3.狐
奇妙な任務を命じられた。
なんでも、子供には見えて大人には見えない。下級には見えずに上級には見える怪異の退治。
妖心術を使える
そこに初等部の学生も含まれ、その人数で世界の怪異、と言ってもほとんどが日本だが、怪異を祓っている。
仕方ない。力を強く保とうとすれば二つの家は一つになる。加え少子高齢化で一家庭子供は一人か二人が増え、常に死の危険と隣り合わせの妖輩だ。人は減る一方。
仕事にのめり込みすぎて結婚できない人も一定数いるし。
一般人が書類仕事を請け負っている今も、到底楽と言える人数ではない。
妖輩には無級、三級、二級、一級、特級とある。
無級は御三家の幼児や初等部生が、三級は強い初等部や中等部が、二級はほとんどの高等部が、一級は鍛錬を重ねた三十路ほどがなる級。
特級に関しては世界に一人だけ。
異常じみた有り得ないほど強く高精度の妖心術と才能以外の何物でもない身体能力、戦況を把握する頭脳も仲間が死んでも冷静でいる精神力も上司に気に入られる人柄も、全てが兼ね備えられた天才しかなれない、まさに特別な級。
特級相当の一級は三人、それぞれ理由があって特級推薦を断り続けている。
ちなみに怪異のランク振り分けも三級、二級、一級、特級。
多くは一級止まりだが、一級妖輩が百人がかりでも勝てないものは特級となる。特級と言うのは妖輩も怪異もそれだけ特別ということだ。
人が少ない時間帯、明朝の四時半、始発一本目から電車で千葉の山奥に向かう。
車の送迎もあるが個性が強い人だと吐きかねないので、自分のペースで休める電車で。帰りは怪我をしているかもしれないので車を頼んだ。
マスクを付け、電車の床以外どこにも触れずさっさと着けと心を上の空に飛ばす。
こういう時、ごく稀にだが心の中と言うか放心中の思考にと言うか、変な感覚が流れ込んでくる時がある。
苛立たしくも、それを我慢し自虐に走ったあとの気鬱さというか。
別にそんなこと思ってないし、そもそも苛立ちを我慢することがないのだが。
なんなんだろうなぁと考えればすぐ消える。謎の感覚に首を傾げながら、おとなしく気分が悪いのを自覚して電車を降りた。
朝四時半に出たにも関わらず着いたのは九時。三時間半で行けるにも関わらず、五時間かけて着いたのは千葉の登山入り口。
ほんとに、何しに来たんだろう。
妖輩と証明するための教員証明書を提示し、任務を完遂するために管理者の署名と印鑑を貰い、それを封筒に入れた。
法的に争えるからこそ有利になるための制度。考案
登山コースに入り、なるべく道にいてくれと思いながら山道を進む。
どうやら上がキャンプ場のようで、進入禁止とは書いてあったが下山する人はまだいるらしい。死なないといいけど。
思考内で妖心と話しながら、うっすら残っている気配を探す。これは登山道から外れるな。
消毒スプレー持ってきてよかったと心底安堵しながら、一度登山道から外れて山の中に入った。
かなりの斜面なので木の根を足場に上がっていると、突然女性の甲高い悲鳴が聞こえた。
怪異かと思ってそちらを見れば、まさかの女性が転落。ただの事故。
ヤバい、事故を起こしたら無関係でも月火に怒られる。唯一食べれる食事と唯一安心できる寝床が。
──妖心 雷神──
自分では確実に間に合わないので咄嗟に手を前に伸ばして雷神を出し、ホッと肩の力を抜いて自分はまた上に向かった。
『火音、人間に怪我はなかったぞ』
「怪異がいる。探せ」
『御意』
幼い男子の姿に真っ赤な隈取りが顔全体に入り、雷雲に乗るこの妖心。
こんな見た目なので普段人の前で妖心は滅多に使わないのだが、人目がない時は普通に使う。使った方が楽だしやりやすい。
火音もキョロキョロと探していると、ふと足の下に何か踏みそうになる感覚があった。
このまま完全に踏むと確実に取り押さえられるが、攻撃してこないなら怪異じゃない。人の負の塊は必ず凶暴化するから。
怪異じゃないなら妖心の類になるので祓うつもりはない。つまり、たぶん飼い主になる奴の家に一緒にいることになるな。嫌わらたら面倒臭い。
足の下で這い出そうと暴れるそれに手を伸ばし、足を退けると同時にまだ小さな胴を掴んだ。
透き通っていた体が尾と鼻の先から色付き始める。
真っ白な毛皮に、四本の狐の尾。明らかに子狐の、これは何狐だろうか。確かなんか四種類ぐらいいたはず。
帰って月火に押し付けよう。あれの妖心は九尾の狐なので面倒見てくれるかもしれない。あの荒っぽい狐が噛み殺すかもしれない。どっちでもいいが。
それを持ったまま登山道まで戻るとまだ落ちた女性とその家族が腰を抜かしており、大きな声で呼ばれるのを無視して駐車場まで降りた。
来た時には既に停まっていた車に乗り、マスクを付ける。
「お疲れ様です火音さん。……その四本は……」
車での送迎は火音の潔癖を最も理解している
「拾った」
