第8話

 ラシード殿下に秘密を話したことが良かったのか、私の不調は少しだけ緩やかになった。

 それでも体の中から何かが抜けていくような感覚は日々少しずつ増しているのか、徐々に手足を動かすのにも怠くてたまらない。


 ラシード殿下は、アイン・・・として私の傍で支えてくれる。


「……ありがとうございます」


「俺は貴女に仕える奴隷ですから」


 叔父からの連絡はまだない。

 一日、また一日と時間は過ぎていく。


 その間にも新聞ではアーウィン殿下が立太子の儀を終えたことや、新聖女が慰問で各地を巡りその美しい姿に周囲が喜んだとか、そんなことが書かれていた。

 どうやら義妹は上手くやっているらしい。

 あるいは、そうであってもらわなければ困る王家がそのように誘導しているのかもしれないが。


 いずれにせよ私には関係のない話だ。


「……ドライが、最近この館周辺を探る気配があると」


「私がまだ・・生きているか疑う王家の差し金かもしれませんね」


「どうして、貴女の父上は病に苦しむ娘を見捨てられるんだ?」


「父は自分に似ていない私が嫌いなんです。叔父のことも嫌っていましたけどね」


「……理解に苦しむな」

 

 揺り椅子に座る私の手を取って、アイン様が眉間に皺を寄せてそんなことを言うのがおかしかった。

 この人の言うことは、あまりにも甘美だ。

 きっと両親に愛されて育ったのだろう。

 権力がなければ、兄君とも喧嘩をしながら普通に暮らせたに違いない。


(この人が王になったら、きっと善い王になるでしょうね)

 

 叔父がそう言っていたからそうなのだろうと思ってはいたが、共に過ごすようになってそれを実感する。

 私にはその未来を見届けることはできないことが残念だ。


「また、痩せたか」


「そうでしょうか。自分ではよくわかりません」


「……綺麗な手を、している」


 指の腹でさするように私の手の甲に触れる、ラシード殿下の手は大きい。

 綺麗とはお世辞にも言えない私の手を、彼はそう言って優しく撫でてくれるのが嬉しい。


 骨と皮ばかりになってきた自分の手は、貴族の令嬢としてはかさついていて綺麗だなんてとても言えたものじゃないというのに。


「爪紅を塗ろうか」


「爪紅……ですか?」


「ヴィダ国では男も女も爪に紅を塗る。色は様々だし、模様を描くこともよくある。祈りの模様や、飾り模様、まじないでも塗る」


「そうなのですね……それは知りませんでした」


 そういえば、ヴィダ国出身の三人はいつも爪を綺麗に塗っているなと思っていたのだ。

 なるほど、彼らはそうやって意味を持っていたのかと思うと納得した。


「塗っても?」


「……ええ。お好きにどうぞ」


「なら、俺と同じ色にしよう」


 そうやって微笑むラシード殿下に、思わず胸が温かくなる。

 ああ、私にもまだこんな感情が残っているのかと。


 涙が、少しばかり出そうになった。  

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