第8話 巨大蛙トドス

 俺はトドスとやらを前にして、完全に固まってしまった。


 だって巨大な緑の、つるっとして、ぬるっとした質感の、カエルだ。

 どっしり構えていて、目も半開きで、起きているのか寝ているのかもわからないような、のんびりした雰囲気でそこにいる。


 ユリヤは誇らしげに、手を腰に当てた。


「こいつはすべてを記憶しているの。試しにさっきのトールのやつ聞いてみようよ」


 さっきまで神様扱いだったのに、もう呼び捨てかよ。

 まぁいいや。

 ユリヤはそういう性格なのだろう。


 そんなことを考えている間に、ユリヤはトドスの脇にある棚からビンを取り出した。

 中には黒くて小さな虫がいっぱい入っている。


 うえぇぇ——……。


 虫が苦手な俺は真っ青になって目を背けた。


 ユリヤはビンの蓋を素早く開けると、ピンセットで中の虫を1匹、器用にちょっとつまんで出した。


「記憶を引き出すには報酬が必要なんだ」

と、そいつをトドスの目の前にポイッと放つ。


 すると、さっきまでほとんど眠っていたかのようなカエルの目がカッと見開かれ、カパッと口を開けて長い舌を出すや、目にも止まらぬ速さで、舌で虫を捕らえて食べた。

 ほんの一瞬の出来事だったが、俺は風を感じた。


 これで録音がどうやって聞けるのか、本当に意味がわからなかったが、完全に覚醒したらしいカエルに向かって、ユリヤが番号を唱えた。


「041302002、ウリアナ」


 カエルの目つきが変わる。


 そして——……


「もしもし? あー、もしもし? はい、もしもし? なんですか? え? あ、えーっと、ここって、異世界転送した人の問い合わせ先ですよね? はい、そうですが……」


 俺は驚きすぎて言葉を忘れてしまった。

 カエルは流暢に、一人二役でウリアナと、さっきの吉田くんの会話を繰り返したのだ。


 やがて俺が電話を代わったところまで、完璧に再現された。


「ストップ、ストップ!」

と、俺が制止の声をあげると、カエルは素直にピタリとそこでやめた。


 これは……、ちょっともう意味不明だけれど…、とにかくすごい。


 でもこれだけじゃ録音機として不十分だ。


「巻き戻しもできる?」

 ユリヤに聞いたはずだったのだが、カエルの耳にも届いていたのだろう。


 少し前の、「異世界転送した人の問い合わせ先ですよね? はい、そうですが」から言い直しはじめた。


 すごい……


「よし、わかった。記録というか、記憶はされているんだということがわかったから、これは今後使えるぞ」


 俺は、録音というものが機械ではなく生物頼りなところに不安を覚えたが、無理やり自分を納得させることにした。


 ここは、もう、そういう世界なんだ!


「ありがとう。よくわかったよ」

と、ユリヤにお礼を伝える。


 だが、彼女は難しい顔をして立っていた。

 顎に手をやって、何かを考えているらしい。


「どうした?」

と、尋ねると、ユリヤは「うーん……」と呟いてから、自分の考えを話した。


「さっきのトールの電話、すごくよかったから、トドスがこうやって覚えているんなら、それを聞きながら、私たち勉強できないかなって思って」


「ああ、それは……いいアイディアなんじゃないかな」


 教材として使われるなんて、ちょっと恥ずかしいけれど。


「でも、いきなり全員で聞いたら、電話がかかってきた時に誰も出られないことになっちゃうし……」


 なんだ。そんなことに悩んでいたのか。

 でも、正しい悩みだな。


 俺はこの、言葉遣いが乱暴で、人を誰でも呼び捨てにしてしまう銀髪の少女のことを、ちょっと見直して言った。


「それなら、チームを何分割かして、ひと組ずつ研修の時間にしたらいいんじゃないか? トドスは何回でも同じ記憶を繰り返せるみたいだし」


「そっか! そうだね!」

 ユリヤはパッと顔を明るくさせた。


 それを見て、俺も我ながらいい思いつきをしたものだ、と思ったが、


「じゃあトール、先生役お願いね! 電話の件数から言って、2組か3組に分ければいいかな。みんなに話してくる!」


「え? 俺が先生役?」

「当たり前でしょ。私たちはトールの対応の足元にも及ばないんだから、上手い人が教えてくれなきゃ」


 恐ろしいことに、話はサクサクと決まってしまう。


「いや、いやいや、ちょっと待って。俺、元の世界では、いちオペレーターでしかなくて、OJTくらいはしたことあるけど、新人研修とか、全然そういうのは……」


「なに言ってんの! さっきの対応、すごかったよ!」


 真正面からユリヤに褒められて、正直、俺は嬉しかったし、照れていた。鏡で見たら、顔も赤かったかもしれない。


「大丈夫だよ。難しいことじゃないから。トドスの記憶を聞きながら、どうしてこういうことを言ったのか、とか、このとき何を考えていたのか、とか、そういう話をしてくれればいいから!」


 そういう指針を残して、ユリヤはくるりと背を向けると、軽やかな足取りで受電ブースのほうへ戻っていってしまった。


 大変なことになった。

 これはきっと、組分けができたら、すぐに研修が始まってしまうぞ。

 マニュアルやレジュメを作っている暇もない。


 いきなり電話応対の次は、いきなり研修かよ!


 ツッコミを入れる余裕もなかった。

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