魔女と聖女の異世界戦争
板上魔物
第1話 いつかきっと、お金持ちに。
今朝から降り続ける雨は、カミラの心を嫌悪で湿らせた。
王都郊外、貧困窟イーストエンドの一角にある廃教会の屋根で雨宿りしていた彼女の瞳が遠巻きに捉えたのは、悍ましいほどの存在感で貧富を分かつ富の壁。
「……あそこを超えることができればなぁ」
呟きはため息と共に、白い吐息となって霧散していく。
貧民窟で生まれ育った彼女にとって、この世界の不条理や理不尽さはよく理解しているつもりだ。しかしそれでも、彼女は掃き溜めのような貧困窟から抜け出すことを強く望んだ。
「やっぱり、ここにいた」
「……アイシス」
「どうしたの?なんだかご機嫌斜め」
雨音に混じって聞こえていた足音は、カミラの思っていた通り、友人アイシスのものだった。
「別に、元々こういう顔だし」
「どーれどれ」
そう言って、カミラの顔を面白半分にのぞき込んだアイシスの目はぱっちりと大きく、子犬のように愛らしい。
対するカミラの表情はといえば、荒みきっていて捨て犬のよう。
「せっかくの美人が台無し」
「うっさい」
「ほぉら、笑って笑って」
嫌がるカミラの頬を半ば強引に両側からつまみ、ぎゅっと強く持ちあげる。
笑顔に見えなくもないその表情が面白かったのだろう。自らの指先でつくったカミラの顔を見て、アイシスは「ぷぷっ」と思わずふきだした。
「遊んでるでしょ」
「あははっ、やっぱりカミラは笑ったほうが綺麗だよ。私が男なら放っとかないね」
ケタケタとおかしそうに笑い声をあげるアイシス。その姿に苛立ちを覚えたカミラの手が、今度はアイシスの頬を両側からつねる。
「そういうアンタこそ、男に抱かれてツヤがでてきたんじゃないの?」
「でへへぇ、そうかな」
「別に褒めてるワケじゃ……いや、やっぱり綺麗になってるわ」
「でへへ……」
赤面しながら照れるアイシスの姿を見ながらも、カミラは自身の言葉を否定しきれない。
出会ったころの、イジメられて泣いていたときに比べれば、明らかに色気が増している。それはもう同性であるカミラすらドキッとしてしまうほど。
ただでさえ人目をひく美貌なのだから、変な虫でもつかなければいいけどと内心思う。そしてそれが叶わないことも知っていた。金が全ての世界では、金を積めばどんな相手だろうと簡単に手に入る。
アイシスが選んだ娼婦という道は、そういう女にとって茨の道。
もっとも、本人に自覚がないのだから困りものである。
「それで、どうして私を探しに来たわけ?」
話題を変えるべく問いかけると、待ってましたとばかりにアイシスが答えた。
「うん。あのね、今日は久しぶりにスゴいお客さんが取れたの!」
アイシスの発言に一瞬驚いたような顔を見せた後、カミラはすぐに納得したように「あぁ」と短く呟く。
娼婦にとって技巧と同じくらい大切なのは容姿。いかに美しく見せるかだ。アイシスはその点で言えば、かなり整った容姿をしている。
カミラとはまた違うタイプだが十分に魅力的な美女だ。
「そう。良かったね」
「ねぇカミラ!今度私のお客になるかもしれない人、一緒に見てくれない?」
「アタシはカラダ売るつもりないわよ」
カミラがぶっきらぼうに言い放つ。
「もぅ、そういうんじゃないよ。ただ、一度くらいはカミラと一緒に壁を越えたいだけ」
「アンタの客って……貴族なの」
貧民窟で生まれた人間にとって富の壁はあまりに高くて超えられないが、金持ち相手に身体を売っている人間は少なからず存在する。
その事実を知って、カミラはアイシスの頬をつまむ手の力を失った。
「うん、すっごく優しそうな人なんだよ?もしかしたらカミラもその人の家で雇ってくれるかも」
「何言ってんの、アンタ!」
指が食い込むほどの力でアイシスの両肩を掴んだカミラが、唾と怒号を勢いよく飛ばす。
