7.プール
結局、
別に月火的にはどうでもいいが、ただ二人を追い出した後にシーツを替えたソファに火音が触れたところ、拒絶反応というか潔癖反応が出た。今回は顔色どころかあの全く動かない表情も変えて。
「無理ですか」
「ソファ自体に付いてる」
「何が」
「感情」
出た感情。月火の手料理もそうだが、なんだ感情って。人の想いがものに乗ってたまるか。人の想いが込められるのは妖力だけだと言うのに。
「それカバー替えても無理そうですか」
「……たぶん。新しいの買っていい?」
「私の寮ですし私が買いますけど。ソファベッドにでもします? ソファ一個にして」
「それは嫌」
「そうですか」
もう朝の七時だが、火音は夜中に仕事を終わらせたので朝はゆっくりだ。今日はテストなので部活もない。
火音は月火のスマホを後ろから覗き込み、ネットのカタログを眺める。姿勢が悪いのは視界が滲むせい。
「……
「いいように作ってますからねの。神々のにしますか」
「適当に見といて。あんま詳しくない」
「自分の寝床でしょう」
「お前の寮だろ」
さすがにずっと座ってて体が痛くなったのか腕を上に伸ばし、朝の用意を始めた。
既に用意ができている月火はネットの途中で出てきた服の広告で、ハッと思い出す。
今日、放課後に動画を撮るやらなんやら話していたんだった。そのパーカーを昨日買ったので洗濯したのだ。鞄に入れないと。
妖輩コースを除いて、テストは二日間にわけて行われる。妖輩を除いて。妖輩は座学は休憩なしの三時間に五教科を詰め込まれ、あと三時間は実技のテスト。教師によってはこの時間に昇級試験をしたりしなかったり。今の一年に上がる人はいないので普通に体育だ。
「……うん、三人とも記録上がってるね」
「やった!」
「次のテストは水泳入ってくるから頑張って。それじゃあ終わりまーす」
「あぁーい……」
普段ならこのまま直帰だが、三人は更衣室で制服に着替えてワイシャツの上から白いパーカーを着て教室に集合した。
扉や窓に鍵をかけて、内側から撮影中と貼り、三人で机を下げて椅子を寄せる。
「月火真ん中ね」
「
「紅一点でしょ。座って座って」
椅子を並べ、月火を間に左に玄智と右に
「二人とも音源覚えてるでしょ。フル」
「覚えてるけど間違えたらごめん」
「大丈夫。僕も自信ない。ごめんね月火」
「私もたぶん無理」
炎夏の三脚にスマホをセットし、玄智が自前の撮影用スイッチを押した。カウントが始まって、音源が流れ始める。あとはそれに合わせてハモリながら少しばかり踊るだけ。
本当は四人だが、三人でやっている人も結構多い。そもそも三人グループが多いからな。
三人で何度も撮り直しながら、約三十回近く取り直してようやく良さそうなのが二、三本撮れた。
「……今のいいんじゃない?」
「何回か成功したし良さそうだな」
「編集任せる」
「はいはーい」
「可愛いねぇ君ら」
いきなり声が聞こえ、そちらを見ると窓辺にしゃがんだ火光がスマホを貼り付けてその火光を撮る火音とともに見学していた。
「先生!」
月火と炎夏は気にせず机を戻し、玄智は慌てて鍵と窓を開けた。
「いつの間に来てたの? 声かけてくれたら入ったら絶対バズるよ、火音先生」
「僕は」
「外出られなくなるから無理」
「滅多に出ないくせに」
後ろからボソッと呟いた月火の頭を掴みかかり、月火は腕から逃げる。
炎夏の後ろに隠れ、炎夏に何やってんだと額を小突かれた。
「火音先生と月火って仲良いよね。火音先生月火のこと気に入ってんの?」
「あいつの機嫌損ねたら衣食住が危うくなる」
「弱み握られてる大人ってちょろいね」
「げんちー、月火が夕食食べに行くかって」
「いくいくー!」
火音は生徒に馬鹿にされたことに対するショック、火光は生徒の口が悪くなっていくショックで、そっくりな姿で頭を抱えた。
「先生も行くでしょー?」
「僕は今日は仕事。どこ行くの?」
「しゃぶしゃぶ」
「日の景にでも行こうと思いまして」
「子供たちだけじゃ危ないから水月連れて行きなよ。召使いが送ってくれるから」
「兄さんって案外酷い言い方するんですね」
「自称してんだよ許して」
火光は立ち上がるとスマホをいじり、水月に連絡する。昼の仕事ももう終わってるはずだ。
「水月君?」
『なにー』
「月火達が夜食べに行きたいんだって。僕仕事だから連れてってあげて?」
『……三人だけ?』
「うん。僕はいない」
「いいや火光。
「いらないって。じゃ」
『えちょっ……』
電話を切り、水月からの鬼メールを無視したままポケットに入れた。
「月火、一回寮帰るんでしょ?」
「このまま行ってもいいかなぁと」
「火音のご飯は?」
「勝手に食べたらいいんじゃないですか?」
「あーあ怒らした」
「俺のせい?」
火光は火音の腕をつつき、炎夏と玄智は後ろに隠れて水虎と連絡を取る月火の頬を引っ張ったりつついたり。
「拗ねた拗ねた」
「相変わらずのツンデレ。炎夏に伝染るぐらい」
「うるせぇな」
「許してあげなよー。食費もらってんでしょ」
「貰ってたらいいんですけどねぇ」
でも火音はたぶん今日自分の寮に帰るはずだ。ソファが使えないから。そう考えるとやっぱり食べない方が吐かなくて済むのでは。本人的に吐いた方が楽なのだろうか。
「火音先生今日来るんですか」
「それも拒否られんのマジ?」
「いや別に拒否はしませんけど」
「行く。自分の寮よりマシだし」
