第19話 異世界居酒屋

 2組目の研修を終えて、今日の業務は終了した。

 ユリヤによると、こっちの時間で18時以降に転送者はいないそうなのだ。本当に都合よくできている。


 夜中に死んで転移する人間だってもちろんいる。だが、そういった連中も時空の歪みによって、こっちの時間でいう9時〜18時に転送されてくるのだそうだ。


「本当に?」

「はい、そうですよ」

と、あっさりロロルが答えた。机の周りを除菌ティッシュで拭いて掃除している。除菌ティッシュという品物はあるのか。本当にこの設定どうなってんだ。


 彼女は続けた。

「女神様が、そういう風になっているって教えてくれたんですから」


 女神様……


 いい加減、俺もその存在が気になり始めていた。

 いったいその転生の女神様というのはどういう存在なんだ?


 しかしやっぱり、その存在は誰にも秘密であるようだった。

 というか、もしかしたら彼女たちも、その存在を正確に説明できないのかもしれない。


「えっと、それで」と、俺は後片付けをする彼女たちに混ざって聞いた。「ロッカールームなんかはあるの?」


「ロッカールーム?」

 このみんなの、変な、不思議そうな表情。

「あ、もういいです」

と、俺は引き下がった。そんなものはなかった。彼女たちは適当に机の下から私物をまとめる。というか、ほとんどが手ぶらだった。


「それじゃあ行きましょうか!」

と、ユリヤが全員の顔を見回す。

 あれ、なんだろうか、この感じ。


 俺はちょっと気圧されてしまったが、それは、つまり……


「おでんだー!」


 というわけで、俺たちはおでんを食べに繰り出すことになった。


 まぁ、約束していたし、俺も楽しみだったし、なによりみんなが楽しそうだから乗ることにした。

 飲みニケーションなんて言葉は古いし、使いたくないが、やっぱりこうやってご飯を食べに行くことがみんなの絆に繋がると思うし。


 コールセンターの建物は、前にも見た通り、オフィスの重たそうなドアを開けると、そこは外なのである。逆から言えば、オペレーター室ひとつだけで、後は何もない、倉庫のような建物が、森の中にドーンと建っているのだ。


 俺たちは連れ立って森を抜けた。


「なんか不思議なんだよなぁ」

と、俺。


「何が?」

と、ユリヤ。


「だって、ここってさ、森の中だろ。そこにいきなりこんな建物があるなんて」

「それは私だって不思議よ」

とユリヤが言うので、俺もきょとんとしてしまった。


「私も、この建物がいつ、どうやってできたか知らないのよ」


 俺はあまりに驚いて、一歩後退してしまった。

 聞きつけたロロルが間に入ってくる。


「この建物は、急に出来たんです。いきなりのことで、誰もいつ、どうしてここにできたのか知らないんですよ」

「え。そうなのか。じゃあ、みんなはどうやってここにきたんだ?」

「きたって?」

「採用というか、面接とか、そういうのがあったのか? つまり、就職のさ、募集はどうやって?」


 俺の言葉に、みんなは要領を得ない、という顔になった。


「えーっと」

 一気にきまりが悪くなった俺に、ウリアナが説明してくれた。

 

「私たちはみんな、女神様に言われてここにくるようになったんですよ」

「女神様?」


 出たよ。またしても、女神様。

 それがなんなのか、俺にはどうしてもわからないのだった。


 そうこうしているうちに、森の中の一本道をたどって、俺たちは一軒の酒場にたどり着いた。

 完全にRPGとかでみるような木造の酒場だ。看板に、ビールの注がれた木のジョッキの絵が描かれている。それっぽいなぁと思っていると、みんな我が物顔で中に入っていった。


「いらっしゃーい!」

 中はそこそこ繁盛していて、よく見れば耳がとんがっていたり羽が生えていたりする客人もいるのだが、だいたいは人間という風体だった。

 カウンターにいるのは妙齢のマダムで、バーのママ、という雰囲気もあった。

 白いブラウスに黒いコルセット、下は赤いロングスカートを履いている。


「みんな、何にすんの?」


 そう聞かれて、全員が声を揃えた。


「おでん!」


 その注文で通るのか、とびっくりしたが、マダムは「はいはーい」と明るく返事をしている。


 グビリ


と、俺の喉が鳴った。

 出るのか。異世界で、まじでおでんが。



 テーブル席でくつろいでいると、カウンターの向こうから出汁のいい匂いがしてきた。本当におでんっぽい。酒、しょうゆ、みりん、そしてカツオほんだしっぽいにおい。やばい。めちゃくちゃお腹空いてきた。


 それから大根、こんにゃく、昆布の茹でられていくいい匂い。たまらない。


 ちょっと待ってくれ。

 俺は冷静になった。

 おでんなんて、その場で「はい、作ってくれ」と言われて作れるものじゃない。本格的にやろうと思ったら、ちゃんと下ごしらえが必要なはずだ。


 そう思って、俺は何の気なしにカウンターを覗き込む。

 なんてことだ。あの仕切りのついたおでん用のしきり鍋が置かれているじゃないか!

 下ごしらえどころの騒ぎじゃない。これは、正真正銘の、おでんだ!!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る