第5話

 私が聖女じゃなくなって、三ヶ月が経とうとしたある日。

 すっかり彼らとの生活にも馴染んで、私たちの間にわだかまりのようなものはなくなっていた。


 仮の名前で呼ぶことにもすっかり慣れたし、彼らは私を主人として表向きは認め、よく尽くしてくれる。

 戦争に参加していた彼らは聖女であった私を嫌うのかと思っていたが、それはないらしい。

 特に前に出て戦う役目を担っていたドライに言わせれば「それこそお互い様なのでは」とむしろ困らせてしまったようであった。


(立場が変われば、見方も変わると言うけれど)


 なるほど、私は責められるものとばかり思っていたからむしろ身構えていたのは私の方だったのかと目から鱗だった。


(そういえば叔父様からもよく私は思い込んでしまいがちだと注意されたっけ……)


 ああ、そんな過去が懐かしい。

 叔父様が私の父親だったらどれだけ良かっただろうなんて思ってしまって、それにまた自己嫌悪を覚えたのはいくつの頃だっただろうか?


 このところ、つらつらと昔のことばかり思い出してしまうのはここでの生活のおかげなのだろうか。

 ハシェプスト伯爵家で過ごしていた時間は、決して楽しいものではなかった。

 悪いことだけしかなかったわけではないけれど、それでも私にとってあそこは『我が家』ではなかったのだ。


「お嬢様?」


「ああ、アイン。おはよう」


「どうなさったんですか、窓の外を見て。珍しい鳥でもいましたか」


「いいえ。ここでの生活がとても楽しくて、こういうのが『我が家』というのかしらと思っただけなの」


「……お嬢様」


「ハシェプスト伯爵家は私の生家だけれど、あそこは『我が家』ではなかったんだなって」


 おかしな話ね、そう私は思わず笑ってしまったけれどアインは笑わなかった。

 少しばかり眉をしかめて、私を見るその目は気遣わしげなものだ。


 彼らと過ごしてわかったのは、とても優しい紳士だってこと。

 特に王子様だからなのか、アインは……ラシード殿下は優しい。


 ああいえ、王子様だからって優しいとは限らないわね。

 だって私の婚約者だったアーウィン様は聖女として常に働く私に労いの言葉どころか、もっと効率よく癒やせ、尽くせと叱咤するばかりだったもの。


「ごめんね、変なことを言って。早く行かないとせっかくウィニーが作ってくれた朝食が冷めてしまうわよね」


「……はい」


「行きましょう、アイン……?」


「お嬢様!」


 ドアを開けてもらって廊下に出たところで、くらりとして思わず膝から崩れ落ちる。

 咄嗟にアインが私を抱き留めてくれたから床に体を打ち付けることはなかったけれど、私はほっと息を吐き出す。


「あ、ありがとうアイン。ぼんやりしていたせいかしら」


「そんなわけないでしょう! 酷い顔色だ……!」


「気のせいよ」


 ああ、だめだ。

 私は慌てるアインの、その支えてくれる手に手を重ねて首を振る。


 なんでもないのだと、そう伝えるために。

 だけど彼はそんな私を見て厳しい表情を浮かべるだけだ。


「医者を呼ぶべきだ」


「……医者は必要ないの」


「何故」


「それは……」


 私は曖昧に微笑む。答えたくない。

 だけれどアインの眼差しは厳しいままだ。


 そこにあるのは私を咎めるものよりも、強い心配の色。


「……原因は、わかっているんです。だから……」


「どうすればいい」


「どうもできないの。だから……お願い、みんなには黙ってて」


「……」


 私は懇願するしかできない。

 アイン、そう彼の名前を呼んだ自分の声は、どこまでも頼りなかった。

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