第15話

「ラシード殿下……?」


「お前は賢い。だがずる賢くなれなかった」


 ベッドに横になるとやはり少し楽だ。

 体は鉛のように重く、言うことをきかない。


 それでも痛みも苦しみもないのだから自分はまだマシな方なのだと己を慰める中で、眠るように逝くのだとしたらそれはいつなのだろうと怯える毎日だ。

 受け入れているのに、受け入れられない時がある。


 それを悟られたくなくていつだって私は神に祈るのだ。

 聖女だった私を、聖女である私を、許してくださるのはきっと神しかいないから。


「善良で、民を思う貴族の矜持を持ち、大局を知った。……得がたい女性だよ、本当に」


「……ラシード殿下……?」


「俺は、君とよく似た人間を知っている。だからとても、歯がゆい」


 横たえた私を見つめる目は、どこか苦いものを滲ませて。

 私の手を取る彼の大きなそれは、少しだけ震えていたように思えた。


「ひとつ、昔話をしようか」


 そうして語ったのは、仲の良い兄弟の話だった。

 弟はいつだって兄が誇らしくて、前を書ける勇敢な兄が自慢でたまらなかった。

 そんな兄を誰よりも一番近くで支えたい。

 

「それが弟の願いだった。ただそれだけで良かったんだ」


 だが病はそんな彼らの足元にもするりと忍びより、希望の芽を摘むのだ。

 兄はそれでも気丈に笑う。

 誰よりも信頼できる弟がいてくれるから、大丈夫だと。


 だが弟はそれを受け入れられない。

 兄が、兄こそが。


「兄上こそが、王に相応しい。だが兄上を救う手立てもなく、兄上は愚かな振る舞いをすることで俺が覚悟を決めるよう仕向けるしかなかった」


「ラシード殿下」


「ラフィーア、お前は兄上と同じだ。己の命すら、大切な者を救うための駒にする。嘆くだけではなく、前を向き、毅然として立ち向かい、そして影で泣くのだろう?」


「……」


「ずっと、傍にいたんだ。誰よりも気高く、誰よりも寂しがり屋なたった一人の女性を、どうして置いていけるものか」


「殿下」


 私の手を握るラシード殿下は真剣な眼差しで私を見つめた。

 置いていけるものか、そう言ってもらえて喜びが胸を満たす。


 そんな資格は、私には残されていないというのに。


 おそらくナイジェル将軍は近日中に王家に反旗を翻すだろう。

 将軍は国を憂い、今の国王陛下のことも、アーウィン殿下のこともよく思っていなかった。

 聖女わたしの扱いに対しても憤慨していたし、その後に就いたミューリエルに対して失望もしたとこれまでのことでわかっている。


 ナイジェル将軍の娘婿に、アーウィン殿下の腹違いの弟がいる。

 彼を旗印に、反旗は翻る。

 多くの貴族が賛同するだろう。


 私を蔑ろにしたと、聖女を大切にしなかったと……それを合い言葉のようにするのだろう。


(私が、そうなるとわかっていて)


 わかっていたのだ。

 いずれはこうなると。


 アーウィン殿下とミューリエルがきちんと己の役目に向き合ってくれるような人間ではないことも知っていたし、国王陛下が名君でないことも知っていた。

 その上で国内を荒れさせたくないならば、私が手紙で周囲に知らせ、納得してもらった上で殿下たちを補佐してもらえば良かっただけの話なのだ。


 勿論、それをやることは義務ではないし、私の本来の役目からは大幅にずれるだろう。

 貴族としても、聖女としても。


「……ラシード殿下、私はずるい女なのです」


「いいや、お前はずる賢く立ち回れない、ただの愚かなほど純粋な女だよ」


「だって国が荒れるとわかっていながら」


「それが必要だとわかっていたからこそ、黙っていたんだろう。お前は賢い」


 それなのに、他国の人であるこの人に後のことを頼むだなんて。

 ずるい以外なんだというのだろう?


「俺の方がずるいんだ」


「……?」


 私の髪を撫で、頬に手を添えた彼はそっと顔を近づけて口づけをした。

 触れるだけのそれに私は目を瞬かせるしかできない。


 押し倒されたりなんかしなくても、体はあまりにも重くて動きはのろく、彼を止める手立てはなかった。


「俺は何もできなくなっていくお前の世話ができることに、喜びを感じていたんだよ。ラフィーア」

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