第六話 侵食=入院

 成人男性が中学生女子に頭を抱き抱えられて大泣きするという醜態を見せた瑞は家に帰ってきてから改めて羞恥でベッドの中でうずくまっていた。

 しかし、感情を表に出せる程度には精神の回復は進んでいるとも思えたのか、瑞は起き上がって、投げこまれた二球の軟式野球ボールを手に取った。

 新品同然のボールはかすかに炭酸カルシウムの粉がついているせいか、手が白くなる。

 スナップだけで左手へボールを投げるとしっくりくる衝撃が伝わる。

 懐かしい感覚だった。実家に帰ったときに、しまいこんでいるグローブを手入れすることに決める。

 いっそのこと、一度帰るべきかとも考えるが、瑞は首を振った。

「まだやるべきことがある」

 口に出して言い聞かせる。

 きっと現実は何も解決していないだろうが、まだ生きていようと思えるくらいには回復した。

 同時に息苦しさもよみがえる。大きく深呼吸をして抑える。

 原因不明の体調不良は自分の想いのせいだと言われ、ようやく腑に落ちたのだった。

「まだやるべきことがある」

 だからまだ死ねないと胸に秘め、瑞は軟式野球ボールを置いて眠りにつこうとした。

 しかし、スマートフォンが通話の着信を知らせる。相手は天の使用人である奏からだった。

「お嬢さまがお倒れになった」

 感情の見えない淡々とした知らせに、瑞は理解を拒んだ。

「どういうことです」

「ただの過労ということだが、これから病院に行ってくれ」

 電話を切られ、送られてきたショートメッセージには端的に入院先と病室が書かれていた。

 瑞はすぐに用意を済ませて、タクシーを拾う。

 さすがに通話するわけにもいかず、瑞は奏にショートメッセージを送っては情報を整理する。

「休暇中だったはずですが、何か仕事があったのですか。それとも私のことでしょうか」

「お嬢さまの仕事は別の人間に割り振ってあるはずだから、関係ないだろう。お前のことは前々から予定していたことだから関係がないはずだ。逆にお前は何か心あたりがあるのか」

「どこまで予定していたのかにもよりますが、私がつい泣いてしまった以外はふつうの会話だったと思います」

「お嬢さまに泣かされた話は気になるが、聞かないでやろう」

「ありがとうございます」

「となると持病の悪化くらいしかないか」

「持病があるのですか」

「原因不明の呼吸困難がな」

 奏から届いた情報に、瑞はフリックする指がとまる。しかし、すぐに再開した。

「それって、後天的な才能の」

「わからないが、お嬢さまご自身は何かご存知なのか」

「いえ、よくわかりません」

「そうか。お嬢さまは優秀なお方ゆえに私の理解が及んでいない部分も多大にある。悔しいが私以外の側近としてお嬢さまがお前を近くに置きたがったのだ」

「側近というと」

「この話はされなかったのか」

「いえ、広報を担当してほしいと」

「計画の広報官ということは、おそらくそばですべてを見て聞いて知った上での広報を求めておられるのだろう」

「それはプロパカンダではなく」

「単純なプロパカンダは求めておられないな。あるがままの広報を求めておられるのだろう」

「私が画策でもすれば私の思う通りのものになってしまうのでは」

「だからこそ、お前を信頼しているのだろう」

 奏の率直な言葉に瑞は表情を変えた。

「今度こそ間違えません」

 瑞はそれだけを送り、タクシーを降りた。

 奏から共有された天の入院先は総合病院のようで、なかなかに大きな建物だった。

 すでに受付も終わっているはずだが、どこから入ればよいのか迷っていると一人の白衣を着た男性に声をかけられる。

「花芽瑞さんですね」

 ひとまず黙礼すると、男性は話を進める。

「私は天さんの主治医をしているものです。天さんの御側付より話を伺っておりますので、天さんの病室まで案内いたします」

 そのまま主治医に案内をされ病室に入ると、月明かりに照らされた天が眠っていた。

「天さんはCTスキャン等を行っても特に異常は見受けられませんでした。おそらく過労が原因だと思われますが、貧血による失神だと思われます」

 簡単な説明を終えると、主治医は病室を出ていこうとする。しかし、言い忘れていたことがあったようで、引き戸の前で立ち止まった。

「これはオフレコですが、天さんは非常に隠し事がお上手です。体が壊れたとしても、精神の強さで隠されてしまう。ですから、父親代わりとは言っては困ってしまわれるかと思いますが、天さんのことを本当の意味で支えてあげてください」

 瑞が頭を下げると、軽く手をあげて主治医は出ていった。

 月光に照らされる天を見つめ、手慰めにまぶたにかかっていた髪をどける。

 天の寝顔は過労で倒れたとは思えないほど、安らかなものだった。そのまま見つめていると表情が変わり、目を開ける。

「ここは」

「病院だよ」

「瑞、さん」

 ゆっくり体を起こすと、天はまばたきをする。

「どうして」

「奏さんに呼ばれたからね」

「そういうことですか。私が瑞さんに執着しているから、計画の話と結びつけたのですね」

 寝起きながら状況の把握が速いことに、瑞は少しおどろく。

「まあ、あまり気にしないでください。職業病のようなものですから」

「その苦しいときは我慢しないでね」

「いつものことですから、そこまで心配されなくても大丈夫ですよ。まだやらなくてはいけないことがありますから、死ねません」

 苦笑する天に対して、瑞は心配そうな表情を変えなかった。

「呼吸困難になる持病があると聞いたけれど、病気じゃないって」

「おそらく瑞さんが思っていることが正解です」

 天は自分の首元をひっぱり、素肌を見せる。思わず、瑞は目をそらす。

「別に見て大丈夫ですよ。むしろ見てもらわないといけません」

 天にそう言われてしまえば、瑞は見る他になかった。

 改めて見る天の肌には白い肌とは対照的などこまでも黒い線が這っていた。

「瑞さんも体のどこかに痣がありますよね。私のこの刺青のような線もその痣といっしょなのです」

 そして、つづけて天は困ったように告げた。

「私の寿命はあまりないのです。このままでは間違いなく計画を始めることすらできません」

 瑞は何も言うことはできずに、天の寂しそうな目を見つめる他になかった。

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