(1)② ホラ吹き大根――赤城七菜
「……来月きっついな」
あたしはATMに寄ったことを後悔していた。
月末に見ようが、25日の給料日に見ようが、今月バイト代がどれだけ入ったかなんて1円たりと数字は変わらないというのに、給料日のうちに現状を把握しておきたくて、稽古の帰りに、ATMに寄ってしまった。
25日の時点で、財布に4258円も残っている。
生活費は月末に引き出すようにしているから、今月は余裕があるぐらいだった。月末まで1日700円も使えるのだから、よく頑張ったほうだ。
しかし、あたしはさっきから通帳を手に溜め息ばかりついていた。
甘く見積もっても、厳しく見積もっても、来月以降の暮らしがきついものになるのは確定している。
スーパーのチラシの裏に書いた収入支出と、10月25日時点での通帳の残高。
「これは削れる」「これは削れそうにない」と、書いては消し書いては消し、なんと虚しい一喜一憂。
これからだんだん寒くなってくるというのに、この経済状況じゃ暖房も使えそうにない。じめっとした冬がまたやって来る。毛布にくるまりながら、「こんなの南国詐欺だ」と1人でぶつぶつ文句を言いながら寒さをしのいでいた、あの惨めな冬が……。
「金がない」
座卓にぐて~と突っ伏しても、頭の中では絶えず収入支出の計算は続いているので、ちっとも気が休まらない。
「あー、お肉食べたいよ」
こんな風に言葉にするからお腹がますます空くのか、(お腹空いた)と考えるから無意識に言葉にしてしまうのか。
こういうのをなんて言うんだっけ。卵が先か鶏が先か? 鶏が先か卵が先か?
しょうもないことを考えていたら、お腹がぐぅと鳴った。
定食屋のバイトは、教子さんの紹介だけあって、店長さんはなにかと便宜を図ってくれる。公演前のシフトも自由に組ませてくれるし、それは本当にありがたい。
だけど、シフトを減らした分、生活は当然苦しくなる。
賄いを食べられる機会だって減る。これが特に辛い。
生姜焼き、ニラ玉豚丼、キャベツたっぷり焼きうどん、どれもこれも絶品なのに……。
「フライドチキンもいいなぁ」
今夜口にしたのは、近所のスーパーのコロッケ(3割引)と、インスタント味噌汁だけだ。その3つ入りコロッケにしても1個残した。3つ全部食べるか、それとも明日の朝、トーストに挟む用に残しておくか。
――さぁ、バターを塗っただけのトーストと、コロッケを挟んだリッチなトースト。どっちを取るかい?
「コロッケトースト万歳……」
あたしは力のない声で言う。「おお」と腕を上げる元気もなかった。
ダイエット中の女子高生だって、いまのあたしよりはマシなものを食べていると思う。
たまには割引シールの貼っていない鶏肉を買って、唐揚げの1つでも揚げたい。油のパチパチ爆ぜる音を楽しみながら、冷えたビールをぐっとやりたいものだ。
ビールなら焼き鳥もいい。お皿いっぱいのホカホカ焼き鳥を「あちあち」言いながら頬張って、それをキレ味のあるビールで流し込むのだ。もぐもぐ。グビグビ。もぐもぐ。グビグビ。「くぅ~!」
(たまるのは涎ばっかりだ……ギブミーマネー……)
暴飲暴食の夢にしても、まだ当分は――少なくとも【南国演人】にいる間は――叶いそうにない。
この頃は、部屋に1人でいるときでも、教子さんに生活を見張られているような気がするのだ。
――ふぅん、夜中にそんな脂っこいものを食べるのね。
――野菜は高い? 見切り品ならそこまで高くないわよ。
「そうは言いますけどねぇ」
今夜は独り言が多い夜だ。
それからというもの、あたしはしばらくの間、部屋の隅でくるくる丸めているだけで、年中出しっぱなしの千年床をぼんやり見ていた。
すると、不意に胸がざわつき始めてきて、気持ちも少しずつ萎えてきた。風船の空気が抜けていくような――よくない落ち込みかただ。
(……あたし、なにやってんだろ)
住み始めた頃は(狭いな)と思っていた5畳の和室が、いまは広く感じる。
なにもないから、隙間が目につくのだ。
いま突っ伏している小さな座卓。ここ1ヶ月はケースに入れたままのノートパソコン。最後にいつ干したか分からない布団。
テレビなんてものは当然なく、家電製品は、冷蔵庫、オーブンレンジ、洗濯機……最低限のものしか揃えていない。
実家にいた頃は部屋を散らかしがちで、お母さんにもちょいちょい小言を言われていたのに――お金がないっていうのはこういうことなんだな。
散らかすだけのモノが買えない。
(休日はベランダでギターを弾くとか、そういうことやってみたかったんだけどな)
【南国演人】で舞台活動をしながら上京資金を貯めて、あたしは今度こそ東京へ行く――。当初の予定では、2年もあればこんなド田舎出て行けると思っていた。
それがいまでは、年中お腹を空かせて、バイト代も上京資金どころか日々の生活費だけでギリギリ。今月みたいに公演に向けてシフトを減らすと、赤が出る。
解散公演は11月中旬。まだ2週間以上ある。11月に入ってからも中頃までほとんど出勤できないから来月のバイト代もたぶん今月とあまり変わらないだろう。
(年末には全財産が5万切るのか)
他人事みたいに思って、つい笑ってしまった。
「……寝よう」
ぐちゃぐちゃ考えたところで仕方がないので、疲れた身体を早く休めることにした。
シャワーを浴びて、歯を磨いて、目覚ましが早朝5時にセットされているか確認してから10時には部屋の明かりを消した。
(あたしは【ホラ吹き大根】なんかじゃないんだ)
先のことは分からないけれど、早朝練習だけは1日も欠かさず続ける。どんなときでも絶対に。
この習慣と意地だけが、いまの冴えない暮らしを、まだ何者でもない赤城七菜を支えている。
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