「いやいやいや、カミラは娼婦じゃなくて使用人としてだよ。ほら、カミラってケンカ強くて運動神経よくて――」
「違うわよ! アイツらは腐るほど持った金で何人もの娼婦を買ってる。家で雇うなんて提案してくるヤツ、まともじゃないに決まってんでしょ!」
「カミラ? 顔、怖いよ?」
「アンタ……酷い死に方するわよ……」
動揺のあまり目を左右に泳がせるカミラ。
そんな彼女に、アイシスは屈託のない笑みを向けた。
「私なら大丈夫だよ」
「でも――」
「約束したでしょ?」
アイシスの屈託のない笑顔に言葉を遮られたカミラが、苦虫を噛み潰したかのような顔を見せる。
できることなら、彼女を危険な目に遭わせたくない。
だが、アイシスがどれだけの覚悟を持って茨の道を進んでいるのかをカミラは知っている。
――「私たち、いつか絶対にあの壁の向こうでお金持ちになろうね」
――「アイシスはどんくさいから無理だよ。アタシは絶対アイシスよりすごいお金持ちと結婚してやるから」
――「えぇー、じゃあ私はお姫様になる!」
――「なれるわけないでしょ」
――「私がお姫様になったら、カミラは騎士だね。いつもみたいに私を守ってくれるの」
――「アンタみたいなお転婆を守るなんて、体がいくつあっても足りないわよ」
幼き日、掃き溜めのようなこのイーストエンドで交わした約束を果たすためにアイシスは娼婦という茨の道を選んだのだ。
無邪気にも見える表情の奥に秘めたアイシスの覚悟の大きさを知っているからこそ、カミラには死に向かう彼女を本気で止められなかった。
「……本当に行くの」
絞り出したカミラの声が、廃教会の中で静かに響く。
「うん」
力強く答えるアイシスの目は真っ直ぐだった。その眼差しを前に、これ以上何も言うことができないと察したカミラが顔を伏せた。
「ねぇ、アイシス」
「どうしたの」
「今は一緒にいけない。アンタは貴族にお呼ばれするような立派な娼婦になったけど、アタシはあの頃のまま……」
すぅっと息を吸い込み、廃教会から曇天の空を仰ぐカミラがさらに続ける。
「でもいつか、アタシはアタシの力で富の壁を超える」
ほら、と言って口もとを少しだけ嬉しそうに緩めたカミラの指が、パチンっと軽快な音を鳴らした。
白く細長い指の隙間から掌の上に集まった空気が発火し、彼女の手のなかに拳ほどの火の玉が現れる。
「スゴい! これ、魔法!?」
「最近、雑貨屋のオヤジから盗んだ魔導書を読んでるの。今はこれくらいしかできないけど、魔法が使えるようになればお金だって稼ぎ放題。アタシはアタシのやり方で、アンタと肩を並べてみせるよ」
「肩を並べるなんて、そんな。でへへ……」
嬉しさのあまり顔が緩みきっていたアイシスだが、「あっ」と突然声をあげるなりポケットをまさぐりはじめた。
使用感が端々に見えるドレスのポケットからアイシスが取りだしたのは、ガラスを加工した深紅色と紺碧色のピアス。
「これ、あげる」
そう言って、アイシスがカミラの右耳に深紅色の方のピアスを着けた。
「なにこれ」
「この教会のステンドグラス、昔から綺麗だって言ってたでしょ?知り合いの雑貨屋さんにお願いして作ってもらったんだ」
「これを私に?」
「ほぉら、似合ってる。やっぱり美人は何でも似合う」
「そうじゃなくて」
アイシスの突拍子もない行動に困惑しながらも、言われた通り自分の右耳に触れるカミラ。
ひんやりとした金属の冷たさを感じた直後、アイシスがもう片方の紺碧色のピアスを手に取って自らの左耳へ着ける。
「私、行くね」
「待って」
「カミラ?」
アイシスの背に向かって、思わず伸ばしたカミラの手が止まる。
「私も必ずそっち側に行くから、絶対死なないで」
「分かった」
振り返りながら、アイシスが満面の笑みで答えた。
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