第13話


8月の日差しが年々強くなっているような気がする。

電車を乗り継いで着いたのは、泳ぐような観光向けの海ではなくどちらかというと靴を脱いで軽く遊ぶことがメインの海だった。

それにしてもやはりこの海は想像以上に人がいない。


「…暑い」

「……本当にここに来たのか?」


高校3年生の小旅行で訪れた海に今年もやって来た。

しかし一緒にいるのは海ではない。


「ここですよ。間違いありません」

「…元生徒から電話がかかって来たと思ったら開口一番『海に会いに行きましょう』は謎だろ」

「間違ったことは言っていませんよ」


目の前の海を眺めていると、あの時の記憶が鮮明に蘇ってくる。

ここに来た時隣にいた海は俺の幻覚だったなんて未だに信じられない。

海を眺めていると、先生が口を開いた。


「…夏休み中に戸田に呼び出されたことあっただろ」

「言い方が嫌ですけど、ありましたね。俺が海の進路希望調査書を見つけた時ですよね」

「うん。…あの後さ、気になって水谷の担任に色々聞いたんだ」


そこで先生は考えるように言葉を切った。

不思議に思って横を見ると、先生は目を細めて海を見つめていた。

その目はどこか悲しそうだった。

しばらくすると先生は再び話し出した。


「水谷の生前の希望で、埋葬方法は海洋散骨だったそうだ」


初めて知った事実に言葉が出てこなかった。


「だから水谷は戸田と一緒に海に行きたがったんじゃないか?」

「でも、あの海は俺の幻覚で…」

「そんな無理に割り切らなくていいだろ。あの時の水谷はお前の中で生きていたんだし」


先生はそう言って笑った。

海に視線を移すと、波の音だけが響いていた。

あの時は気づかなかったけれど、きっとあの時は本当に海がいたのかもしれない。

この海は俺と海を繋ぐ架け橋のような場所なのだろう。


「兄ちゃん」


遠くから聞き覚えのある声がした。

振り返ると、1年前に気がおかしくなった俺を海から引き上げ助けてくれた老人が手を振っていた。


「あの人はたしか…お久しぶりですー!」

「どなた?」

「1年前に知り合った人です」


近くまで駆け寄っていけば、老人は懐かしそうに笑う。

それから先生のことを見て頷いた。


「今年は2人で来たんだね」

「…はい」


やはり他の人には海は見えなかったようだ。

老人の言葉で改めてそれを理解した。


「初めまして」

「おや、お兄さんですかな?」

「いえ、この子の元担任です」


先生と老人は初対面だったため簡単に挨拶を交わす。

その様子を見ていれば、老人は急に爆弾発言をした。


「そういえば、あの後風邪引かなかったかい?」

「風邪ですか?」

「そうそう。夜の海に入っていったからいくら夏と言えど、濡れたままだと体調崩すから心配していたよ」

「……えっ!?」


老人の発言に驚いた先生は俺の方を見るが、目が合う前に逸らしておいた。


「…だ、…大丈夫でしたよ。ありがとうございます」

「…おい、聞いてないんだけどその話。」

「い、言ってませんでしたっけ?」


滝のような冷や汗が止まらない。

先生の視線が痛いほど刺さっている。


「あの時は海の幻覚が変なこと言い始めたのと、死を理解しかけたせいで狂ってました」

「………」


先生は頭を抱えてため息をつく。

そして顔を手で覆ったまま呟いた。


「頼むからもう二度としないでくれ」

「は、はい……。すみません。でも死のうとしたわけじゃないんですよ!」

「は?」


先生は訳が分からないという顔をした。

その顔、1年前にこの老人にもされましたよ。


「海が呼んでいたというか…海の一部になりたかったというか…」

「…お前何言ってんだ。あの時、海が海洋散骨を希望していたこと知らなかっただろ?」

「え、あ、…そっ、か」

「え?」


老人を含めた3人の間に変な沈黙が走る。

海が海洋散骨を希望していたことを俺は知らなかった。

そもそも俺は海が死んだことに気づいていなかったはず。

でも俺が1年前にこの海を見た時、たしかに惹かれて海の一部になりたいと思ってしまった。


「え、怖い怖い怖い」

「俺も怖いですよ!!」

「…もしや、お2人が話しているのは水谷 海という人のことじゃないか?」


老人は俺達の様子から何かを察したのか、そう言った。

俺と先生は先ほどまでの恐怖を忘れて顔を見合わせる。


「…なんであなたが海のことを知っているんですか?」


老人は俺の問いには答えず、潮が満ち始めた海を眺めた。


「なぁ、お前さんの名前は何ていうんだ?」

「えっ?戸田ですけど…」

「下の名前は?」

「翼です」

「…そうか。お前さんだったのか」


老人は納得したように目を細めた。

何のことかさっぱり分からず、首を傾げていると老人が手招きをした。


「ちょっとわしの家まで来てくれないか?」

「え?」

「大事な話があるんじゃ」

「せ、先生…どうします?」

「…本来なら知らない人についていかない方がいいが俺もいるし、ついていきたいと思うならいいぞ」


海について今から知れることがあるのなら、どんなことでも知りたかった。

だから大人しく老人に付いて行くことにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る