第15話



「笑いながら『これは恋でも愛でもないよ。僕はどんな翼でも受け止める海だから』と言っていた」


それは、あの夏休みの教室で先生が俺に投げかけた「水谷のことを恋愛感情で好きだったのか」という質問に対しての俺の返答に酷く似ていた。

お互いにお互いの言葉を聞く機会がなかったのに、こんなところで似ていることに気づかされるなんて思ってもみなかった。

泣きそうになるのを歯を食いしばって耐える。


「…戸田」


先生は何か言いたげだったが、俺は首を横に振った。

きっと今口を開くと泣いてしまう。


「あの子は今どうしておる?」

「…去年の5月に持病で亡くなりました」

「やはりそうか」


老人はきっと察していたのだろう。

驚くことなく目を伏せた。

それから少しして、机に置かれたままだった箱を俺の方に近づけてきた。


「…この箱を引き取ってはくれないか?…でも、渡すことがあの子の意思だなんて、そんなことは言わない」

「…何で俺なんですか。海の遺族とか…」

「わしがお前さんに渡すべきだと思うからだ」


老人は笑いながらそう言った。

それはずるいだろ。

そんなことを言われたら引き取るしかなくなるじゃないか。


震える手を箱に伸ばす。

持ち上げるとそれは予想以上に軽く、小さかった。


「…開けて、いいですか」

「あぁ」


鍵も何も付いていない箱は簡単に開いた。


そこには数枚の紙と、海と砂浜もモチーフにした大きめの飾りがついたヘアゴムが入っていた。


「ヘアゴム…?」

「あ、それ見たことがある」


先生がヘアゴムを見て、驚いたように声を上げた。

先生は思い出すように唸ったかと思ったら、すぐに何度も頷いた。


「やっぱりそうだ。それ、水谷が学校に着けてきたんだけど校則違反だからって水谷の担任が没収したんだよ。」


確かに少し前「先生にヘアゴム没収された〜」と半泣きになっていたのを思い出した。

これのことだったのか。

たしか髪を伸ばし始めた時期の話だった気がする。


「多分学校に着けて来ないことを約束して返したんだろうな」

「…でも、何でこれが箱に入っているんですかね」

「そこまではさすがに知らないな」


考えても分からないため、とりあえず箱の中にあった紙を手に取った。

それは病院の診断書だった。

海の持病についてと手術について事細かに書かれていた。


「…これは海の病気についての診断書ですね」

「これを捨てたかったのか」

「やっぱり日記とか手紙は入ってないですね。そういうの3日坊主どころか買って終わるタイプだったので」


海に捨てようとしたぐらいだから日記や手紙のようなものが入っていてもおかしくないと思ったが、その類の物は入っていなかった。

少し考えてからヘアゴムを取り出し、診断書を箱に戻す。

箱を閉めてから老人の方に近づけた。


「…やっぱりこれは引き取れません」

「……そうか」

「だから迷惑でなければこれを預かっていてくれませんか」


突然の申し入れに老人は目を丸くした。

俺だって自分が何を言っているかよく分かっていない。

ただ、これは俺が持っているべきではないと思った。


「戸田、それはご迷惑になるから…」

「…わしは老い先長くない。いつ死ぬかも分からん。ボケてこの箱を失えてしまうかもしれないぞ」

「それでもいいんです。きっとあなたがいなかったら海は去年の4月、この海で自殺していましたから」


2人が息を吞むのが聞こえた。


「これは俺の憶測でしかありません。でも、海が『この箱を捨てに来た』と言ったのはきっと咄嗟の言い訳だったと思います。病気で死ぬぐらいならいっそのこと、って考えたんだと」


俺は実際に海が4月にこの海に来たところを見たわけではない。

でも、何となく分かってしまうのだ。


「だからこの箱はここに置いておいてほしいんです。海はここで自殺したい気持ちを捨てたはずですから。持って帰っては海の行動と決意が無駄になってしまいます」

「……分かった」


支離滅裂になってしまったが、老人は俺の伝えたいことを理解してくれた。

先生は俺たちの様子を見守っていてくれた。


「それはいいのかね?」


老人は俺が持っているヘアゴムを指さした。

これを持っておくかは悩んだが、結局持っていくことにしたのだ。

海との繋がりを少しでも持っていたいと思ってしまった。


「これは俺が持っています。海にどこまでも連れて行くと約束しましたので」

「そうか」


老人は立ち上がり、部屋の隅にあるタンスに仕舞った。


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