなくなるので補佐の人に送ってもらうことになった。誰かは知らない。



 弁当を詰めて慌てていると、火音ひおとが起床した。

 ソファで寝れなくなってから、ラグを替えて月火と同じく感情を感じにくいらしい妖心の黒狐で床の感情を誤魔化して寝ている。毎晩うなされている所を見るに、本当に気持ち悪いんだろうな。



「おはようございます。私もう出ますよ」

「え何時?」

「六時。おめでとうございます初寝坊ですね」

「やっば……!」

「鍵閉めて出てくださいね。それじゃあ」



 月火はそう言うと颯爽と出掛けて行った。


 火音も顔を洗い歯を磨き、腹の底で渦巻く気持ち悪さを耐えるため洗面台の前にしゃがみこんだ。早くこの体質をどうにかする方法を見付けないと、いつまでも生徒の寮に入り浸ってます、じゃあ教師としての威厳なんてないが外聞が。綾奈あやなに相談するか。



 火光かこうの弁当と自分の弁当を持ち、寮を出ると言われた通り鍵をかけた。当然と思うだろう。かけなかったら毎日ガチャガチャガチャガチャ確認しに来る誰かに入られる。中にいても閉めてなかったらガチャガチャガチャガチャ。

 相手が誰か知らないが、さすがにそういう時は火音や火光や水月すいげつが閉めに行く。月火の寮に来るなら目的は月火だから。





 職員室に行き、溜め息をつきながら椅子に座った。また誰か勝手に入って触ったらしい。さっさと出るか。


「あ、おはようございます火音先生」

綾奈あやなは?」

「もう保健室に行ったと思います。怪我でもしたんですか?」

「そんな感じ」


 違うけど。



 火音は立ち上がると授業前に保健室に向かった。

 一時間目は空きなのでゆっくりさせてもらおう。ゆっくりできる場所なんてないが。





「綾奈」

「……何の用だ問題児」

「ちょっと相談」



 綾奈は袋の被った椅子を引っ張ると袋を剥いだ。火音はそこに座る。



「ずいぶんなやつれ顔だな」

「いや……」



 綾奈に火光が寝転がったソファと黒狐の傍で寝ていることを伝えると、綾奈は仕方なさそうに溜め息をついた。



「嫌って言えよ」

「我慢できると思って」

「アホか。我慢できないから吐いてきたんだろ」


 ド正論なのだが言い方に腹が立つ綾奈に反抗的な目を向けると、何人かは殺していそうな目で睨み返された。



「……その上立ってみろ」

「はいはい……」



 体重計の上に立つと、元々60もなかった体重が5キロ近く増えていた。



「うわ太ったッ!」

「お前一生月火の元で暮らしてろ。それでもまだ平均より軽いからな」

「……」



 火音は黙ったまま体重計から降り、綾奈は知衣ちいに体重が戻りつつあることを連絡した。忙しい姉なので返信はしばらく後だろう。



「で、お前の体質改善か。二十一年生きて見つかってないなら無理だろ」

「それを見つけんのに頼れって言ったんだろ。お前が」

「そうは言っても月火の元で元気に暮らしてんだろ? いいじゃないか。そのままくっつけよ」

「火光どころか水月にまで殺される」

「妹の恋愛事情に踏み込むか。過干渉な兄め」

「そんなことより俺の気持ち悪い体を何とかしろ」


 そんなこと言われても。



 前例のない出来事に綾奈も悩みながら模索している最中だ。今すぐどうにかやれと言われてできることじゃない。



「威厳より健康を重視しろ。完全改善したら結婚するでも死ぬでも仲人になるでも責任取ればいい。なんなら食事以外我慢してここで過ごしたいなら私は止めない。心の健康のためだ」

