第6話 最強の戦士アーレンベルク


 火球は攻撃ではなく、暗闇に潜む自分たちを探すための目印。

 だがその考えに至る頃にはもう遅かった。


「あぐっ!!」


 青白い外套をまとった女の右胸を、どこからか飛来してきた矢が貫いた。

 女は苦悶の表情を浮かべてよろめく。

 すぐに二本目の矢が飛んできて、今度は右腿を貫いた。


「裏切ったか……ハリス・ベルデぃぃぃぃぃぃ!」


 闇のなかから唐突に現れる矢は、的確に彼女やグレアムの仲間たちを狙っているわけではないらしい。

 大方、先ほどの火球の明かりで記憶した位置にひたすら矢を撃ち込んでいるのだろう。


「動ける者は村を目指せ! 異教の者も、それに加担する者も、ここで皆殺しにする!」


 闇夜を貫くような雄たけびが聞こえたと思えば、大地を青白い稲妻が這う。


「ヴァレント卿、おそらくこの待ち伏せはハリス・ベルディが裏切って情報を流したものかと」

「分かっている」


 ヴァレントと呼ばれた隊をまとめる偉丈夫が丘の上目掛けて手をかざした瞬間、地を這う稲妻が雷鳴と雷光を散らして一帯を爆破した。

 大地は裂け、木々は薙ぎ倒され、爆風によって飛び散った土砂が舞い上がる。


「ヤツがっ、アーレンベルクが回復しきる前に必ず……」


 右胸と右腿から流れる鮮血で外套を赤く染めた女が、一度は地に着いた膝をもう一度起こそうと歯を食いしばった。

 しかしその姿は、誰の目から見ても分かるほどの重傷。とてもじゃないが、戦えるような体ではない。


「ホーキンス卿、キミは退け」

「しかしヴァレント卿……」

「敵は手負い。魔女様がなにを考えておられるのかは知らないが、騎士がふたりも出向く場ではないはず」


 背中越しにホーキンスへ告げたヴァレントが、もう一度右腕を振るう。

 稲妻が闇を裂き、再び一帯は爆風と轟音に包まれた。


「安心しろ。アーレンベルクがいなければアルマの連中など有象無象に過ぎん」


 燃える木々が照らす坂道を駆け抜けた使徒たちに続き、ヴァレントもまた坂を上っていく。

 【人の形をした攻城兵器】というのは、騎士セプテンス・ヴァレント率いる部隊と相対した旧教アルマの兵士たちが彼につけた呼び名だ。腕のひと振りで放たれる広範囲高威力の魔法は、今までに何百という兵士たちの命を奪っている。

 そんな彼にとって、人民ごと村をひとつ潰すというのは大して難しい任務でもなかった。

 刹那、


「随分と派手にやってくれるじゃないか、騎士様は派手好きか?」

 

 使徒たちが駆ける坂の頂上。炎の熱と夜の涼しさが混ざりあう生暖かい風に、首もとまで伸びた茶髪が揺れる。

 燃える木々を背にした男が、坂を駆け上ってきた使徒たちの姿を鼻で笑い、腰に差した剣を抜く。


「貴様っ、フォレスト・アーレンベルク! 先の戦いで負傷していたはずっ!」

「おぉ、おたく俺のこと知ってんのかい? 顔が知れるってのは悪い気しねえや」


 頬まで生えた無精ひげを撫でながら余裕の笑みを浮かべるアーレンベルクとは対照的に、坂の下から彼の姿を見上げるヴァレントは額に汗を滲ませた。


「けど悪ぃ、俺はおたくのこと知らねぇわ」


 剣を構えたアーレンベルクのもとへ、使徒たちが駆けていく。


「いっ、異教の者を駆逐するっ!」


 ひとり目は袈裟斬りにされ、ふたり目は横一閃に斬られた。三人目の男は胴を真一文字に裂かれ、四人目の女は縦に真っ二つにされた。

 五人目、六人目、七人目も八人目も九人目も十人目も、皆等しく同じ末路を辿る。

 たった数秒で数多の人間を切り捨て、大量の血飛沫を浴びながらも悠然と佇む男の姿に、ヴァレントは思わず唾を呑んだ。


「ハリス・ベルディに裏切られ、アーレンベルクは回復し前線に立っている。ここまで読みが外れるとは……最早笑うしかない」

「いいや、読みが外れたんじゃない。俺らの読みが上回ったんだ、そうだろ? 嬢ちゃん!」


  人を幾人も殺した直後というのに、よくも飄々としていられるものだ。そうアーレンベルクの人間離れした強さと常軌を逸した精神力に呆れていたのは、彼の遥か後方で坂を下ってくるカミラだった。


