第35話 逃げ切れたと思います



 黒狼の鋭い爪がポールスさんの喉元を掻き切ろうとした一瞬の出来事だった。


「うううわあああぁ!!」


「アリー! ポールスさん!」


 眩い光のせいであちら側で今何が起こっているのか確認出来ない。


「心配するな。彼奴らならおそらく大丈夫だ」


 激しい発光が終わり眩んだ視界が開けると、口を震わせながら立っているポールスさんと人の形に戻ったものの意識を失い倒れるアリーの姿が見えた。


「良かった……ポールスさんは無事みたいだ……」



 しかし、体ごと震わせたポールスさんだったがその場で屈み込むとキラリと光る何かを拾い上げた。



「――ごめんな……アリー嬢……」



『――!』


「まずいぞクリシェ!」

「危ないアリー!! 逃げろ!!」


 怒声にも近い二人の警告。


 しかし、僕達の言葉は彼女の意識をこちらに戻す力など持ち合わせていなかった。


「………………しぃ……ぃ――……ぇねねぇぇ!!!!!」


「やぁぁめろろぉぉ!!!!!」


 鋭い包丁がアリーの顔面目掛けて振り下ろされる光景がスローモーションに見えた。


 や、め、ろ……。



「――っっ!!!」


 都会のビル風に似た局所的突風が長い商店街を一気に吹き抜けていく。


 そして次に気が付いた時には、圧縮された『空の斬撃』が今度こそ彼の宝物を粉々に砕き割っていた。

 これでもかと粉々に。


 風に煽られた影響だろうか、血走っていた彼は落ち着きを取り戻すと残った『形見』の柄を石畳に叩きつけた。


「お、俺は……何を……」


「――すみませんポールスさん……でもその子は僕が引き取った家族なんです……」



 ピーーーーーーピーーーーー


 ベンフィーリス中に甲高く鳴り響く衛兵団の警笛音と前方奥からバラバラに聞こえる鎧の擦れる音。


『敵は風操作スキルの使い手である可能性がある! さらに光る剣を持った男が一般人を攻撃している模様!! 倒れた少女の救出も急げ!』


 くそっ! なんでこんなに衛兵が来るのが早い……!?