「あそうですか。食べるなら夜中になりますよ」
「……じゃいいや。サプリ飲んどく」
「そうしてください」
妖輩は筋力低下防止や関節痛防止のためサプリを飲んでいる人は多々いる。が、火音に関しては完全基礎栄養を補うためのものだが。
担当医の
「月火、可哀想だよ」
「食べないって言ったのあの人ですし」
「じゃあしゃぶしゃぶはまた今度だな」
「残念。月火の機嫌がいい日にだね。はぁぁぁ」
玄智が大袈裟に溜め息をつくと、月火の僅かな罪悪感が押されたらしい。少し面倒臭そうな顔をしながら鞄を持って火音を追いかけて行った。
五月末から十月頭までプールの授業が始まる。
長いと思うだろう。だって妖神学園にはエアコン、温水、波付き、完全室内型五十メートルプールがある。維持費用が馬鹿高い。
月火は更衣室で一人、玄智がネットで買ったさして凝ったデザインもない、足首までのレギンスタイプにラッシュガード。
シャワー室と繋がった更衣室なので既に髪は濡れている。この長ったらしい髪を濡れた状態で結ぶのは至難の業。
頑張って髪を結んで外に出ると既にプールサイドのベンチに炎夏と玄智が丸まっていた。
二人とも月火と同じ水着。
「二人とも、先生は?」
「まだ」
「逃げたい……」
月火も隣に座って待っていると、ジャージ姿の火光と火音がやってきた。
ちなみに現二年生はいない。中学卒業とともに情報コースに移ったのが最後の一人だった。
「なんで教師はジャージなんだよッ……!」
「僕怪我したー」
「俺泳げない」
「月火! 筆箱!」
「こんなところにハサミとデザインカッターが」
「ストォップッ!」
火光が二つを取り上げ、月火の額を弾いた。
「文句言ってないで入るよ。おいで」
三人とも帽子を被り始め、月火はゴーグルを付けながら火音の元へ行く。
「火音先生泳げないんですか」
「入ったらまず吐くからな」
「……なんかそんなん聞きましたね。あぁあれ火音先生だったんですか」
「ねぇ月火、先生後ろから落とさない?」
炎夏と玄智の計画は火音によって無惨に折られ、三人はおとなしく少し温かいプールに入った。
ゴーグルを付けて頭まで潜る。ちなみに下は三メートルなので足は付かない。
「向こうまで行って戻っておいで。上がった人から飛び込み……話の途中!」
勝手に行った三人に呆れながら、水しぶきがかからないよう後ろに下がった。
「反抗期来たかも」
「生まれた時から反抗期だろ」
「あー僕の可愛い生徒が」
「生徒の成長だ。見てやれ」
やることのない火音はベンチに座り、ほぼ同時に上がってきた三人を眺める。こう見るとやっぱり月火が一番小さいな。身長と女子ゆえの華奢感で。
「100メートルバタフライタイム測定やるよー」
「嫌でーす」
「黙れー」
火光のホイッスルで三人ともが飛び込み、けのびからバタ足クロールで泳ぎ始めた。
競技用なので飛び込み可。妖輩は時に二十五メートルの崖から飛び降りることも求められる。ちなみに水平プラットホームと呼ばれる、あの回りながら飛び込む台はまた別に。回りながら飛び込む目的じゃないけど。
「月火、玄智、炎夏。なんだ、玄智泳げるじゃん」
「当たり前でしょ何言ってんの」
「反抗期……」
「玄智、バタフライやるぞ」
「もやだァ!」
「はい行ってきてー」
面白い四人だよなぁと思いながら眺めていると、またプールの扉が開いた。
「あ、火音先生!……火光先生も、ジャージなんですか?」
「火光は怪我。俺は泳げない」
「もしもの時のためにでも水着の方がいいですよ。生徒溺れた時とか」
「俺体育教師じゃないし……」
「教師の自覚!」
膝丈の白い水着と薄ピンクのラッシュガードを着た晦は火音に呆れ、プール大好きな三年二人は早く行こうと晦を押した。
「火光先生、五と六のレーン借りますね」
「はーい。……月火もあぁ言うの着ればよかったのに」
「今の私に不満があると?」
「そういうわけじゃないんですがッ……!」
月火は火光のみぞおちを指で指し、それが終わるまで玄智と炎夏は飛び込み台で無駄話をする。玄智は座って足を組み、炎夏は立ったまま片手を腰に当て。
「月火ちゃん……濡れるからやめて……!」
「話を逸らさないでください。教師がたとえ妹であったとしてそういう発言するのは如何なものかと思いますが」
火光は月火を止めきれないまま、他の教師は巻き添えを食らわないようにそのまま三時間黙って見過ごした。
プール終わり、炎夏と玄智が火光に説教されている間月火と火音で廊下を歩く。
「お前よく口回るな。途中から飽きてただろ」
「まぁ。でも同級生のためですからね」
「そこまでやるか」
「やりますよ。死んで助かるなら死にますから」
こいつのたまに見せるこういう顔が嫌いだ。自暴自棄でも自虐でもない、世界に失望したような目に感情を感じさせない顔。
何故か腹の底や胸の中に重たい感情が湧き出てくる。
「お前のそういうとこ嫌い」
「嫌でしたか。失礼しました」
そう言って全て隠すように笑う顔も腹が立つ。
月火の頬をつまみ、また強くつねった。
「痛い……」
「子供が大人みたいな顔すんな。お前今学生中だろ。公私分けろよ」
「うるさいですね」
月火は赤くなった頬を押えたままふいっと顔を逸らし、虫の居所が悪くなった火音も溜め息をつきながら顔を逸らした。
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