「おっさん、強すぎなんじゃないの」

「へへっ、若い娘に褒められるってのはいくつになっても嬉しいもんだ」

「あと俺らのじゃなくて、アタシのね。アンタんとこの脳筋部下に殺されかけたこと忘れてないから」

「謝罪はあとでしっかりさせてもらうよ」


 ケラケラと楽しそうに笑うアーレンベルク。彼の五歩六歩ほど後ろで立ち止まり、悪態をつくカミラ。

 そのさらに後方には、ファルタやノーマンをはじめとした無傷の兵士たちがずらりと首を並べていた。


「おっさん。四秒後、アイツが魔法を撃つ」

「リョーカイ」


 聞こえるか聞こえないかの呟き程度にヒソヒソと告げたカミラからの助言に、アーレンベルクは顔を綻ばせる。


「加減はしていないのだが、負傷者はなし……か」


 周囲の木々を焼き尽くすほどの爆破があったというのに、アルマの兵士たちは全員無傷。

 「アーレンベルクが回復していること」より、「夜襲が先読みされたこと」より、その光景がヴァレントにとっては一番信じられないものだった。


「どんな小細工を使ったのかは知らないが、アーレンベルク諸共消えるがいい!」


 ヴァレントがもう一度魔法で周囲を爆破しようとした瞬間、もう目と鼻の先まで迫ったアーレンベルクが剣の鋭利な切っ先を彼の二の腕に突き刺した。


「速いっ!?」

「ヴァレント卿!」


 速い、なんて生易しいものではない。アーレンベルクはまるで、ヴァレントが魔法を使い始めるタイミングを分かっていたかのように動き出し、それを未然に阻止したのだ。


「それ、もうとっくに分かってたぜ」

「ぐっ……!」


 剣を引き抜くと同時に繰り出された斬撃によって、今度は左肩から右脇腹にかけて大きく切り裂かれる。傷口からは鮮血が溢れだし、服を真っ赤に染め上げていく。


「ヴァレント卿っ! アーレンベルク、貴様っ!」


 動揺のあまり、裏返った声で叫ぶホーキンス。だが矢を受けて傷ついた体はまったく彼女の言うことを聞いてくれない。

 膝立ちになったまま立ち上がることさえできないのだ。


「こっちは家族も仲間も殺されてんだ。今さら慈悲なんてねぇぜ」

「誰が異教の者に慈悲など求めるか」


 再度剣を振りぬいたアーレンベルク。その顔は、心なしか嬉しそうにも見えた。

 一閃は見事にヴァレントの急所を引き裂き、鍛えられた体が重たい音をたてて地面に崩れ落ちる。


「アーレンベルクぅぅぅ!」


 なんとか立ち上がったホーキンスがアーレンベルクに迫る。しかしその足取りはおぼつかず、今にも転倒してしまいそうなほど。

 無論、彼女もまたグレアムの使徒であり、ヴァレントと同様に国王を守る騎士。敵への同情など持ち合わせていないアーレンベルクは、無慈悲に剣を振り上げた。


――――が、


「おっさん、ちょっと待った!」


 大慌てで駆け寄ってきたカミラが、アーレンベルクを制止する。


「あ? どうした」

「そいつは生かして帰す」

「はぁ? お前何言って――」

「いいから」


 敵将を目の前に「生かして帰す」などもってのほか。

 カミラからの提案に眉をひそめたのはアーレンベルクだけでなく、彼らの遥か後方で見守る兵士たちも同じ気持ちで顔を歪めた。


「おい! 生かして帰すってどういうことだ! そいつはグレアムの使徒だぞ!」

「うっさいわね! アンタらが生きてんのは誰のおかげよ! こっちはこっちでやることがあんの!」


 ノーマンからの抗議に怒号をあげながら、片手間程度にホーキンスの足をかけて彼女を転ばせるカミラ。


「うぐっ! 貴様……なんのつもりだ」

「魔女アイシスに伝えて、カミラがアンタと会いたがってる」

「魔女様に? バカバカしい、貴様のような異教の者と魔女様がお会いになるワケがないだろう!」

「会うか会わないかはどうでもいい、それを伝えてほしいだけよ」


 地面に這いつくばるホーキンスを嘲笑い、カミラはくるりと踵を返した。


「よろしく頼んだわよ。騎士様」

「なっ、待て貴様!」


 カミラに目で合図を送られたアーレンベルクも、「しかたない」と言わんばかりにため息をこぼして踵を返す。

 目の前で地を這う敵将を殺したいのは、アーレンベルクやアルマの兵士たちは勿論のこと、ホーキンス自身も同じ。部隊は散々にやられ、敬愛する騎士ヴァレントは殺され、自分だけが醜く生かされるような屈辱、なにより彼女の矜持がそれを許さない。

 しかし、アーレンベルクによって説得されたアルマの兵士たちも渋々首を縦に振り、村へ帰っていく。

 燃える木々の向こう側へ消える彼らを襲うことも、呼び止めることも、追うこともできない。


「くそ……」


 悔しい。

 悔しくて悔しくて悔しくて堪らない。


「アーレンベルク……カミラ……」


 屈辱で胸が焼けそうになる。


「くそぉぉぉぉぉぉ!」


 そんなホーキンスの声が、闇夜に響いた。

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