第13話
別室に一度下がる。
食い下がられるかと思ったけれど案外ミューリエルは大人しかった。
ずっと睨みっぱなしではあったけど。
「ごめんなさいね、ドライ。警戒しっぱなしで疲れなかった?」
「いえ……」
殿下の傍らに控える騎士はともかく、ミューリエルの後ろの男は騎士と呼ぶには随分とまとう雰囲気が違った。
彼女が個人的に雇っているのだろうか?
伯爵家ではミューリエルの希望に添って護衛を雇っていたから、そのうちの一人だったかもしれない。
「お嬢様」
「アイン」
「……便箋を、用意しておきました」
「ありがとう」
別室と言っても隣だったからか、彼にもきっと私たちが何を話していたのかはわかっていることだろう。
今頃彼らの給仕についているウィルとウィニーは居心地の悪い思いをしているかもしれないが、もう少しだけ我慢してもらって後でたくさん労おう。
「
「ええ。……とても可愛らしいでしょう」
見た目だけなら確実に可愛い。
接点がなくとも、私にとっては〝妹〟に違いない。
だから、なにもかもが手遅れになる前にあの子はあの子で気付きを得てくれたらいいなと思う。
「そうですかねえ、俺はお嬢様の方が可愛いと思いますがね。……ところで、ナイジェル将軍に関して、何かお気づきで?」
「さあ」
その探りの意味は問わない。
彼も答えてくれるとは思っていないのだろう、曖昧な私の笑みににこりと笑みを浮かべただけだ。
アインにとってはこれも言葉遊びなのかも知れない。
少しだけ震える手でペンを握る。
字は、まだ書ける。大丈夫。
ありきたりな言葉の他に、戦で少しだけ疲れてしまったこと。
王家の許しを得て、情けない姿を晒さないために聖女の座を譲り、今は穏やかに暮らしていること。
ナイジェル将軍が国を思う気持ちを尊敬している、そう私は手紙に記した。
「……さあ、これを持って戻りましょう」
「また俺は待機ですか」
つまらなそうにそう言うアインに、私は苦笑する。
彼は手を伸ばして、同じ色に染まった私の爪をゆるりと撫でた。
僅かに、爪紅が剥げていることにそれで気づく。
「後で塗り直しましょう」
「まだ綺麗だわ」
「俺がやって差し上げたいんですよ」
「……ありがとう」
彼はは私の爪を塗りながら、いつもどんなことを考えているのだろう。
ツヴァイに車椅子を押してもらいながら、私はそっと肩ごしにアインを振り返る。
ニコニコと笑みを浮かべながら、彼は私に手を振っている。
部屋を出る時、ドライが一瞬立ち止まってアインに深々と頭を下げる姿が目に入ったけれど……どうしてか、なんて問えないまま私は殿下たちが待つ部屋へと戻る。
「お待たせいたしました」
「遅いわ!」
戻って開口一番、ミューリエルから厳しい言葉が飛ぶ。
それに苦笑したい気持ちを抑えつつ、私は書き上げた便箋をテーブルの上に置いた。
「ごめんなさいね、手が上手く動かないものだから。……こちらを文官殿に確認していただいた上で、お送り願えますか」
「ああ。……感謝するよラフィーア。どうだろうか、君が望むなら今からでも王城に……」
「殿下!?」
「お心遣いありがとうございます。ですが私はここでの暮らしが存外気に入っておりますので」
「……そ、そうか」
「それでは、この地より王太子殿下と聖女様のご活躍をお祈り申し上げます」
定型文のようなお別れの挨拶を述べる。
ようやくこれで帰ってくれると思うと内心ではほっとしていたのだけれど、ミューリエルは違ったようだ。
「あんたが……あんたがどうして聖女なんて呼ばれてるのよ! そのせいでワタシが……ッ」
手にしたティーカップの中身をぶちまけられたと思ったが、私は濡れることもなかった。
ドライとツヴァイが庇ってくれたからだけれど。
睨み付けるドライに、一歩だけミューリエルの護衛が踏み出そうとして怯んだ。
「何をしているんだミューリエル! 君のせいでこんなことになっているというのに、その上でラフィーアに迷惑を……!」
「だ、だって殿下ぁ……この人がちゃんと聖女としてみんなに引き継いでくれなかったからワタシが責められて……」
「違うだろう、君が騎士たちを労いもせず汚いだの寄るなだの……挙げ句に慰問先でも問題を起こしたせいじゃないか! ラフィーアが戦地に行っている間、僕の前に来ていた時は殊勝な態度だったくせに彼女が聖女の座を退いた途端この態度……どれほど僕が苦労していると思っているんだ!?」
「そ、そんな、殿下」
「……ドライ、ツヴァイ、お客様にお帰りいただいて。殿下、痴話喧嘩はどうぞ王城で。私は私の役目を果たしました。どうぞ、ご理解を」
護衛たちが何をしようがこの二人がきっと上手くやってくれる。
そう願って私はお見送りをしないと態度で示し、ドアを示す。
アーウィン殿下は少し眉をひそめたものの、小さくため息を吐いて身を翻した。
殿下のその行動に慌ててミューリエルも続くけれど、私をまた睨み付けていて……まったく、あれほどまでに欲しがった殿下の婚約者という座も聖女の地位も明け渡したというのに。
(上手く行かないのは私のせいじゃないわ)
もっと幼い頃なら両親が甘やかしたせいだと言えるけれど、もう自分であれこれ考えられる年齢である以上あの子はあの子で考えなくてはならないところにいるのだと早く気づいてくれればいい。
叔父や私の言葉は、きっと届かない。
(ナイジェル将軍が行動を起こす前に、気づけばいいのだけれど)
私が聖女を退いて、王家がそれを隠して。
叔父がヴィダと繋がって、国が叔父を遠ざけた。
ナイジェル将軍は、
(さあ、私はどうするべきなのかしらね)
彼らが出ていってしんとした室内、オロオロするウィルとウィニーの頭を撫でて私はそっとため息を吐くのだった。
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