第二話 訪問者=同級生

 どうにか天を帰し、一人になった瑞のもとにもう一人、訪問者がやってくる。

 意図しない訪問者はチャイムをならし、さらにはノックも交えてきた。

 瑞は居留守をしようと無視を決めこんでいたが、ノックに続く呼びかけには反応せざるをえなかった。

 相手は宇尾煌うおあきだった。瑞の同級生であり、天敵でもある。

「お嬢さまが上がっていたことは知っているんだから、生きているのだろう」

 そう呼びかけられてしまえば、さすがに応対せずにはいられなかった。

「用件は」

 そっけない声に笑みを隠さない煌は、余計に笑顔を歪ませる。

「つれないことを言わないでよ。救急車に運ばれたっていうから仕事の合間に来たの、わかるだろう」

 パンツスタイルのスーツを見せびらかすように、煌は胸を張る。比較的豊かなものを持つ煌に瑞は一切の反応を見せなかった。

 瑞の様子にとうとう煌は笑い声をもらす。

「ふつうの男性なら視線誘導できるのだけれど、僕には魅力がないのかね」

「別に、お前のことを警戒しているから目線を外さないだけだ」

「そんなに警戒されるようなことをした覚えはないけれど」

 瑞は舌打ちし、話にならないとこぼす。

「覚えがないのに執着してくる相手に警戒しないとでもいうのか」

「それは君視点の話だろう。君に限らず、誰かにとって意図しないことが他者にとって興味の対象になることはままあることだ」

「そうだとしても、毎日のように直筆の手紙を送ってくるほどの執着は異常だ」

 煌は少し考えこみ、からかうように口を開く。

「僕は君のことを好ましいと思っていてね。できれば僕だけを見てほしいのさ」

「お断りだ」

「それは残念だ」

 表情を変えずに、煌は瑞から視線を外す。アパートから見える道路へ移し、さらにはより遠くを見つめた。

「君の覚悟は変わらないのかい」

「お前には関係がないだろう」

「いいや関係あるさ。やはり僕が勝手に興味を抱いているだけだがね」

「なら話すことはない」

 突き放す言葉に煌は余計に笑みを深める。

「君は覚悟を捨てることにしたってことだね」

 あざけるように言う煌に、瑞はドアを閉めようとする。

「別に君がふつうの人間と同じように、もしくは君と同じだけの覚悟を持った人間よりも情熱を失おうが、僕にとっては変わらず興味深い対象だからどうでもよいことだけれどね」

 煌は抵抗することもなく、ドアにさえぎられる。そのまま、靴音がひびかせて去っていったようだった。

 瑞は玄関にしゃがみこむ。大きく息を吸って吐きだすと、胸に手をあてる。

 何度か呼吸を意識的にくりかえし、にじんできていた汗をぬぐう。ある程度、落ち着いてくるとどうにか寝室まで這って戻り、そのまま目をつぶる。

 脳裏にうかぶ記憶は思い出したくないことばかりだった。

 中学生の頃、偶然にも大地震を伝える報道を見て、瑞は真剣な表情で感情を制御して仕事をする人に憧れた。

 憧れること自体に珍しさはないが、夢を追いつづける瑞にとってアナウンサー職は自身が夢の世界に生き続けることができる手段になっていった。

 理想の自分で生き続けることができる夢の世界へたどりつくために瑞は努力を重ねる。

 高校も大学も、就職先の放送局も自分が一番に希望する場所に入ることができた。

 それまでが瑞にとってのサクセスストーリーだった。

 入社一年目は変わらず努力を重ねた。講習と実習、その後に続く実践での成績を評価され、同期よりも早く番組を受け持つようになる。

 入社二年目には朝のメインキャスターとして任せられ、ようやく夢の世界にたどりつくことができたと喜んだ。しかし、夢の世界にたどりついたわけではなく、ただの現実だった。