「猫じゃないんですから拾ったで納得できないです。とりあえず出しますね。狐と言えば私、今朝月火様と水月様を会社まで送ったんですけど、月火様の妖心様のしっぽが凄くふわふわで寝落ちしそうだったんです。九尾様の声は月火様にしか聞こえないけど凄く優しい狐さんで。火音さんは月火様なら大丈夫なんですよね。是非一回触ってみてください。月火様優しいので触らせてくれると思います」
赤城の永遠に回る口は時々降りて休憩するコンビニでもドラックストアでも止まることはなく、火音が返事しなくてもと言うか返事することのない内容を延々と話し続ける。
赤城は妖輩ではない、補佐コースの卒業生だ。
成人のくせに月火とさして変わらない身長ながら、実は首席卒業だったりする。
事実超優秀なのだが、一番の欠点はその十秒間の沈黙すら気まずいと言うA型の塊か。人と会えば常に話し続ける。人といなくても話し続けている。会話のネタの宝庫とでも言っておこう。
話に全く興味のない火音がぼんやりと外を眺めていると、ふと信号で止まったところで歩道が目に付いた。
「それでその三つ繋がったグミの……」
「赤城、車止めろ」
「コンビニ入りますか?」
「近いなら」
頭のそろばんが弾けた。火光に褒められるチャンス。
コンビニに着くとすぐに降りて、車に赤城を待たせて先ほどの歩道に向かった。
マスクを取って、男数人に絡まれている女子の肩を掴む。
「あ、火音さん」
「お兄ちゃんが怒り狂うぞ」
「……身の危険を感じます。任務帰りですか」
「そう。コンビニに赤城待たせてる」
「乗せてください」
「そのつもり。火光に俺に助けられたって言っとけよ」
「はいはい」
どこまでも曲がらない火音に呆れながら、ナンパ三人組に手を振って踵を返した。
そりゃ高身長の顔面国宝がやってきたら誰でも固まるわな。
月火は火音にマスクを貰い、顔を隠すためにマスクをした。帽子を会社に忘れてきたので五分ごとに絡まれていたのだが、偶然とは奇なるもの。
二人で車に戻ると、赤城が目を丸くした。
「月火様! お疲れ様です。偶然ですね。仕事終わりですか? 火音さんが見付けたのは月火様だったんですね。学園までですか?」
「はい。急務が終わったので帰って授業に出席します」
「学生なのに社長や当主なんて大変ですね。忙しいながらも全ての仕事が滞らないのは月火様のさすがの技量です。あ、さっき……」
「なんかいる……!」
「拾った」
「
「火音さんが千葉の山から連れてきたんです。私も驚いたんですけど、拾ったの一言で。さっき九尾様のしっぽの自慢してたんですよ。凄くふわふわで癒されました。ありがとうございます」
「いえ……」
「これ天狐か」
「汚れてますね」
「山ん中にいたからな」
「……踏みました?」
「透明だったもんで」
明らかに一部靴の跡が付いている毛を撫でて、顔を逸らした火音を睨む。月火の妖心が狐であることは知っているはずなのに、その適当さはなんなのか。
火音は手に除菌液を吹きかけ、滅菌する。
「……えこの天狐どうする気ですか」
「あげようと思って。怪異じゃないし。狐殺すのはさすがに無理」
「あげるって私に? 既に三匹飼ってる私に?」
「三匹? 一匹だろ」
「私の妖心は二匹います」
「残り一匹は?」
火音を指さしてくる月火の頬を引きちぎらん勢いで引っ張り、月火は泣き叫ぶ。
「痛い痛い痛い! 火光兄さんに言いますよ!?」
「ナンパから助けてやったろ。恩人を貶しやがって」
「すみませんねぇ猫とさして変わらないもので! 痛い!」
「お前俺をなんだと思ってる」
「猫!
「せめて教師とか幼馴染とかがよかった。居候って……」
「私の寮で食べて寝てるんですから居候でしょう」
「食費は入れてるだろ。それに火光いるじゃん」
「いない時も」
「生活費払ってんだから居候はやめろ」
「じゃあ住み込みで」
「俺は弟子か?」
赤城はケラケラと笑い、二人の話が終わったかと思うとまた赤城が喋り始めた。こいつよく喉潰れないな。
時折店の駐車場で休憩しながら、また二時間半で帰れるところを三時間半近くかけて帰った。
火音は今日は休みなので二人で寮に戻ると月火は急いで制服に着替え、火音に声をかけた。
「触れるなら狐洗っといてください。妖心の類ならたぶん何も食べないので」
「無理。気持ち悪い」
「……持って降りてきたんじゃないんですか」
「人間に触った時と近い感覚がした」
「え人間?」
「どう見ても狐だろ」
「ですよね?」
ソファに寝転がった火音とセーラー服のリボンを結ぶ月火は天狐を見下ろし、天狐は体を舐めながら毛繕いを始めた。
「……じゃあ荒らさないように見といてください」
「寝てなかったら」
「役に立たない居候ですこと。じゃ行ってきます」
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