第二章 平穏故の思想侵食

第四話 安息=日常

 なすべきことをすべて先にやられてしまった瑞は、天に拉致され車で輸送されていた。

 右腕を抱えこまれ、あたっている場所のせいで手汗がにじむ。

「逃げないので、腕を離してもらえるとありがたいのですが」

 ぷくっと頬がふくれる天はより強く抱きしめる。

「敬語なのでダメです。目的の場所につくまでこのままです」

 かすかにかおるバラの香りがよけいに意識を天に向けさせる。瑞は車がとめられるまで、居心地の悪さを感じつづけた。

 車がとまった場所は大きなショッピングモールだった。運転をしていた奏がドアをあけ、瑞と天は車から降りる。

 降りたとき、瑞は奏からドスの効いた声を受けとった。

「くれぐれもお嬢さまが羽雁天だとバレないようにな」

 つまりはふつうの女子中学生として扱うようにということだった。

「奏、よろしくね」

 返事とともに奏は車にもどる。

「それではまずはお洋服を見ましょうか」

 瑞はうなずく他なかった。

 連れてこられた服屋はハイブランドの店ではなく、ファストファッションの店だった。

「瑞さんにはまずリラックスしてもらわないといけません。なので、比較的手に取りやすい価格帯でゆるふわ系の服を買いましょう」

 この時点で瑞の思考は停止していた。さすがに各単語の意味は理解しているが、まさか自分が着ることになるとは思っていなかったようだった。

 天が見立てた服を三パターンほど押しつけられ、瑞は試着室に放りこまれる。

 すべてYラインのファッションになるようトップスはすべてオーバーサイズだった。

 色合いも白をベースにパステルカラーのアクセントが入っており、優しげな雰囲気が伝わるコーディネートとなっている。

 瑞はあまり待たせるのも悪いと思ったのか、テキパキと着替えていく。その度に天からの評価が入り、結局四十分ちかく店に入り浸ることになった。

 特に天が気に入った組み合わせとルームウェアを三着、購入し店を出る。

 新しい装いに着替え、次に入った店はカフェだった。

「私も来たことはないのですが、ここのお店はおいしそうだなって思うのですよ」

 店は天井が高く、ラスティックスタイルの素朴さがゆったりとした時間を演出する。

 特別に強いアロマは使っているわけではないようで、シンプルにコーヒーとトーストの香りが安らぎをもたらしていた。

 案内された席に座り、瑞は先にメニューを天に渡して、周囲を観察する。

 平日だからか、年配の方か大学生くらいしかいなかった。

「ありがとうございます。決まりましたので、どうぞ」

 渡されたメニューを見てみると、値段は高いように感じられた。とはいえ、カフェに寄ったのも久しぶりなために相場はわからない。

 お金に困っているということもないので、特に気にせずおすすめと書かれていたものを頼むことにした。

「決まりましたが」

 敬語で話し始めると少しにらまれたので、瑞は言いかえる。

「注文するものを教えてもらえないか」

 にっこりと笑顔でメニューから目的の料理と飲み物を指さす。

「いちごミルクといちごのパンケーキでお願いします」

 瑞は店員に天が指定したものと自分用にアイスコーヒーとBLTホットサンドを注文する。

「楽しみですね」

 天の声に相槌を打ちつつ、瑞はメニューを改めて見直す。

「他にも気になるメニューがありましたか」

「いや、もう一回、見ておこうかなって」

「私、こういうところに来るのは初めてなのです」

「ふだんはどこで」

「家で料理人の方が作ってくださるものをいただいています。たしかにとてもおいしいとは思うのですが、物語でしか味わったことがない雰囲気を味わうことができるので気持ちが浮ついてしまいますね」

 ずっと笑顔の天ははにかむ。社長といえども、しっかり食事していることに安心すればよいのか、それとも一人で食事をしていることに心を痛めればよいのかわからなかった。

 何も言えないでいる瑞に、天も何も言えずにいると料理が運ばれてくる。

「ごゆっくり」

 愛想のよい表情で店員は去っていく。小さく挨拶をして、一口目を運んだ。

「おいしいですね」

 天の一言がきっかけとなって、瑞も口を開く。

「BLTホットサンドもベーコンの油をトマトとレタスのみずみずしさが流してくれるので、いくらでも食べられそうです。きっと、新鮮な素材を適切に扱っているからこその味ですね」

 目を丸くする天に気づき、今度は瑞が恥ずかしそうにうつむく。

「瑞さんの生リポートを聞けるなんて、感激です」

「そんな大したものではないでしょうに」

「瑞さんのリポートで私も食べたくなってしまいましたよ」

 少し惜しそうに天は瑞のBLTホットサンドを見つめる。

「少し食べますか」

 残っていたナイフとフォークで口をつけていない部分を切る。

「あ、ありがとうございます」

 天は控えめに口を開いて、瑞に向ける。

 何を求めているのかわかったようで、瑞は天の口にBLTホットサンドを持っていく。

 目をつぶって食んだBLTホットサンドを咀嚼する。瞬間に咲き誇る驚きと嬉しさが咲く表情は愛らしいものだった。

「とてもおいしいので、私からもお返しです」

 いちごのソースがあわさったホイップを一口サイズに切りとった厚いパンケーキ生地に載せて瑞の口元へ運ぶ。断る術を持たない瑞はおとなしく口まで運ばれた。

「生クリームのおかげかいちごソースの酸味が和らいでおいしい、です」

 年下の美少女に食べさせてもらうという非日常に瑞は動揺してカタコトになってしまう。

「さっきのときもでしたけど、敬語はなしです」

 嬉しそうな雰囲気を保ちつつ頬をふくらませて怒るという器用な表情で、天はもう一口を運ぼうとする。

「さすがにもう一度は」

 天の積極攻勢に押され、瑞は観念してもう一口を食む。

「今度から敬語を使ったら、あーん、ですよ」

 茶目っ気のある態度に、瑞はしぶしぶうなずく他になかった。

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