第26話

 イマーム殿下の傍に寄ることを許された私は、まだ膝をついたままのラシード殿下の隣に膝をついた。

 ものすごい目でイマーム殿下の護衛騎士らしい人が私のことを睨んでいたけど、それよりも私は殿下の顔色がどんどん悪くなっていっていることの方が気になって仕方ない。


(ああ、本当にこの人の命は、尽きかけているんだわ)


 本来はもう少し先の話なのかもしれない。

 だけれど、大切なこの国と、大事な弟と、両方を守るために今日この時まで駆け続けてきたのだ。この人は。


 そして今も、聖女の出現を喜ぶのではなくて……これは、弟が願ったから私に触れる機会を与えるのだとわかってしまった。

 この方は自分が生き延びる為に私を呼んだのではなく、ラシード殿下の願いを叶えるためだけに。


(……きっと私と同じなんだわ。いいえ、同列に語ってはいけないのだろうけれど)


 変えようのない現実に、怒りも悲しみもとっくの昔に通り越して、ただ残される人たちの為に何ができるのかを精一杯考えている人なのだ。

 

 イマーム殿下は、きっと優しい人だ。

 だってラシード殿下のために、泣いて。

 そして国のためにその命を削る覚悟がある人だから。


「……たとえ治癒ができずとも罰することはない。約束しよう」


「寛大なお言葉、ありがとうございます」


「兄上、ラフィーアは……」


「ラシード。おれの命はもう長くない。昔、侍医に言われた時には実感もなかったが力が衰えていく感じでわかっていた。だからこそお前に全てを託そうと……性急すぎた真似をしたと、今は反省しているんだ」


「兄上……」


 ぐっと私の前で握られる、ラシード殿下と同じ褐色の肌を持つ腕は筋肉質だけれど細身だ。本来なら、もっとがっしりしていたのかもしれない。


「最近は命が失われていくのを感じるよ。お前が行方知れずとなった時には焦ったが……己の命が潰えることには、もうなんの不安も抱いていないんだ」


「そんな!」


 ラシード殿下は悲壮な声をあげたけれど、私にはよくわかった。

 他者の命が刻々と失われていく現場に立ち会ったこともあるが、己の中の命が削れていくのを感じるのはとても奇妙な感覚で、名状しがたいものだった。


 そして、悲しみや悔しさがあった。

 私は諦めていたくせに、不安を感じ取っていた。

 でもこの人は、もうそれを越えたところにいる。


「イマーム殿下……お手を、失礼いたします」


「ああ」


 そっと男らしいゴツゴツした手を取る。

 そんな私の爪を見て、イマーム殿下は微笑んだ。


「揃いの爪紅か。やるなあ、ラシード」


「……兄上」


「そこについては話してくれないんだな? ああ、いいさ。命が尽きる前に話しておくれ」


「兄上! そんな言い方を……」


 朗らかな声に悲壮な声。

 それを耳にしながら、私はそれらが遠くの出来事のように聞こえていた。


(感じ取れる)


 小さな、命の脈動。

 今にも途切れてしまいそうな、それを私はたぐり寄せるような感覚でいた。


 実際にはイマーム殿下の手を両手で包むようにしているだけにすぎないのに、何故だかこれまでの祈りとは違う何か・・が私の中で起こっている。

 だけれど、不思議な感覚なはずなのに私は何の違和感も覚えていなかった。


 ただ、そのたぐり寄せた命を、抱きしめるような気持ちだった。


(ああ……)


 この包まれるような温もりはなんだろうか。

 あの館で私が役目にようやく気がついた時よりも、さらに温かく力強い。


 涙が零れた。

 何故かはわからない。だけれど、やりきった。そう感じていた。


(お認めくださるのですね、神よ。私がすべきことは、これだったのですね)


 温かなそれが消え去るまで、私はただ感謝の気持ちを込めて祈り続けていた。

 それが去って行くのを少しだけ残念に思いながら、ゆっくりと閉じていた目を開ける。


 もうそこには、命が尽きかけた青年の姿など……どこにもなかった。


「ようございました、イマーム殿下。もう貴方様も感じ取っておいでのことでしょう」


「お、おお……」


 護衛騎士たちも、控えていたハキムも、当事者であるイマーム殿下も、私の隣にいるラシード殿下も。

 何故か私を凝視していた。


 それでも私は彼らがどうして驚いているのか理解できなかったが、イマーム殿下を見るにもう生気が満ちている。

 そのことが、とても嬉しくて私はただ笑みを浮かべるのだった。

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