第38話 怯える青年にお願いしようと思います


 すっかり落ち込んだ太陽を追いかけるように空へと浮かび出した半月。


「入国は間に合うだろうか……この体力でまた奴らが襲って来でもしたらたまったものじゃないぞ」


 整備された山道を抜けると、目の前からは様々な国や民族の人間の声が聞こえてくる。


「はぁ。はぁ……見えてきましたね……あそこが国境税関の建物だと思います」


 山の雑木林の中に建てられた立派な煉瓦造りの税関所。


 立派なアーチを描く国境門の下では大勢の行商人や旅行客がコルヴァニシュ、ホーンディア両国の警備兵による検閲を受けている列の後ろに僕達も並んだ。


 驚くべきことにコルヴァニシュとホーンディアは数百の昔から争い合い戦争を繰り返してきたがその度に和平条約や通商条約を結び、実は両国の商業的交流は途絶えたことがないのだ。


「ではホーンディアへの書簡を出してください。ノアさんは『シダレの森』を代表した国使として、僕とアリーはその国使の護衛ないし部下として入国しようと思います。国書を持った人間達を詳しく検閲するほど警備も厳しくないでしょう」


 するとノアさんはポカンと口を開く。


「何を言ってる? この書簡は極秘だと申したではないか。この書簡を奴らに見られるわけにはいかんぞ?」


 気の抜けたノアさん言葉にこちらも口を開けて対抗する。


「いやいや……それじゃあ入国出来ないじゃないですか……!! 僕達、行商通行書や王国観光認印持ってないんですよ!?」


「まぁまぁ案ずるな。我にはがあるのだ」


「秘策?」


 すると彼女は懐に隠し持ったナイフを自慢げに見せてきた。


「まさかとは思いますが……」


 ニヤついたノアさんの顔から大体の想像はついたがとりあえず聞いてみよう。


「そう……! ここに並んでいる行商人をちょちょっと脅して通関書を奪えば……」


「あの……倫理観の欠如は一度横に置いておくとして……奪ってもで一発で別人だとバレちゃいますけど?」


「しゃしん? なんだそれは。もしかして食べ物か?」


 この時僕は、彼女が『シダレの森』出身であることを再認識させられた。


 いかにコルヴァニシュの王都に程近いとは言え、巨大な金網と集魔燈に囲まれた言わば陸の孤島。


 コルヴァニシュとの文明の交流を避けた結果がこの反応だろう。


「のあ。しゃしん。しらないの。おもしろい」


「なんだアリーまで。そのしゃしんとやらがそんなに重要なのか?」


 そして僕は前に並ぶ竜貨車に乗った行商人に話しかける。


「す、すみません……少しだけ行商通行書を見せていただいてもいいですか?」



「――ひっ!!! す、すみませんすみません!! で、でも前が詰まってて……!!」


「あ、あの……」


「ぼ、僕なんかが前にいてごめんなさい! す、すぐに退きますから!!」


 突然以上な平謝りを繰り返すのは、竜車を操る若い男の子。


 ブロンドがかった髪に、風が吹けばどこまでも飛んでいってしまいそうな細い体。


 そして驚いたベビーフェイスには情けない涙が数粒垂れてしまっている……。


 歳は僕と同じか少し下……? それにしてもこの異常なまでの低姿勢……。


「あ、あのこの人に少しだけ行商通行書を見せていただく事はできないでしょうか? 突然こんなお願いをしてしまいすみません」


「――あ、は、はい……そんな事でよろしければ……」


 すると男の子はかなりホッとした様子で通行書を見せてくれた。


「見てください。これが写真です。見せた通行書に写る写真と顔が一致していないと警備兵達に捕まってしまいますよ?」


「な、な、なんだこれは!!? せ、精巧な絵にしても完璧な模写……。寸分違わずこの男を描いておる……!!」


 目から鱗が何枚も剥がれ落ちているノアさんだったが、おどおどしながらこちらを眺めている青年を見た瞬間、顔をニヤリと歪ませる。


「おいそこの青年!」


「ひっっ!! す、すみません!! 僕みたいな下僕が見ちゃってすみません!!」


 ノアさんの蒼い瞳を躱すように頭をペコペコし続ける男の子。


「お主。これが目に入らぬか……?」


 彼女の懐から出てきたのは、色見どりの魔鉱石がふんだん装飾されたナイフ。


 月明かりをキラリと反射させる刃先に青年の顔はどんどんと青ざめていく。


「だ、だめですよノアさん! そんな物騒な手段を使うなら僕達は同行しませんよ!?」


「そーだ。そーだ。のあ。あくとう」


「ち、ちがいわい! わ、我には秘策があると申したであろうがぁ!」


 その時、膝を諤々と振るわせる青年にノアさんは意外な言葉を投げた。


「お主も商売人の端くれであればこの高潔絢爛な鍛冶物に興味があるのではないか……?」


「――へ……ぇぇ?」


 涙を浮かべ頭を抱えた青年が顔を上げる。


 すると目に浮かんでいたはずの涙はすぐさま吹き飛び、食らいつくようにナイフの全体を眺め出した。


「こ、これ……!! アダスタリア魔鉱石……!? こっちはクルジウム練魔石だ……!! なんでこんな超超高ランクの魔鉱石があしらわれた武具を!?」


 先ほどまでとは打って変わってガンガンに攻めてくる青年とその反応を好機と見たノアさんはまたしても口角を上げた。


「聞け……取引だ。お前にも悪くない条件だと思うが……?」


「と、取引!? ぼ、僕そんな高ランクアイテムを買い取れるほどお金持ってませんよ!? きょ、今日初めて商いの旅に出てるんですから!」


「金じゃない。お主の竜車を少々貸して欲しいだけだ。さすればこのナイフ以上の見返りを約束しよう!


「そ、そのナイフ以上の……?」

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