 出演者たちの間をとりもち、会話を盛り上げる。同時に出演者たちの癖や思想を把握し、番組を仕切る必要がある。

 この頃から原因不明の息苦しさと覚えのない左肩の痣がめだつようになってきた。

 少しずつ面積をふやしていく痣を隠しながら、番組のために努力をつづけては途中で中断されるわずらわしさに感情が磨耗していくのを感じていた。

 とうとう出演者の一人に、心配されるようになる。

「表情がたまになくなっているけれど、無理していないか」

 その言葉に胸をしめつけられるような圧迫を感じた。その場はどうにか会話を切り上げたが、出演者に心配されるほど疲れが出ている自分のメンタルの弱さに打ちひしがれた。

 これまで何を投げ捨てても自身が憧れた人に追いつこうとしていた。今更、憧れを捨てることはできなかった。

 一日だけ有給休暇を消化し、診察を受け薬を処方してもらい、どうにかこらえる。

 しかし、ついには崩壊する。

 キャスターとなってからも何度かリポートをすることがあったが、その日は以前にもお世話になったことがある和菓子屋の紹介だった。

 思い出話をはさみつつ、店の歴史を端的に紹介し、最後には和菓子の味を伝える。

 放映された結果は可もなく不可もなくといったところだが、放映後に一通の苦情が入った。

「これまでと違う味に挑戦している店の紹介としてふさわしくない」

 視聴者から寄せられた苦情の裏取として、社内の人間が店に確認をした。

 すると苦笑いで店長はうなずいたようだった。

「前からの縁がある子ですし、以前はお陰で繁盛させてもらいましたからね。繊細な和菓子の味が変わったことを伝えられなかった程度で指摘するようなものではありませんよ」

 温かくもうけいれられてしまった失態に、瑞はうなだれた。

 そして、この話は社内で広まり、瑞自身の評価を下げることになった。

 社内のアナウンサーの中でも出世頭であり、アナウンサー職に対して強いこだわりを見せる瑞は同期や先輩アナウンサーだけではなく、上層部からも疎まれていた。

 その矢先に今回の失態は、よけいに関係を悪化させるに足るものだった。

 言葉が軽い人間からはからかいを受けて瑞にストレスを与えていく。

 そうでなくとも、態度が硬化して以前とは関わりが変わってしまった。

 瑞は孤立した。

 孤立してしまった時点ですでに瑞の心は水底に堕ちていた。

 光がささない底は音もなく、波も立たない。すでに動くことができなかった。

 入社三年目、ついに瑞はたおれた。緊急搬送され、気を取り戻すと検査をされ、いつのまにか呼ばれていたらしい上司に休職命令を出された。

「まずは休みなさい」

 優しい言葉をかけてくれる上司は、瑞にとって憧れのアナウンサーであり、人格も尊敬できる人だった。だからこそ、瑞の心は悲鳴をあげる。

 瑞はこれまでの人生で咎められることがあまりなかった。

 相応の努力をし、望んだ結果を得てきた。すべてが自分の力だとうぬぼれることはなく、事実として周りの人間の協力を得て、神頼みも行い、感謝もしていた。

 結果、周囲からは努力家で謙虚な人間だと思われ、可愛がられていることを知っていた。

 多少の失敗であれば許され、自分自身では許すことができなかった。

 そして、自分がただの凡人であり、憧れには届かないことを知る。

 あまりに情けなくて誰とも関わりたくなかった。

 入院を勧められたが、瑞は帰宅する。そのまま、着ていたジャケットを脱ぎ、放った。

 もう何もかもがどうでもよくて、そう思っていると朝まで感じていた不調は嘘のように消えていた。

 きっとこれは酔っているのだと、瑞の理性が言う。

 どこまでも悲劇の主人公気取りで、不甲斐なさをリフレインさせて、自分を許そうとしているのだと言う。

 その理性自体が、自己弁護しているのだとも自覚があった。

 自覚があるが故に、よけいに自分が嫌いになる。

 しかし、どうすればよいのか。

 瑞には何も思いつかなかった。いや、今からでも歩き出せばよいと知ってはいた。

 もう足は動かない。動かしたくない。

 誰にも、会いたくない。

 ふたたび、軟式の野球ボールが部屋に転がった。

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