第36話 一緒に行こうと思います


「母上はあくまでもコルヴァニシュのちょっかいや横行する搾取に釘を刺したいだけだ。そしてこの文書にはホーンディア含め、周辺各国との政治的圧力での沈静化を要望が書かれているらしい」


「らしい……とは?」


「回りくどく母上に言われた事を解釈しただけだ。我も文書の中身は見る事を許されていない」


 そして引いては返す穏やかな波を遠く見つめながら、ノアさんは小さくつぶやいた。


「――母上はな……正直娘である我でも何を考えているのか分からない事が多いんだ」


冠女英雄シェールヒルデとしてシダレの森を守り抜いた稀代の守護神。しかし一方で、あの方は英雄の面を脱ぐ事を忘れてしまったのだ……だから娘の我にも決して本音は見せない」


 一瞬しか対面していない僕でさえ、ノアさんが言いたいことが分かった気がした。


 あの人には底知れない恐怖と威圧感……そして腹の中に抱えた『何か』があると思うから。


「母上はまだ我を後継者として認めていないと思っていた……でもだからこそ今回、極秘の重要書簡の伝達を任された事が嬉しかった」


「偉大なお母様に認められたのかも知れませんね……! それで文書はいつまでにホーンディアへ?」


「――11日後に開催される『竜久祭宴』に合わせてホーンディアの首都『エジルス』に届ける予定だ。あそこの国王は滅多に姿を見せないが、災竜クルドラドリオスを鎮めたとされる記念の国祭には必ず姿を見せるのでな」


「外交に興味がない彼奴でも、冠女英雄の要請とあらば無視はできないはず」


 ここから西に500キロ程の距離に位置する西の大国ホーンディアの首都『エジルス』


『竜久祭宴』とは太古の時代、ホーンディアに災いをもたらし続けた炎神竜

 クルドラドリオスを封印した事を祝う祭典であり、各国から招待された国務官や政財の重鎮が集まる国際政治の場でもある。


 そしてホーンディアの国王であるレティア10世は極度の人間嫌いと人間不信で有名であり、更には政治事にもまるで興味がない事で有名な異色の国王。


 最終決定権こそ有しているものの、政治の99%は側近に任せているほどらしいから驚きだ。


 そして実はホーンディアとコルヴァニシュの国境はここから目と鼻の先にある山々を抜ければ見えてくる。


「――でだ。お主も共にホーンディアに参らんか?」


「ぼ、僕も?」


「ああ。おそらく先ほどの騒ぎでお主らの顔は衛兵に知れ渡り指名手配されているはずだろ?」 


「ええ……まぁ……」



「そ、それに我も紙幣とかいう物が無くて困ったところだしな……!」


「最後ので一気にすがってきた感じですけど……」


 いきなりの提案だったが正直悪くない提案だと思う。


 彼女が言うようにコルヴァニシュの果ての地でさえも指名手配されている僕達だ、ましてや王都では実際に追いかけられたわけだし……。


 熟成屋として活動しようにも、この国で商売を続けていく事はリスクしか無い。


 そして何より、不安定なアリーをコントロール出来るのはおそらく彼女しか居ないし、正しい獣人化について教えられるのも彼女しか居ないだろう……。


「――アリーは……これからアッサムである自分を受け入れて生きていく事は出来ますか? 己の力に振り回されず自由に生きていく事は出来ますか……?


 するとノアさんは蒼く優しい目線を横たわるアリーへと注ぐ。


 まるで疲れて眠る妹を温かく見守る姉のように優しい瞳で。


「――さあな……。そう言う物だと我は思う」


 優しく言い切る彼女の言葉に僕は、あの夜スカイへ語った夢の事を思い出しハッとさせられた。


「――分かりました……! では僕は商売で金を稼ぎ、ノアさんは対価としてアリーのケアと成長を約束する……これでどうですか?」


「よかろう。交渉成立だな!」


 そして僕達は白く美しいビーチを背景に固く結んだ握手した。


 程するとアリーが虚な目を擦りながら目を覚ます。


「――ここ。どこ?」


「おはよう、アリー。体は大丈夫?」


 コクっと頷いたアリー。


「アリー。いきなりだけどこれからはノアさんと一緒に旅をしていこうと思うんだ。アリーはそれでも良いかな?」


 寝転んだ体を起こしたアリーは、数秒間ノアさんの蒼い瞳を見つめると静かに頷いた。


「――のあ。なんだか。。かんじ。おねえちゃん。みたい」


 するとノアさんは砂浜に膝をつくと、アリーの黒い頭を包むように抱きしめた。


「――のあ?」


「――アリー……お主に悲しい思いをさせた原因はお主ら同族を守護出来なかった未熟な我の責任だ。だから……今度こそは……」


「……どうしたの。なんで。なみだ?」


 白い肌を伝う一粒の涙。


 落ちた涙は、静かに砂へ溶けていく。


「あ、ああ……! わ、我は潮風というものに慣れていなくてな……!」


 岩陰に吹き抜ける海風に靡く白黒の髪のコントラストはなんとも美しく、そして神々しくも感じた。



「では行きましょうか。もうすぐ追手が来る可能性もあります」


 ノアさんは濡れた頬を急いで拭うと、書簡を袖にしまう。


「ああ。行こう」


 こうして僕達は11日後『竜久祭宴』が行われる西の大国ホーンディアの首都『エジルス』に向けて出発した。



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