第2話 消毒の匂い
「……つむつむさん、なんかあったの?」
どうして彼がここに居るのかなんて考える暇もなく、話が進んでいく。先程まで音の溢れた街にいたせいか、ここはやけに静かに感じる。
それでも窓から差し込む柔らかな日差しや、色とりどりの本に囲まれているのもあって静寂が心地よい。
「えっ……と、ちょっと…けん、か…デスかね?」
「喧嘩?つむつむさん、案外ファンキーなんだね」
落ち着いた空間に僕らの声が落ちる。
この事情をどう説明しても恥を晒してしまうので、少し戸惑った。そうやって戸惑って悩んだまま声が勝手に舌から流れた。
これきりで会話はほぼ続かないまま、彼は黙々と消毒液とガーゼを繰り返して僕を手当する。
一日で二回も偶然的に彼に会うなんて、微塵も思っていなかった。それはやっぱり彼も同じだったようで。
「あの、つむつむさんはこの辺りに用事があったん?まさか迷子とか?」
彼の問いの前半はまあ仕方ないとして、後半はなんだっ。
”迷子”なんて子供じゃあるまいし!……まだ法律的には子供だけどっ
まっ、まさか僕が高校生だってバレたのか…?
落ち着いた見た目して、『ふっ(笑)ガキが』ってほくそ笑んでいるんじゃないのか!?
…なんて、そんなこと本気で気にしているわけじゃないし、彼もこの場を和まそうと気を利かせた冗談を言ってくれたのはなんとなく予想できる。
だけど、沈黙を破ってそう遠慮がちに聞いてくる彼に少し、ほんの少し興味が出てきたのはきっと気のせいなんだ。
「そんなわけあるか!えっと、待ち合わせをしてたんです。メールで今日の服装とか送ってもらっていたんだけど、それがたまたまあなたが来ている服と特徴が似ていて」
「そうだったんだ。なんかごめんね」
「いいや謝るのは僕の方です。さっきはすみません。急に知らない人から話しかけられてびっくりしましたよね」
あのときのことが頭に滲み出す。初めてのマッチングで気が動転していたとはいえ、相手に確認も取らないまま自分のなかで話を進めてしまって本当にどうかしていたと思う。
「……いや、なんていうか、全然。正直”この人かわいいな”って思いました」
え?
「…え?」
「えっと、だからかわいいなって。顔はゆでタコみたいに真っ赤だし、なんでキョドってるかわかんないけど目ぐるぐるしながら話進めるし、初めて会ったけど”この人頑張り屋なんだろーな”ってことは伝わって」
抵抗して暴れたときにできたかすり傷に、彼は器用に絆創膏を貼る。
新しい絆創膏に、一ミリの血が滲む。
一体なにを言っているんだろう、この青年。
僕が……かわいい?
本気で言っているのか?いや、これも場を和ませるための冗談に違いない。
そうだと分かっているのに、なぜ心臓は速さを増していくのだろう。
こんな感情、知らない。
「っと、顔もだよな。ちょっといいですか」
「っん……」
そう、彼は僕の頬に手を伸ばす。
距離が近くなり、ぬるい温度が僕の頬と混じって熱くなる。
早く終われ。こんなドキドキ、どこかへ行ってしまえ。
「終わりです。冷えるタイプの湿布なんで気持ちいいでしょ?」
あっというまだった。
それがなんだか名残惜しかった。
「……あ、ありがとうございました。湿布まで……」
「こんなに綺麗な顔によく傷をつけることができるよな。その、けんか?はもう決着ついたの?」
本人は意図していないのかもしれない一言だった。
でも、それが僕の熱い心を沸騰させた。
慣れない感情の波にもう耐えられない。
「わ、わかんないですっ。あの、もう帰らないと。……手当してくださって本当にありがとうございましたっ」
気づけば火照る頬を下げて店を駆け抜けていた。
とたんに街の喧騒が頭に殴り込む。人の声、信号機の音。
思いを振り切るように、踏み出す歩幅は大きくなっていく。
手当してもらったところばかりが気になって仕方ない。
掠めるくらいに触れた彼の温度。僕より輝く爪の色。そっと微笑む目尻の先。
痛いくらい鮮明に思い出せる。なぜなら数秒前に起きた出来事だったからだ。
ちょっと前まで恐怖で支配されていた心が、今はざわめく心音で鳴り止まない。
落ち着かない。
おちつかない。
こういうとき、僕はいつも何をしていた?
自問自答が堂々巡ってなかなか答えがでない。
「……そうだ、アニメショップに行こう」
好きなものに囲まれているときは意外と冷静になれるものだ。
そうと決まれば、僕の足先は導かれるように前を向いた。
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