 騒ぎから2分も経ってないはずなのに……。



『それと営業妨害の通報にあった白髪のイカれた女は奥だ!! 仲間かもしれん! 引っ捕らえよ!!』



「い、イカれた女だとぉー!!? 我のどこをどう見たらイカれたなどと抜かせるのだぁぁ!?? なぁクリシェお主もそう思うだろ!?」



 イカれた女が営業妨害……そうかあの時すでに……。



「まぁよい……乗れクリシェ……!」 


「ここはあの女子を連れて逃げるのが良さそうだ。ここで衛兵団とやり合ってしまっては我々もになるのでな」


「――っはい!」


 雪のように白い狼へ変身したノアさんにすぐさま跨る。


「女子を拾え! そのまま切り返して路地に入る!!」


「はい!」


 横たわるアリーを右手で拾い上げた僕は、左手でしっかりとノアさんの白毛を掴み、急旋回のGに耐える。


「――ぐぅぅぃぃぅ…………あぁ!」


「ここを真っ直ぐ!! そうすれば街を抜け、海沿いの海岸旅道に出ることができます!」

「よし! 女子を離すなよクリシェ! お主にはがあるのだからな!」

「だ、だから僕そんな責務知りませんってば!」



 そして僕達は穏やかな港町に大騒動と混乱を残したまま、路地裏を時速80キロで走り抜けて行ったのだった。






「――あっつーい……この暑苦しい制服も夏場用を作るべきでしょー……」


「黙って監視を続けろ。『アッサムの牙』にシダレ以外の友好勢力が居るなど想定外なのだからな……」


 颯爽と路地を走り抜けるクリシェ達。


 そんな彼らを屋根上から観察する二つの黒い人影。


「魔獣化したあと虹色に光って意識を失った黒い狼女さんとぉー。超高ランク武具を持つ男の子かぁー。どーしますよぉー『アーシェ隊長』?」


「――構わん。何者が介入しようとも我ら『聖姫旅団エルラン』に課せられた使命はただの一つだ」


「ええー? でもクリアちゃんは望遠しか取り得無いんですよぉー? 隊長一人でやる気なの?」


「私も部隊を預かる身だ……敵戦力と己の力を見誤るような愚行はしない。それに――我々の本職は『』だろう?」


 夏の日差しを吸収する黒いマントの背中には、真紅の薔薇花が蛇に巻き付いた部隊紋章が誇らしげに刺繍されていた。


「だが……あの超高度武具については『』に報告せねばな……我々『聖姫旅団エルラン』だけでは少々力不足だ」


「だねー。それにしてもあの剣さー……ウチの絶対監視サーキュリアでも何が起きたか分かんなかったしねー。魔力スキルでもなければ魔石を埋め込んでる感じでもないんだよー。逆に雑魚が持ってる武具に近いってゆーかさー」


「お前の感知能力でも読み取れないのならばそういう事なのだろう……」


「? どゆことー?」


「元々から魔力など持ち合わせていないのだろう。圧倒的なまでの膂力……それだけだ。」





 ――日の当たらない薄暗い路地を全速力で駆けぬけた白狼と僕達。


 そのままスピードを落とすことなく西へと走り続けること20分。

 さすがに全力疾走を続けたからか、体力の限界が来たらしい。


「く、クリシェェェ……もう無理……」


「お疲れ様です! どこか日陰で休みましょうか」


 海岸に転がる大きな岩影に腰を下ろした僕と獣化を解いたノアさんは、さっそくお互いの情報を交換する。


「こ、この女子はなんだ!? アッサムの者でありながら獣化をコントロール出来ないなど、まるで子供のようだぞ!?」


「――この子は幼い時に『シダレの森』連れ出され、人間の元で奴隷として生きてきたんです……だからおそらくはアッサムとしての能力は子供のままかと……」


「――!? 奴隷だと……どう言うことだ?」


 奴隷という言葉で一気に怪訝そうな顔つきになったノアさんに一からアリーについてを話した。


 そして、話していくうちにノアさんの瞳からは涙がポタポタと落ちていく。


「――何という事を……これだから外界の人間は信用できんのだ……!!」


 同族への仕打ちに怒りを抑えられないノアさんは濡れた砂浜を殴りつける。


 すると、服の袖から一本の書簡が落ちてきた。


「これは?」


「ああ……これこそが我が自ら外界に出張ってきた理由だ」


「なんだこれ……見た事ない文様だ……」


 巻物のような書簡にはミミズのようにウネウネとした文字? と人型や鳥型の象形が不規則に並んでいたが、僕にはさっぱり解読出来なかった。


「であろうな。これはアッサムにおいて母上と我しか習得していない『レンムル暗号』で書かれておるのだ! 我らの友好国にのみ解読者が数名いる極秘の暗号だ」


「れんむる……?  暗号……。ノアさんはこれをどこに届けるのですか……?」


 まぁ、大体の予想はついているけど……。


「決まっておろう。西の大国『ホーンディア』だ……これ以上コルヴァニシュの好きにはさせておけんからな」


「――それは……大国ホーンディアと結託しコルヴァニシュにつもりですか……?」


 その時、ノアさんの目つきがキッと鋭くなった。


「反旗を翻す? 我らがいつコルヴァニシュに従属したのだ……!?」 


 いつもより低くなった声からは並々ならぬ威圧感を感じる。


「貴様ら人間が勝手に我らに手を出してきただけだろうが!! この悲惨なアリーのように……そしてのようにな!」


 水平線の向こうにまで響く渡ったであろうノアさんの叫びは、岩影に静けさをもたらす。


「――す、すまない取り乱した……お主は同族を助けてくれた恩人であったな……。それにお主の父上も……」


「父を知っているのですか……?」


「あの後、母上がお主の父上は立派な軍人であり心優しい名将であったと言っていた。」


 


「それに誤解するな。我らアッサムはコルヴァニシュに戦争を仕掛ける気など毛頭ない……むしろ争いを避けるためにホーンディアへこの書簡を届けるのだ」


「争いを……避けるため……?」



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