悩ましけ 〜伊奴の煩悩〜
加須 千花
綺麗な人妻だなあ。
いや
悩ましい人妻だなあ。
漕ぎ去って行く舟のように忘れ去る事ができない
いやいや、思いが増す一方だ。
万葉集 作者不詳
* * *
奈良時代。
オレは
おっと、
「あんたは
と冷たく言われたけど、母刀自よ。
そりゃないぜ! たしかに親父も犬顔だけどよ。
まあ、それはどうだって良い。
オレは今年の春から、
まだ
まさしく人生安泰。
朝の、
衛士になれただけで。
そう思っていた。
出会ってしまうまでは。
衛士の午前中の稽古の時間に、ひょっこりその
衛士の
そんな衣を着たヤツは他にいない。
しかも美女。
目が大きくて、キラキラ輝いてるようだった。すっと通った鼻梁。小作りで赤い、可愛いらしい唇。
化粧はしてない、髪型も後頭部で一本に結っただけ。なのに、すごく色っぽいんだよ。目立つ。
で、
(え、手合わせになるかな?)
オレはまだ真剣は持たせてもらえない。
木の棒を持ちながら、ちらっ、ちらっ、とその
「いってぇぇぇ!」
たん
「
と
あれ? この人、いつも笑ってて、けっこう気安い印象だったんだけど、と思いつつ、好奇心に負けて、
「誰ですか、あの人。」
とキレの良い動きで真剣をふるう
「顎をしゃくるな。あんま見るな。あれは、今は奈良にいる我らが
と冷たい口調で言った。
ワーホーイ! なんと
───あ、ちなみにだな。
オレは
その後、
「よろしくね。」
人妻、
笑うと印象が明るくなり、ますます、可愛くなった。
うっ。
人妻に可愛く、なんて、マズイ。
マズイぞお。
そう思いつつ、しげしげと観察をしてしまう。
よく日焼けしている。
でも、肌自体は綺麗だ。艶がある肌。
歳はいくつなんだろうなあ。十九歳?
「いや、二十歳か?」
「二十三歳。」
「うおっ!」
小声でぽそっと呟いた独り言に、すぐ隣りから低い声で返事があったからビックリして、声が出てしまった。
隣りにいたのは
「
いつも爽やかな印象の
怖え!
「あっはっは、何それ
助け舟を出したのは、なんと
あ、いいな。腕触ったぞぉ。
オレにもあんな風に触ってくれないかな。
瞬間的に鼻の下が伸びたので、また花麻呂に睨まれた。
* * *
何日かして、
佳きかな。
「よろしくね。」
と目の前でニッコリ笑う古志加は、連戦で、頬に朱がさしている。
可愛さが増してる。
そう冷静に……、そう、冷静にいえば、そそられる度合いが増している。
あれ? 冷静じゃねぇ?
だってほら、少し棒を打ち合っただけで、オレ、足がつまづいちゃったよ?
わざとじゃないよー。
オレは古志加の身体めがけてよろめいた。
だから、わざとじゃないよー。
「えっ?」
古志加が驚いた声をだした。
さあ、倒れ込むオレは、この左腕をっ、どうしようかなー?!
そう短い時間で考えていると、視界が吹っ飛んだ。
(えっ?)
オレは背中に回し蹴りをくらい、怒涛の勢いで古志加の正面から横っ飛びに吹っ飛ばされたのだった。
オレは左耳から土の地面に着地し、
「へばっ!」
と変な声をだした。
蹴ったのは
「な、何するんですか……。」
と息も絶え絶えに訊くと、
「
まあ気をつけろ。ははは。
オレも気をつける。
ああ、気をつけてるんだよ。」
と乾いた笑いで、目が笑ってない荒弓が助け起こしてくれた。
なんなんだよ、もう!
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