水槽の人

主人公。舞台上手から、原チャを押して歩いてくる。


「オッス、オラ、デリヘル嬢。人魚、元気?私はまあまあ元気」

「最近常連客もついて、仕事の勘所もつかめてきた感じ」

「まえ、プレイ後のだらだらとしゃべったりとかがうざいって言ってたけど、常連とるにはそっちも大事だってわかってきた。コミュニケーションだね、なんか、人が人になつくのって」

「介護の方の仕事で、ヘルパーさんに、よいヘルパーの条件を聞いたんだけど、『愛情をもって、かつ、支援対象者をモノとしてみる冷静さ』なんだって。似てる。風俗の仕事と」

「ちょっと、面白いお客さんがいてね。毎週土曜日の昼のご指名なんだけど。1DKの部屋の中。一面、熱帯魚の水槽なの。私の知らない色とりどりの魚がキラキラときらめいて。カーテンを閉めると、まるで夜の水族館みたいで。その中でプレイすると、すごい現実感がない。私の常連の指名客。彼女みたいな愛情をもった振る舞いと、さしすせそで楽勝ですよ」

「プレイが終わった後、いかにこの魚の繁殖が大変か、この魚の柄の希少性とか、水槽を安定して保つ方法とか、盆栽みたいな水草の配置とか、その意味とか、そういうのを延々と話して。それを、さしすせそでニコニコしながら聞いて。さすが、知らなかった、すごい!センス良い!そうなんだ!それでニコニコして本当に単純」

「オトシンクルス、ジャーマンラミレジィ、コリドラス、ミニブッシープレコ、ボララスブリジッタエ、レモンテトラ、ポリプテルスセネガルス」

「何度も何度も話されるから覚えちゃった」

「2時間がたって、夜の水族館から出ると、まだ、外は昼だったりして。まるで、白昼夢みたいなその時間が、けっこー好き」

「人魚の話も聞いたよ。300年くらいまえから、品種改良の歴史があるんだってね。もともとの原種は、タイみたいな体に人間っぽい顔がついてる、ナポレオンフィッシュみたいな魚だったのが、ちょっとずつ、人間っぽい個体同士を掛け合わせて、今みたいになったんだって」

「見てきれいなように品種改良されたから、泳ぎは無茶苦茶下手。金魚みたいに、自然下では生きられない。他の魚にすぐ食べられちゃうって」

「ここから出ては生きられないのか」

「カニカマ食べる?」

「よーしよーしよし」

「早くいい人が見つかって、買ってもらえるといいね。この狭い生け簀から出られるといいね」

「……」

「まあ、でも、その水槽の人とももうおしまいなんだ」

「こないだ、2週間くらい前かな、近所のイオンに行ったとき、そいつが女の子と歩いててね。指輪選んでた」

「…彼女いたんだ。彼女いるのに風俗頼むとか最低だし、あと、指輪買うのに近所のイオンとかもありえねーって思うし、なんか、もう、いろいろがっかりしちゃって」

「で、この間の土曜日。呼ばれていったんだけど、部屋の中から、水槽が全部なくなってた。聞いたら、今度結婚するから、全部処分したんだって」

「背ビレのきれいなアルビノのポリプテルス・セネガルスも、流木やガラス面に生えた藻類を削る様に食べて水槽をきれいにしてくれるオトシンクルスも、ブラックスポットが大きくてきれいなジャーマンラミレジィも、水槽の底でじっとしていて残りの餌を食べてくれるコリドラスも、扁平した体とヒゲがユニークなミニブッシープレコも」

「全部」

「それで、最後の仕事をしてきた」

「なんか、気乗りしなくて、さって抜いて、なんか、会話も全然なくて、気まずい二時間過ごして帰ってきた」

「なんだか、とても、悲しくて」

「私は好きだったんだな、って思った」

「彼がじゃなくて、彼の語る魚の話や、真昼なのに夜のような、魔法みたいな空間や、彼の男のくせに小さくて柔らかい手や、水槽から漂う水の臭いや、水の中にいるみたいな、どことなく湿った彼の肌や、エアーポンプの呼吸する音。外の世界から切り離された時間の流れるあの空間が」


「そして、それは、永遠に失われてしまった」

「夢みたいな、幻みたいな」


暗転

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