第4話 記憶のなかにいる親友

 ――サウスヴァルト村。丘の上から王都を見下ろすことができる小さな農村。

 人口は三百名にも満たないが、豊かな自然に囲まれており、特に酪農が盛んである。家畜小屋と畑の間を行き来する村人の姿は多く見られ、牧歌的な雰囲気を漂わせる平和な村だ。

 そんな村に今、危機が訪れていた。


「このゴーグル、効果あるみたいで助かった」


 牛の世話をする農夫や家屋の裏手で洗濯する女。のどかな村を駆けるカミラに村人たちの奇異の視線は集まり、それらと幾度も目があった。

 しかし、未来を見ることも目の奥が熱くなることもない。


「村がグレアムに襲われる! だから、だから逃げて!」


 今まで出したこともないような大声を張りあげ、カミラは足を必死に動かした。

 何度も。何度も何度も叫んだ。

 額に汗がにじみ、喉はキリキリと痛む。

 それでも、カミラは声が枯れるまで叫んだ。


「ねぇ、あの子どうしたの?」

「気味が悪い」


 ヒソヒソと話す声が聞こえる。

 村の誰もが、カミラのことを気味悪がっている。


「はぁ……はぁ……」


 息を切らしたカミラはその場で立ち止まり、自身の膝に両手をついた。

 惨めな思いなら、貧しい暮らしのなかで散々してきた。ボロ布をまとって街を歩けば、イヤでも注目された。腫物を見るような目で見られたことだって、両手足の指じゃ数えきれない。


(これでいい、これで……)


 誰ひとりとしてカミラの叫びを真に受けてくれていないのは一目瞭然。

 だが、これで十分だった。


(アタシのことは変な女とでも見てればいい。だけど、これでグレアムが来るかもしれないっていう可能性は、村の連中の意識に刷り込めたはず)


 カミラの目的は、グレアムの侵攻があるという未来の情報を少しでも村人たちの意識に刷り込むこと。

 それは本来、村人たちにはなかった意識。一見すると小さな違いだが、その小さな違いが時の流れとともに大きな波紋に変貌することを、カミラは直感で理解していたのかもしれない。


(これで、未来が変わったはず)


 カミラという奇人に視線が集まっているのは、彼女にとって好都合だった。

 ゴーグルを外し、目線上にいた婦人に深紅色の瞳を向ける。



――燃える村。

――駆ける馬。

――剣を手に人々を惨殺していく、青白い外套をまとったグレアムの使徒たち。



 未来は、なにひとつ変わっていなかった。


「どうしてっ!」


 叫ぶカミラの声がむなしく響く。


「なにか、他の方法。村の連中をぶん殴って引きずる? それともアタシがグレアムの連中をぶっ飛ばして……?」


 艶やかな黒髪が乱れるほど頭を掻きむしり、唇を噛んだ。


「バカかアタシはっ! 喧嘩が強いったって、ガキ大将ボコるくらいのもんでしょ。それに魔法だって、素人に毛が生えたようなもんで戦えるはずないじゃない」


 カミラは未来を視ることができる。けれど、未来を視るだけ。

 喧嘩は貧困窟で少年をボコボコにしていた程度のものだし、運動神経がいいといっても鍛錬を積んだ兵士に及ぶものではない。

 最近覚えた魔法は明かりに使える火の玉くらいのもので、戦いに使えるような代物じゃない。


「大体、なんでアタシはコイツらを助けようとしてんのよ。自分だけ逃げればいいじゃない」


 自身に奇異の目を向ける村人たちを、カミラは知らない。

 自分のために盗みを働き、自分のために人を殴り、自分のために金を稼ぐ。

 カミラが歩んできたのは、そういう人生。


「いつも通り、アタシはアタシのために生きればいい。アタシは自分以外のために何かをしたことなんてない。そのはず……」


 物心ついた頃には貧困窟でひとりきり。

 それからずっと、カミラはひとりで生きてきた。


「アタシに友だちなんていない……はず……」


 ひとりきりの記憶のなかに、ノイズが走る。



――私がお姫様になったら、カミラは騎士だね。いつもみたいに私を守ってくれるの。



 カミラが知るはずのない、白銀の髪の少女。


「なのに、誰なのよっ」


 彼女のことを知らないはずなのに、なぜこんなにも胸が苦しいのか。


「誰なのよ! アンタはっ!」


 泣き叫びたい衝動に駆られて、カミラは空に向かって叫んだ。


「……っ」


 不意に目眩に襲われ、ふらつく身体が膝から崩れ落ちる。


(頭が痛い……また、これだ)


 こめかみを手で押さえながら、カミラは深く息を吐いた。


「……やってやる」


 苦しそうに胸元をぎゅっと握ったカミラが、ゆっくり立ち上がる。


「やってやるわよ。誰だか知らないけど、アンタを守る騎士とやらになってやるわよ」


 自身の頬を平手で叩き、決意に満ちた目を村人たちに向ける。

 やはりそこには、村の中心で叫び散らすイカレた女を見る奇異の目の数々。それがカミラにとっては好都合だった。


(コイツら全員の未来を視れば、なにかヒントがあるはず)


 カミラの頭に流れ込んでくる映像は、悲惨なものばかり。



――焼け落ちた家屋。

――血だまりのなかで倒れている人々。

――物陰に隠れる幼子。

――助けを求める女性。



 目の奥が熱い。

 頭が割れそうになる。

 しかしカミラは血がでるほど唇を噛んで、ぐっと痛みを我慢した。

 未来を変えるための手がかりがあるはずだと、彼女は信じて疑わなかった。


「―――――ッ!」


 声にならない悲鳴が喉を突き抜けると同時に、カミラはあることに気づく。


(あれ? 戦ってる?)


 農夫の何人かが、剣を握って戦っているのだ。

 一方的な襲撃を受けて村の男たちが、家族や隣人のために抵抗することはありえない話ではないだろう。

 だが、戦えている。とてもじゃないが、素人の抵抗とは思えない。


(なんで? こんな普通の村に、戦えるヤツが何人もいるっていうの?)


 そして、違和感はもうひとつ。



――剣を交えるグレアムの使徒たちと農夫たち。

――グレアムの使徒たちの背中側。怯えたような顔で身を引こうとするハリスの姿。



「さっき見た未来じゃ、ファルタの目の前で殺されてたはずよ」


 勿論、ファルタの時に視た未来と時間軸が前後している可能性はある。自らの目の能力を把握できていない以上、真実を知ることはできない。


「なんなの、この違和感は……」


 割れそうなほど痛む頭を抱え、その場で顔を伏せるカミラ。

 視た未来の時間軸にバラつきがある可能性を考慮しないほどバカじゃない。それ以上に言語化できない違和感が彼女を混乱させていた。


「おい、お前! さっきからなにをブツブツ言ってるんだ?」


 すると突然、怒鳴り声が耳に飛び込んできた。

 顔を上げた先にいたのは、ひとりの青年だった。

 年の頃は二十代半ばくらいだろうか。短い金髪に青い目。筋骨隆々な体躯をしている割に顔つきには幼さが残り、どこかやんちゃな印象を受ける男だった。

 彼は怒りの形相でカミラに近づき、その胸ぐらを掴んだ。


「うっさいわね、今取り込み中なのよ」

「聞けばグレアムが来るとかなんとか、いい加減なことを言うのも大概にしろ!」

「あーもう、大声ださなくても……」


 胸倉を掴まれた腕をカミラが掴み返す。

 刹那、


(コイツ、もしかして……)


 カミラの脳裏を、ひとつの可能性が過った。

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