「……もういいわ。月火に直接相談する」

「絶対あの不健康生活には戻るなよ!?」





 職員室に戻ると、火光の机には火光じゃない奴が座っていた。



「教師の机で何してんだ」

「お前待ち」



 見た目八歳の幼女、中身千三百を超える子供。


「園長は園長室に引き篭っとけよ、麗蘭りら

「クビにするぞ」

「やってみろ。生徒が反乱起こすから」



 隣の自席に座り、こっちを向いた麗蘭の椅子を蹴って奥に押した。


「おい」

「なんか用か」



 ただでさえ人が少ない職員室、授業中になると教師は火音だけだ。誰もいない時でさえある。



「月火から相談で寮を変えたいと来てな」

「……それは俺があの部屋に移るってこと?」


 そうなると今の教師寮の二の舞になるのだが。


「違うわボケ」

「あ?」

「すみません」



 月火は、人数が増えて自分も荷物が多くなってきたので唯一馬鹿広い空き部屋に移動したいという要望。

 何故か三階の角部屋だけ馬鹿ほど広い。設計の麗蘭曰く「余ったから広くしたらこうなった」。

 計算せずに作って直そうとしないズボラの結果といえる部屋。



「そんな部屋あるんだ」

「あぁ。ある程度月火が掃除したから暇な時に入っておけ。今日はその鍵を渡しに来た」

「移動して俺が嫌がったら意味ないってわけか」



 火音はその鍵を受け取ると、火光見に行こうとそのまま職員室を出た。











 放課後、仕事終わりに寮を見に行ってみると、他の寮とは全く作りが変わっていた。


 入ってすぐに広めの玄関、左側には縦並びで六畳もなさそうな部屋が二部屋。仕切りが引き違いなので両方開ければ一室にもなりそうな。

 廊下を進んで正面には六畳の洋室が左右に並び、廊下を曲がった左手にはトイレと収納。

 廊下の正面には十六畳のLDK、左側にキッチンと、右側には脱衣所から風呂が繋がっている。


 4LDKと言うので部屋一つは狭いのかと思ったがそんなことはない。普通のいい所のマンションって感じ。




 月火のある程度は素人にとってプロ級なので、当然埃一つ残っていなかった。


 多少違和感はあるものの、そんな吐く程じゃないしこれで迷惑をかけている月火が楽になるならいいか。どうせ月火が生活し始めたら感じなくなる。






 寮に帰っても暇だよなぁと思いながら教師寮からタブレットを持って月火の寮に行けば、既に開いていたようで回した鍵が空回りした。


 鍵を持っているのは月火、火音、水月だが水月の感情はない。月火が先に帰ってきていたのか。




「ただいま」

「おかえりなさい。手伝って下さい」


 ジャージに着替えてリビングに行くと、月火がバラけた組み立てタイプのソファを前に体育座りで固まっていた。説明書があるので読んだんだろうが分からなかったんだろうな。それがひと目でわかる光景。



「俺そういうの無理」

「私だって無理ですよ。見て分かるでしょう」

「自分で触ったら気持ち悪くなる」

「自分が寝るのに?」

「寝たあとは……なんか、部屋の空気で浄化されてるみたいな」

「は?」


 ワントーン低くなった月火に黙り込むが、でも事実月火の感情が充満した空気に浄化されて火音の感情は極端に薄くなっている。

 だから対面で誰かと食べれるしソファで向かい合っても吐き気がない。普通の部屋じゃまず無理。職員室の机の並びを見たら分かると思うが。



「あそう。だから新しい寮月火が先に行って空気飽和状態にさせといて」

「……はぁ」

「俺もよく分かってない」


 全部感覚で喋ってるから。



 月火に鍵を渡し、タブレットを机に置くとソファよりそっちに興味が出たのか立ち上がってコーヒーを淹れ始めた。



「タブレット持ってたんですね。仕事ですか?」

「終わったから趣味の時間」

「趣味あったんですか。写真集制作かと思ってましたけど」

「……あながち間違ってない」

「否定してほしかったんですが」


 兄の写真集を作る居候なんて。



 月火は火音に専用マグカップでコーヒーを渡し、自分も隣に座った。ソファへの興味は尽きたのであとで水月に聞きながらやろう。




「あ、火音さんも描くんですか」


 イラスト用のアプリを見付け、久しぶりの仲間に少しテンションが上がった。



「最近全然描いてないけど」

「……火音さんが描いたやつ?」

「そう」

「有名なやつばっかじゃないですか……!」



 イラストと検索して一番に出てくるような、転載しようものなら袋叩きにされるような有名イラスト。

 まさか作者が居候だったなんて。



 月火はキャンバス一覧を唖然と眺め、ハッと火音を見上げた。


「実は結構凄い人だったりします?」

「しません。離れろ近い。てかお前学校どうした。帰り六時前の予定だったろ」

「案外あっさり終わって早退しました。学校に執着するかなと思ったら真逆で。早く終わる分には全く問題ないので帰ってきたんです」



 そう言うと月火は火音にタブレットを返し、コーヒーを少し飲むとそれをカウンターに置いて冷蔵庫を開けた。


 夕食にはまだ早いが小腹でも空いたのか。




 と思っていると、バタバタと玄関が開いて水月と火光が飛び込んできた。



「月火! 母さんが倒れたって……!」

「知ってます。栄養失調らしいですね。食事管理をサボりでもしたんじゃないですか」



 月火は平然とそう言い、聞いて驚いた火音も焦っていた兄二人も唖然とした。



「し……心配じゃないの……?」

「心配ですよ。とても心配です。子供を殴った挙句金を巻き上げるクズに執着して倒れた母親でしょう? 心配に決まっています。まだ仕事も完全に引き継げたわけじゃないのに」


 月火の目を見て、火光はハッとしながら水月の後ろに下がった。




 月火は幼い頃から当主教育と言って、母と娘の時間はほとんど取られなかった。いつも当主と次期当主、社長と次期社長、稜稀いづきと月火。

 加えて母親としての稜稀が兄二人に構い切りの最中、月火は三人の知らぬところで父親から虐待まがいなことをされていたこと、それを一昨年知った。


 さして仲のいいわけじゃない親が倒れたと聞いても焦りは出てこないか。



「……ごめん」

「別に」

「でも月火、病院には行くよ。娘なんだから」

「では先に行っといてください。どうせ屋敷に泊まりでしょう? 火音さんの夕食を作ってから行きます」

「駄目。火音も連れていく」

「そうですか。どっちにせよ先に行ってくださいよ。火音さんと兄さんたちは同じ車には乗れないので」


 月火は雑に冷蔵庫に片付けるとリビングに面した部屋に入っていった。



「……火音、月火よろしくね」

「うん」



 水月と火光はすぐに出ていき、リビングは静まり返った。



 火音もすぐに着替え、スマホで時間を確認する。もう十分近く経つが月火が出てこない。



 いつ声をかけるべきか悩んでいると、私服に着替えた月火が出てきた。少し顔色が悪いのは照明のせいだろうか。




「お待たせしました。行きましょうか」

「うん」

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