墨染に咲け
真鶴 黎
墨染に咲け
桜が儚く散る姿を美とする。それを否定するかのように桜の花びらがか細い糸で枝に繋ぎ止められている。
「墨染に咲け」
後世にそう題された作品は墨染桜の一枝を花瓶に挿した――否、生けた作である。ほっそりとした黒の枝には薄墨色の影を帯びる桜が咲き誇っている一方で、散り行こうとする花びらを繋ぎ止めるように糸で枝に結ばれている。糸は蜘蛛の糸のように細く、目を凝らしてやっと見える。風が吹けば、繋ぎ留められた桜の花びらが虚しくもゆらゆらと揺れるものの、花弁が地に落ちることはない。
桜は枯れることもなく、花が散ることも萎れることもない。恐らく、作られた当時そのままの姿を留めているのだろう。しかし、桜には防腐加工がされた形跡がなく、今もなお、桜は生きている。
なぜ、美しいままの姿を留めているのか。そのような謎を秘めた作品である。
桜が生けられたガラスの花瓶もまた一級の品である。薄墨色に色づけられた花瓶は切子が施されている。柔らかな彫りによる花びらの曲線は美しく、花の盛りをそのまま切り取ったかのような意匠だ。
花瓶の中には桜の花びらがふんわりと収められ、満たされた桜の水がガラス越しに見える。光の屈折により織りなされる影はまるで万華鏡を覗いているようだと評される逸品だ。
発見は華道家の蔵の中。桐の箱の中に一通の文と共に収められていたところを先代当主が発見した。華道家の家元に伝わる記録と照らし合わせると、制作年代は一九〇〇年代初期、当時の華道家の当主の末娘に贈られた作であること、制作者は当主の弟子によるものであることがわかった。
さらに調査は進められた。
制作者である弟子については華道家の記録から詳細がわかった。とは言っても、この弟子に関しての記述はあまり良いものではなかった。腕前は悪く、当主の愚痴が残されているばかり。
見こみなし。
当主はそうこぼしていたらしく、使用人の日記からも弟子の腕前が判別した。
弟子は当主の末娘と仲が良好だったらしい。末娘も花を生け、この弟子に見せに行くことがしばしばあった。末娘の姉にあたる人物の日記にも、妹が弟子に生けた作品を見せに走っていたと記述されている。
そのためか、恋仲なのではないかとの噂もあった。それを娘の父である当主は快く思わなかった。
腕前のいい弟子ならいざ知らず、見込みのない弟子が末娘と仲睦まじくするなど許せない。末娘にはもっと夫として相応しい者を迎えてやりたいと願った。
結果、その弟子は華道家の元を通うことを許されなくなった。才能のない者をこれ以上見るつもりはないと言い放ち、弟子は敷居を踏むことさえ許さなかった。弟子は末娘に別れの挨拶もできないまま、去って行ったという。
それから間もなくして、末娘の病が発覚した。できる限り手は尽くしたものの、春の麗らかな日に彼女は桜吹雪に攫われるように若くして亡くなった。彼女の死は弟子が去ってから三年後のことだった。
桜花、散りたるごとし。
当主は娘の死をそう日記に残した。白い桜が咲き誇る時期、娘を喪った当主や家の者たちは嘆き悲しみ、墨染の衣を纏い続けた。
娘の死後、十二年が経った春の初め、華道家の元に件の弟子が姿を現した。墨染の風呂敷に包まれた桐の箱を大事に抱えた弟子はひどくやつれ、実年齢よりも老けていたそうだ。本来ならば三十路半ばのはずの彼は六十歳ほどに見え、名前を言われるまで気がつかなかったと対応したであろう使用人が日記に残している。
「お嬢様へ。墨染の桜にございます」
弟子はそう言って訝しむ使用人に桐の箱を押しつけて、屋敷を立ち去った。
箱を受け取った使用人は当主の元へすぐさま報告し、当主立ち会いの元、箱の中を改めた。
収められていたのは薄墨色の花瓶に生けられたどこか影のある桜の一枝。美しい曲線の枝は妖艶、咲き誇る桜の花は可憐であった。
