カミラ編

第2話 未来を視る目


「ふわぁ……」


 大きなあくびとともに上半身を起こす。

 眠気まなこをこすりながら隣を見ると、いつもいるはずのアイシスの姿はない。寝相が悪いアイシスの肘打ちで起きない朝は、どこか味気なく感じた。


「……っ」


 突如訪れた焼けるような激痛に、目を抑えるカミラ。

 呼吸が乱れ、視界の焦点が定まらない。

 しばらくすると、ようやく激しい痛みが和らいできた。


(なん……だったの)


 額に滲んでいた汗を拭い、辺りを見渡す。

 見慣れたテント内の景色が広がっているだけで変わったところは見受けられず、いつも通りの朝を迎えていたようだ。

 ただひとつ、普段と異なる点を挙げるとすれば、その光景が酷く寂しげなものであったことだろう。


「あれ?ピアス……」


 地面に布一枚敷いただけの寝床から起きあがったカミラの手が、ふと自身の右耳に伸びる。


「ない」


 アイシスから貰ったピアスが見当たらない。

 慌てて他の部分も調べるが、どこにも落ちていない。

 顔面蒼白させたカミラが手を伸ばしたのは、アイシスがテントのなかに置いて行ったボロボロの手鏡。


「……」


 覗き込んだ先に映る自身の姿を見て、カミラは思わず息を呑んだ。

 ピアスがない。いや、その程度の話ではない。

 焦げ茶色であったはずのカミラの瞳が、血のように鮮やかな深紅色と化してしまっていたのだ。


「なに……コレ」


 刹那、また焼けるような痛みが両目を襲い、今度は脳まで焦がす。


「ぐうぅっ!」


 痛みのあまり、思い切り目を閉じる。



――空を覆う暗雲。

――燃える王都。

――進行するのは青白い外套を羽織った怪しい集団。


――彼らを先導するのは……紺碧色の目の…………。



「うあああっ!」


 息を整えようと大きく肩を動かす。

 だがしかし、いくら酸素を吸っても心臓の鼓動がおさまる気配はなかった。


「何だったの……今の」


 見たこともない映像が頭に流れ込んできたことに驚きを隠せない。

 同時に、何か途轍もなく恐ろしいことが起きてしまうような気がする。そんな不安にも駆られる。


「そうだ。ピアスは」


 思い出したように周囲を見渡した。

 しかし、やはりどこを探しても見つからない。


「どうしよう。まさか……盗まれたのかな」


 不安と心配が入り混じった表情で呟くと、すぐさま立ち上がってテントの外へ出る。

 今しがた見た悪夢と反して、イーストエンドの景色は十九年間見てきたものとなにひとつ変わらない。


「カミラ? どうしたんだ、ひどい顔だぞ」


 顔を真っ青にして大量の汗をかくカミラの姿を見て心配そうに声をかけたのは、向かいのテントに住む中年男性。


「ちょっと……嫌な夢を……」

「おいおい。大丈夫かよ」

「大丈夫」


 ようやく呼吸を整えたカミラが顔をあげ、男の目を見る。

 また、焼けるような痛みが目の奥から全身に駆け抜けた。



――カミラに背を向けた男の頭に、偶然飛んできたボロボロの靴がぶつかる。



「ちょっ」


 またもや見知らぬ映像を見たカミラが、男に声をかけようとしたその時、踵を返した男の頭に偶然飛んできたボロボロの靴がぶつかった。


「痛っ!」

「あっ……」


 呆然と立ち尽くすカミラ。

 飛んできた靴は、子どもたちが遊んでいる途中で勢い余って靴を飛ばしてしまったらしい。

 こら、と叱る男。ごめんなさい、と謝る子どもたち。こんな光景、飽きるほど見てきた。

 しかし今回ばかりは違う。カミラは男の頭に靴がぶつかる未来を予見していたのだ。


(どういうこと……?じゃあ、さっきアタシが見たのは……?)


 未来を見た。カミラが自分の身に起こった異変を悟るのに、そう時間はかからなかった。

 直後、カミラの脳裏を大きな不安が過る。


「王都が……崩壊する……?」


 動揺し、辺りを見渡すカミラ。しかし空は青く、人々はいつも通り騒がしく暮らしている。

 とてもじゃないが、すぐにあんな凄惨な景色に様変わりしてしまうとは思えなかった。


「うっ!」


 しかし辺りを見渡せば、通りを歩く人の数だけ目を見てしまう。

 目が合うたびに見える映像は、貧困街に生きる人々の近い未来。

 そして、ついにカミラの体がぴたりと止まる。

 目を合わせた人間全員分の未来を見せたせいだ。


(このままじゃ、頭がおかしくなる!)


 堪らず走り出した。

 目的地などない。

 ただ、あそこにいてはダメだという危機感を覚えたカミラの足が勝手に動く。


「熱いっ! 焼けるっ!」


 目が、脳が、体のすべてが熱い。カミラの身に何が起こっているのかなんて分からない。

 ただ分かることは、カミラの見ているものがカミラにしか見えていないものだということだけだ。


「ああああっ!」


 込み上げる激痛にカミラは悲鳴をあげ、その場に崩れ落ちた。

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