そして、散ることを許さないと言うように糸で花びらが枝と結ばれていた。糸は目を凝らさねば見えないほど細く、宙に溶け込んでいた。そのため、最初に見たとき、怪しい術か何かで浮いているのではないかと年老いた使用人が騒いだという。それほどまでに糸は細く、そよ風が吹いただけでも切れてしまいそうだと箱を受け取った使用人が日記に残している。
ガラスの花瓶も品があり、風が吹けば頼りなくゆらゆらと揺れる花びらの影が踊る。光がなす切子の万華鏡に屋敷の者は目を奪われた。
得も言われぬ作。
当主は日記にそう書き残している。
当主の元にいた頃の弟子の作風はあまりにも質素だったと記されていた。花そのものを生かす姿勢は悪くはないのだが、あまりにも華が足りず、貧相に見えるという評だった。
花の素材をそのまま生かす。余計な手が加えられていないところは変わっていないことは桜を一目見てわかった。ありのままの姿の桜を投げ入れているような部分は以前と同じだ。
しかし、そこに華が加わった。切子の華やかさが補っているとも思われたが、そうではない。
桜自体に華がある。物悲しそうにも見える枝の曲線美とは対照的に気高く咲く桜から息吹を感じる。いい枝を選んだものだと当主は感心した。
家の者たちは弟子の成長を褒め称え、この作を末娘の墓前に持っていった後、彼女が使っていた部屋にしばらく飾ることにした。
ところが、桜の盛りも終え、青々とした若い葉が出る頃になっても、弟子の作の桜は散ることもなければ、萎れることもない。
贈られた当時のままの姿を残している。不審に思った家の者たちは再度、花を改めることにした。それでもとくに異常は見られず、気味悪がる者が出てきた。
そして、とうとうこの作は収められていた桐の箱に戻され、蔵の奥底に眠ることとなった。
散らぬ桜は如何になったか。■■様のことも皆、忘れなすったかのよう。
桜が仕舞われて二年後、末娘の死後、十七年後に書かれた末娘付きの使用人の日記に記述されて以降、件の桜の記録はない。弟子についての記録もない。
そして、現代に至り、発見された。現代においても、桜は枯れることもなければ、萎れもせず、散りもしない。作られた当時の姿そのまま、桜は薄墨色に咲き、花弁は繋ぎ留められ、花瓶に満たされた桜も柔らかいままだ。
「この作に関する記述はわずか。題もないこの作に僭越ながら名をつけさせていただきました。と言っても、私が考えたわけではなく、元がございますけど」
発見者である現当主はインタビューにてこう答えた。
そして、つけられた名が「墨染に咲け」。
これは作品と一緒に桐の箱の中に収められていた文に書きつけれた短文から取ったものだ。
桜と共に一緒に贈られた文は末娘の名前と短文が薄墨で書きつけられていた。
桜し心あらば、墨染に咲け
この短文は和歌の引用であると推測されている。
深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染に咲け
(深草の野辺の桜よ、心があるのならば今年だけは墨染色に咲け)
この和歌は
和歌をそのまま書きつけるのではなく、第二句、第五句のみ抜き出している点について、当主はこう語った。
「今年だけでなく、ずっと墨染に咲いていてほしい。それほどまでに、彼にとって、娘の死は重かったのではないのでしょうか。娘の死後、十五年後に届けられた作です。その間、彼が何を思い、どのように生けたのか。気になるところです」
「墨染に咲け」
才のない者と評された者による作。
特別な加工の痕跡の見られない墨染桜は今もなお、咲き誇り続けている。散ることをよしとしないかのように、花弁は細い糸で枝と繋がれている。切子の花瓶に一点の曇りなく、光が射し込めば桜の花で満たされた中身に万華鏡のような光景を見せる幻想的な作。
「桜しあらば、墨染に咲け」
涙に濡れた文字の深い哀悼の意と共にご鑑賞ください。
墨染に咲け 真鶴 黎 @manazuru_rei
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